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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



四天王寺の六時堂の前、亀の池に架かる橋の上の石舞台は、住吉大社の石舞台、厳島神社の平舞台とともに「日本三舞台」の一つとされ、国の重要文化財である。



この舞台では毎年4月22日の聖霊会(聖徳太子の命日法要)の日に雅楽(重要無形文化財)が終日披露され、四天王寺の中で最も神聖な場所とされているが、ここに独特のおごそかな雰囲気を感じるのは私だけでは無いようである。

石舞台は四天王寺の中心



寺伝によれば、1623年に六時堂とともに木造から石造で再建されたとされるが、石舞台の碑文には、講元4名、講中70名の名前とともに1808年(文化5年)と記されているので、寺伝と185年の食い違いがある。



舞台講がある橋の勾欄には、1887年(明治20年)と記され、舞台講世話係5名と講中260名の名前があるが、舞台講とは四天王寺雅楽の維持のため江戸時代初期に組織された大阪の木材業者の講組織で、現在も存続しているという。



以前は、寄棟造りの舞台講詰所があり、雅楽の際には舞台講様として特別待遇の席が設けられるほどの勢力があったようである。

住吉大社の石舞台



1808年(文化5年)の講元4名のうち、志方平兵衛の店は、「志方重」という屋号で昭和35年頃まで続いた材木屋、枌屋重兵衛は、中央区にある「そげ重商店」のご先祖で、残り2名のその後はよく判らないらしい。

亀の池の亀



枌屋重兵衛の枌(そぎ)とは、そいだ板のことで、ソギがなまってそげ重商店となったようである。



そげ重商店のHPを見ると、大阪城築城の豊臣秀吉の時代、東横堀川から材木を荷揚げする場所が材木町と名づけられ、多くの材木屋が軒を連ねていたが、その材木町に今もあるのが「そげ重商店」と歴史を誇っている。

四天王寺の五重塔



1688年(元禄元年)創業者が、大阪の運河であった東横堀川の舟運を利用して諸国から木材を集め、この材木町で販売をしたのが始まりというので、大阪市内でも屈指の老舗であろう。

東横堀川



200年前(1808年)に再建された四天王寺石舞台の講元であった枌屋重兵衛の末裔は、現在も大阪に健在で、業種は変わったようであるが創業から320年という伝統ある会社の暖簾を守っているというので凄い。

参考文献:大阪春秋「長堀浜日記」伊勢戸左一郎より


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