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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



1629年に譲位して上皇となった後水尾上皇は、1639年に幡枝(円通寺のある場所)に山荘を建て、修学院離宮が完成するまでそこに何度も滞在しています。・・・トーチジンジャーの花

今回は、その後水尾天皇の譲位のいきさつと、咲くやこの花館の7月に咲いている花を紹介しましょう。・・・ハイビスカス

1627年、後水尾天皇(32歳)は、高仁親王(徳川和子とのあいだの皇子で秀忠の孫)が4歳となる2年後に譲位することを幕府に伝えています。・・・アデニウム・オベスム(別名沙漠のバラ、キョウチクトウ科、アフリカ南西部原産)

後水尾天皇は、比較的自由に行動できる上皇の地位がどうしても欲しかったようです。しかし4歳の子供が皇位につくのは、後深草天皇(1243~1304年)以来380年ぶりのことでした。・・・サボテンの花

金地院崇伝が作成した禁中並公家中諸法度には、若い上皇の出現を想定しておらず、上皇に関する法度の条文は、衣服の規定だけだったのです。・・・サギソウ

秀忠の孫に当たる高仁親王への譲位は幕府に異存はなく、さっそく上皇が住む仙洞御所の造営が開始されています。・・・馬の顔のようなコマクサ(駒草、高山植物の女王、ケシ科、日本)

しかし、1628年春に高仁親王(3歳、満年齢では1歳半)が突然病没、どうしても上皇になりたい後水尾天皇は幕府に高仁親王の姉(女一宮、やはり秀忠の孫)への譲位を伝えています。・・・クロユリ

秀忠は、承知しなかったようですが、翌1629年秋に家光の乳母(春日局)が上洛し天皇と対面しています。・・・リリウム・プリムリヌム・プルマニクム(ユリ科、ビルマ・タイ原産)

天皇は、徳川家の力を背景に参内資格を強引に整えた春日局との面会を不快に思っていました。・・・エロディウム・バリアビレ(フクロソウ科、交雑種)

寛永6年(1629年)11月、後水尾天皇(37歳)は、女一宮(7歳、明正天皇)に譲位を敢行、後水尾天皇の中宮(皇后、秀忠の娘)が秀忠へ必死の弁明をしたせいか、幕府は認めざるを得なかったようです。

参考文献:千年の坂も踏みわけて 後水尾天皇 久保貴子著



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