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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



昨日に続き、司馬遼太郎氏が絶賛した塚本誠氏の著書の中から隠れた昭和史の一部と、咲くやこの花館の高山植物を紹介しましょう。

塚本憲兵大尉は、参謀本部が上海で情報分析を委託している一橋大学卒の吉田東祐と名乗る人物を紹介され、彼の情報分析を読んで非常に教えられたと書いています。・・・原種のチューリップ

吉田東祐の分析には、中国の抗日運動の推進力は、労働者農民ではなく都会の民族資本であること、従って反共派の蒋介石も国民感情に沿って容共抗日政策を取らざるを得ないこと、蒋介石は日本が圧力を弱めれば、反共に戻るが、圧力を強めてゆけば共産党に接近して全民族的抗日戦争となることが強調されていたといいます。当時、こうした冷静な分析をした日本人は、殆んどいなかったようです。・・・カリフォルニアフクシア

吉田東祐のレポートは、東京の参謀本部へ送られ、塚本憲兵大尉も全国憲兵会議で「抗日と国共(蒋介石の国民党と毛沢東の共産党)合作、抗日戦線の統一と国防政府の樹立」(統一された中国は手ごわい)という報告をしています。・・・チシマルリオダマキ

しかし、当時の政府や軍首脳には、日清戦争で破った中国人は弱く日本軍の一撃ですぐ降参する、日露戦争にも勝った日本軍は強いという先入観念があり、客観的な情報を受け入れる状況になかったのです。・・・高山植物

昭和12年8月、日本海軍の軍人2名が殺害されたことから上海事変が勃発、当初は上海の居留民保護という名目の派兵でしたが、中国軍は弱いと予想して、はやる陸軍は、南京さらに武漢まで進み、本格的な日中戦争となっています。・・・エゾスカシユリ

このとき政府と陸軍中央は、停戦命令を無視して進撃を続ける現地の派遣軍幹部を処罰することなく見過ごし、翌年「国民政府(蒋介石)を相手にせず」という近衛首相声明を出したことで戦争は泥沼化、陸軍も多くの将兵の犠牲で勝ち取った占領地からの撤退を断固拒否したため、戦争は昭和20年まで続き、日本人300万人が犠牲となるのです。・・・クマガイウソウ

上海にいた一人の憲兵将校は、抗日統一戦線(全中国)相手の戦争となるのを避けるべきであると上海事変の勃発前から主張していたのですが、東京では全く考慮されなかったのです。・・・プリムラ・ビアリ

尖閣列島問題が騒がれる今、当時と同じ轍を踏まないよう、政府や国民は冷静に対処しなければなりません。

参考文献:ある情報将校の記録 塚本誠著



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