遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   きのう清澄白河というさやけき名の駅に降りた。アントニオ・ホーシャさんのおはなし会とワークショップに参加するためである。わたしの住む久喜に 田園都市線が乗り入れたので中央林間まで一直線 清澄白河まで乗り換えなしで行くはずだったが そうは行かなかった。いつものようにちょっとした間違いが あったのだ。この沿線には ほかにも曳舟とか堀切 業平橋 東向島など粋な名前の駅が多い。地名はそのまま伝説を含んでいる。地霊が宿っているといってもいいだろう。最近は合併などで由緒のある地名が無くなってしまうことが多いが残念なことである。地名といっしょに幾百年という歴史 ものがたりも消えてしまうような気がする。

   さて、アントニオさんは長い腕 長い脚 しなやかな鍛えられた長躯と大きな印象的な目の持ち主だった。目力(めぢから)というのか 目に並々ならぬ輝きがあった。ねずみの嫁入りのほかパントマイムを取り入れたいくつかのおはなしとパントマイムをふたつされた。鍛錬された肉体の動きは美しく 見る者にとっても喜びである

   純粋なパントマイムのほうは掛け値なしに楽しめた。少年が補虫網でちょうちょをつかまえて小躍りするが、ちょうちょが弱ってしまったので 逃がしてやるというマイムは 自分や弟の幼年時代とも重なって 鮮明なイメージとしてそこにあった。また風船をふくらますパントマイムでの 「風船は潮時を知っていて もう(膨らませなくて)いいよと伝えるが 人間のもっと もっとという欲望もそのようにコントロールができれば....」というメッセージにアントニオさんのひととなりを感じ共鳴した。アントニオさんのがというのではないのだが パントマイムを見ながら 英語で語られるおはなしを理解しようとするため おはなしには充分には浸りきれなかった。英語がもうすこしわかればなぁと残念だった。さまざまな考えがあり希望があり語り手自身の立場もあるだろうが わたしとしては ほどよい合間合い間に通訳が入ったほうがわかりやすいように思った。また、マイムと声があまりにリアルで具体的なためくっきりとはするが そのために聞き手のイメージが限定されてしまうような気がした。絵本や紙芝居の読み聞かせにすこし通じるように思う。ビジュアルな芸術と複合しているためイメージは強くなるが方向性が固まり 無から限りないイメージを生み出すことばのちからの果たす役割は落ちることになる。また 語りでいえば地の文が少なく演じる部分が拡大するので 筋を追うかたちになり行間のたゆたいがなくなるため より直截に感じるのだろう。

    しかしながら アントニオさん自身も語られたようにすべてとは言わなくても語り手それぞれがこころのおもむくままに自分の語りに取り入れたなら 日本の語り(ストーリーテリング)はすこし豊かになるだろう。コミュニケーションはことばだけでするものではないからだ。アントニオさんの語りはそれこそ「芸」そのものだった。


ワークショップではまるく輪になっていくつかのパントマイムを実際にしてみる。
①肩の使い方(そびやかす つぼめる その上下)で4通りの人物表現をする。

②ロープを曳く、断崖から下を見るという動作をする。アントニオさんが注意したのはたとえばテーブルに手をつく、そのとき静止のように 一連の動きのあと動作を止めることだった。人間の動きはニュートラルから1の段階 2の段階 3の段階と進む (ニュートラルとは脱力した状態で段階が増すごとに行動的なるというのはたしか山下さんのワークショップにあったと思う)それに付随して 動きの細かいところまで注意を行き届かせ 責任を持つ。たとえばドアを開ける所作をしたとき ドアノブを握り締めたままにはしない。ロープを曳くには身体の求める方向性があるなどの示唆があった。

③パンサーとして歩く、オランウータンとして歩く 動物はそれぞれが固有の動きを持っている。アントニオさんの動きを真似て実演するのだが アントニオさんの動きは無駄ひとつなくダンスのように美しいのに 手足が短く関節が固いわたしの場合は全く別物になってしまうのだった。敏捷なパンサーではなく川から上がるアマゾンの鰐である。オランウータンについては膝が痛いのでパスした。RADAでは虎になって唸ろうがなにをしようがぜんぜん恥ずかしくないのだが 語りのWSでは恥ずかしさがある。

   以上 動作の必然性についてのほかに 語り手は聞き手の前に姿をあらわすときがたいせつであるということ。アイ・コンタクトによる交流(偶然その四で書いたところだった)目線について フォーカスについて 間についてなど示唆があったが それについては 重なるので四でまとめるかあるいは他の機会を待ちたい。今回のワークショップは語り手たちの会の主催であったが 時宜を得たおはなし会でありワークショップであったと思う。最後にねずみの嫁入りでの一枚の布の多様な使い方に目を瞠ったことを付け加えたい。 


その四 語り手への道 の残り UPしました。




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