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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



御堂筋に面したベネトンから、西に100m入った交差点の北にあるオーガニックビルは、昆布のえびすめで有名な小倉屋山本の本社ビルである。



1993年に竣工した9階建て、延面積7千㎡のビルは今も周囲を圧倒する存在で、1994年度通産省グッド・デザイン賞(施設部門)を受賞している。



恐らく、大阪中を探しても、これほど奇抜なデザインのビルは無いのではと思うくらいに変わった形状をしているが、老舗の小倉屋山本が良く採用を決断したものであるとその勇気を称えたい。



ところでオーガニックビルにはビルオーナー、小倉屋山本の看板が掲示されていないのは何故であろうか。

基本デザインは、ニューヨーク在中のベネッツアのアーティスト「ガエタノ・ペッシェ」。



ガエタノ・ペッシェは1939年イタリアに生まれなので今年67歳、ヴェネツィア大学で建築と工業デザインを学んでいる。

1983年よりニューヨークに移住し、インテリア、建築、家具、工業デザインと幅広い分野で活躍しているデザイナーである。

ガエタノ・ペッシェがデザインした椅子



ガエタノ・ペッシェは、外壁に植木鉢が飛び出した巨大な陶器のパネルを横に22列、垂直に6段並べ、合計132個の形が微妙に違った植木鉢がビルの外壁から飛び出すデザインをひねり出している。



その外壁に付いた植木鉢の中に、種類の違う植物が132種類入り、1993年の竣工以来、13年間今も立派に維持されているのが素晴らしい。



小倉屋山本は兵庫県淡路島に生また初代山本利助が、1848年にのれん分けを許され、新町橋のたもとに昆布店を創業、今年で158年の歴史を誇る老舗である。

利助の創業は1957年にベストセラーとなった小説『暖簾』に詳しいが、作者の山崎豊子は、3代目山本利助の実妹というので吃驚する。



1924年に生まれた山崎豊子は、彼女が生まれる76年前に創業した初代利助の苦労話を小さい頃から繰り返し聞かされて育ったのであろう。

彼女は京都女子大を卒業して毎日新聞社に入社、当時、学芸副部長であった井上靖のもとで記者としての訓練を受けている。



その勤務のかたわら小説を書きはじめ、「暖簾」でデビュー、翌年「花のれん」により第39回直木賞受賞して作家生活に入ったという。



その後「白い巨塔」、「華麗なる一族」、「不毛地帯」、「大地の子」、「沈まぬ太陽」等を執筆、日本を代表するベストセラー作家となっている。


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