遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  前の冬、池袋コスモポリタンホテルで買ったペンダントをはじめてかけてゆきました。ガラスのビーズを六角計の星型に編んで球体にしたひと目で気に入ったペンダントでした。気持ちの整理がつくまでは首にかけられなかったのでしょう。「そうだよね、でも もうだいじょうぶ」自分に言いました。澄んだ静かな気持ちでした。「ありがとうございました お元気でいらしてください」はるかに呼びかけて駅に急ぎました。


.....今、このときカーブメソッドを受けるのは意味があったのだと思います。自力整体をはじめて10ヶ月、身体がゆるんでいてほんとうによかった。からだをゆるませることと、脱力がなぜ必要か....

  それは身体を振動しやすくするために必要だったのでした。カーブのハミング発声で自分の背骨が細かく振動するのがわかります。くすぐったいようなまだそんな状態ですが....。そしてグループのひとたちのハミングを聴いてもわたしの背骨は振動する。ひとによって振動する場所が違います。声が高いひとは頭蓋骨に反響するし、背骨のなかごろのひともいて、声というものが聴き手の心に響くばかりでなく身体そのものに響くのだということがよくわかりました。冷え性で手が氷のようだった方の手があたたかくなり、わたしも今日は寒いと感じませんでした。振動で体温があがるのかもしれません。

  今日はいよいよ母音に入りました。響く音は母音しかありません。音と音のあいだに響きがあります....母音の発声はとてもたいせつですが、わたしにはひとつくせがありました。口角をひいてしまうのです。いつも笑顔で語ろうとしていたことや、刈谷先生から口角をあげて歌いなさいという指導をいただいてきたことが原因でしょうか、とくに”エ””イ”に問題がありました。なぜ口角をひいてはいけないのでしょうか?口角をひくと内耳のあぶみ骨筋がゆるんでしまうためか響かなくなってしまうのです。

「ドナルド・ダックのお口にして」「いわしの口みたいに」「あさがおがひらくときのように」いろいろ指導していただきなんとか出せるようになったとき、聴いてくれた仲間たちはいいました「とても、きれい!ぜんぜん違う!!」

  宝物のような日でした。息(いのち...古語では同義)を聴き手に届ける、届けようと思ったところに届く、それが実際にやってみてわかった。フォーカスすることの意味がわかった。そして他のひとがなににフォーカスしているか見ていてわかるようになりました。


  なぜうしろにひとがいるように、背中に口があるように発声するよう壌さんややまもとさんやさまざまな方が指導するのかわかりました。音は気導だけではないのです。前に飛ばしたいと思うほど後ろを意識する必要があるのです。.....イメージすることがなぜ必要かよくわかりました....そのまま聴き手に届くのです。

  つまり 今日 いままで学んできたさまざまなことが真珠のネックレースをつなぐようにつながったのです。ついでにステージに立ったときホールを自分のものにする方法も教えていただきました。

  もちろん すべての謎が解けたわけではありません。カーブメソッドは西洋の発声学の粋と思いますが、日本には古来からの方法がある。西洋の発声は澄んだ音をめざしますが、日本ではにごりが好まれ、尺八や三味線、琵琶もわざわざ音を濁らせ雑音をつけくわえますし、声もよくサワリといいますが障りのあるだみ声が好まれたりするのです。

  カーブのもっとも重要な呼吸法は日本の逆腹式に似ています。カーブのよいところを学んだうえで日本古来のものが付け加えられたらいいなぁと思います。

  さて、いよいよ あしたは最終日です。


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コメント
 
 
 
鳥になる (穂積)
2008-11-24 09:08:11
歌うときも話すときも「鳥で在れ」と師匠に
言われ続けて参りました。

嘴(ドナルドダックの口)翼(肩甲骨を緩め広げる)
舌根を下ろし、声の根っこをより深い所に置き、
後ろも前も横も縦も広く使う鳥になれ、と。

全ての癖を無くしてニュートラルな状態に
持っていく事で楽器の身体になる、とも。

るかさんは色々な方々から多角的に学んでいらっしゃる。
わたしは増位という一人の師匠から
人格が変わる程の学びを頂きました。

プロセスは違えど目指す所は同じである事を感じます。
 
 
 
Unknown (luca)
2008-11-26 05:09:21
穂積さん ようこそおいでくださいました。

増位先生は素敵な方です。生涯の師に出会われるというのはきわめて僥倖だと思います。わたしにとっても日原先生はそういう方になるかもしれません。

迷ったとき、悩んでいるとき うしろにしっかりリセットしてくださる方がいるのはなんて心強いことでしょう。

わたしは語りとは語り手の鏡....魂も知性も人生もなにもかもうつしてしまう...と思っていました。

今は語りもだけれど音声そのものがそうなんだなと感じています。ふりかえりますと、わたしはいつもその方の声に惹かれ、慕い愛してきたのでした。むべなるかな...です。

でも、もっと奇跡的だと思うのは、身体...声を変えようとすることで人格が変わってゆくことです。それを目の当たりに見たときはほんとうに驚いたのですが、身体と心はつながっているのだからあたりまえなんですね。

ひとはだれでも そのひとだけの唯一無二のうつくしい声を持っている....余分なものをのぞき、声が磨かれてゆくと顔が変わってゆきます。心も変わってゆきます。心や魂を磨くことで当然声は変わる。

このように身体から....心から...ふたつの道をたどってゆけるのはなんてうれしいことでしょう。

自力整体ではいつもお世話になり、ありがとうございます。ようやくわかって身体をゆるませると響く身体になります。その響は上に下にそして周囲にさざなみのような輪をつくります。深くゆたかなうつくしい声、自分の声をとりもどしたいですね。そして道すがらたくさんのひとびとと出会いつないでつないでいきたいものです。


 
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