大阪生まれの作家、長谷川幸延(1904~1977年)は、その随筆「大阪歳時記」に天神祭と大阪天満宮のことを書いています(以下<・・>の部分)ので、天神祭りの準備風景と一緒にご紹介しましょう。
<昔の天神祭の船渡御の壮観さを、ここに再現することは不可能である。鉾流橋の下からの神輿の舟入、そしてドンドコ船、お迎え人形の船、そして篝火の船、両岸の照明>
表門
<午前二時、お旅所の松島花園町の行宮に到着。その宮入り直前のあばれ神輿がもみにもまれて繰り込むありさまは・・識っている人には、「とても、そんなチョロコイもんやない」というであろうし、ぜんぜん識らない人達には想像さえもつかないであろう>
表門の上の方位盤
<天神祭の天神社は、いうまでもなく菅公を祀る社で、大阪には二十五の天神社がある(中略)二十五社詣りの巡路は、古く「難波丸綱目」(1748年初版の大阪ガイドブック)に見えている>
提灯で飾られた拝殿
<その二十五社の中でも、なんといっても第一に指を折られるのは、もちろん「天満の天神さん」で通っている天満宮である>
本殿の裏側
<そもそも、天満の天神というのは訝しいのであって、天満も天神も菅公を神格化しての呼称である>
<天神とは菅公の霊、雷となる。すなわち天神なりというのと、観世音三十三身のうち大自在天神というのとある>
<天満というのも、天神記の「その瞋恚(しんい)の焔(燃え上がる炎のような激しい怒や恨み)天に満ちたりからとも、虚空見大和の虚空見(そらみつ)、すなわち天満であるともいう>
<いずれにしても「天満の天神」はおかしいのである。>
今では北の鳥居の前に、ちゃんと大阪天満宮と書いてありました。
最後にシジミの貝殻約1万枚を藤の花に見立てた「しじみ藤棚」は、大阪天満宮の名物として知られていましたが、1926年を最後に途絶えていたものを2002年に復活させたものだそうです。
若き長谷川幸延もこの「しじみ藤棚」を見ていたかもしれません。
参考文献「大阪歳時記」長谷川幸延 著