遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

わたしは11月 参加を途中でキャンセルし 家族や友人に頼まれ購入した10枚のチケット 払い戻してもらった.....まだ確認してないけど.....のですが 10000円の参加費のなかに1枚 チケットが含まれていて それはキャンセルできないので 全体像は予測どおりか 観にいったのでした。

 

開演間際というのに 当日券売り場に大勢 ひとが並んでいました。

よい場面も多々ありました。

思ったとおり ロミオ ティボルト マキューシオの決闘場面と それにつづく 群集シーンはよかった。

生きるものの歌 の シーンは感動的だった。

(実際 この歌だけが 戯曲ロミオとジュリエットと 日本の高齢者をむすんでいた)

最後の ボレロも 若干冗長だがよかった。白いマフラーを一斉に宙にほうり投げるシーンは思ったほど効果をあげていなかった。

 

実はこまどり姉妹がよかった。さすがに60年のプロ暦 (自虐ネタだったが)ライブのツボを心得ていらして 一気に観客をもっていった。

それからあの生意気なネクストシアターの青年たち決闘シーンが思ったよりはよかった。ロミオを演じた方はちょっと物足りない。本家ゴールドシアターは期待ハズレ。

 

悲惨だったのは バルコニーのシーン .... 名シーンが笑えないお笑い。歌も含めた花束のシーン ファッションショー .... 学芸会 お遊戯会  そこに置く意味がない。

わたしは花束と ファッションショーに出るはずだったので キャンセルしてほんとうによかった。

構成がまずかった。 現代の老人デイケア施設シーン 老人たちの夢 と シェークスピアの悲劇がつながらない。息子夫婦を心中でなくした 悔やんでも悔やみきれない という 一参加者?のモノローグだけでは....

ネクストシアターの古典的というか正統な台詞回しにたいして 参加の高齢者たちの大仰なというか うけねらいの台詞

それはほとんど笑いにつながらず 失笑がおきていた。ちゅんちゅん ちゅんちゅん ロミオたちが すずめになって飛び跳ねるところとか...... 方向違いの一所懸命.... いささか胸をうたれつつ やるせないうら寂しさを感じた。たとえ本人たちが演出とおり喜んでやっていたにせよあんなことさせちゃいけない。

全体にチグハグ 寄せ集め感が否めなかった。構成力のない脚本家・演出家も生存できるほどこの世界は甘いのか。最後のシーン 観客席もまきこんだ 爆発的なマツリになれば まだ救われたのだが。

1000人以上の出演者というギネス記録だけがさきまわりして なぜ高齢者なのか なぜシェークスピアのロミオとジュリエットなのかという必然性がなおざりにされてしまった。

前代未聞の状況下で 関係各位はさぞたいへんだったと思うが 若手の演劇関係者は 謙虚というものを身につけてほしい。運営がしだいにいいかげんになり 受付も演出補佐も 礼を失した言動があったことは否めない。ついぞ陥りやすいのが演劇をしているオレは ワタシは特別だ という選民意識である。そこに堕してしまったら 役者としてはアウトだと思う。演劇の本質を見失っているからだ。

 

 

わたしはノゾエさんが 年配の参加者に滑稽な大仰な演技指導をしたのは間違いだと思う。なかにはきちんと台詞を言われた方もいて そのことばは胸を打ったのだから。だが つぎのひとがわざとらしい台詞回しをするとそこでジエンド。あの方たちは きちんと教えれば ふつうにきちんと台詞が言えたと思う。

素人の高齢の参加者をこんなものだと見下してはいなかったか。そして観客を見くびってはいなかったか。もし この試みに今後があるとしたら 今回のことを踏まえて よりよいものにしていただきたいと切に願う。

1万人のゴールドシアターは 高齢者 ネクストシアター ゴールドシアター 参加した方々のためのものであって 高齢者にとっては半年間の生きがい 関係者には幾分かの実入りにはなっただろうが観客に見せる 3000円のチケット代をとる内容ではなかった。

 七色の町(この歌手はいったいダレ ) ドレミは効を奏していなかったが 歌 音楽 というものにどれほどのちからがあるか見せつけられた。生きるもののうたとボレロがなかったらこの試みは成り立ちもしなかった。その意味で慧眼というべきか。そして 唯一芝居らしかった決闘のあとの群集シーン・呼びかけ これをもっと生かせばよかったのに.....そのふたつは勉強になった。

 参加者のみなさまへ

ずけずけと書いてごめんなさい。わたしはウソがつけないのです。今後 芝居を続けたい方もおられるだろうが 観客の心に迫るリアルな台詞にするのは苦労なさることでしょう。でも あきらめないで 芝居にチャレンジしてください。芝居とは生きることを学ぶことです。ですから 役者でひとをたいせつにできないひとは本物ではありません。人生 死ぬまで 学びです。俳優 わざおぎとは 役者とは このことばは深い意味を持っています。差し出がましいことを申しました。どうか真摯に芝居にむきあってください。本来 芝居は ちいさな小屋のものです。 観客と役者の息遣いを感じる場所で その醍醐味をあじわってください。みなさまのご健勝とゆくてのさいわいをお祈り申し上げます。自分のためだけでなく 日本をすこしでもよい状態にして 次の世代に託す 現役引退の如何に関わらず わたしたちは その責務を負っている わたしはそう信じています。ありがとうございました。

 .....

劇団昴 のある方が あきらめない オレたちは 芝居で 戦う 芝居でこの国をかえるんだ とおっしゃったことを ふと 思い出しました。

 



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
ご意見、ほとんど同感です。 (一万人のゴールドシアター出演者)
2016-12-08 12:31:11
こんにちは。高齢者の知見・尊厳、あるいは醜悪さにまるで触れない赤点スレスレの台本を、健気な高齢出演者が75点の公演にした、という感じです。稽古した体育館の2倍の広さもあろうかというアリーナでは、売りのはずの群衆・群舞シーンは貧弱に見えました。
 
 
 
ごめんなさいね (luca)
2016-12-08 16:32:13
出演者のみなさんのエネルギーが 熱い想いが アリーナの高い席からは感じ取れず 失礼な物言いになったこと お詫びもうしあげます。
もっとよいものになったはずだと思います。
でも このエネルギーを今後の人生に生かしていただけたら 十二分に価値はあったと思うのです。
わたしは 語りを学ぶために 芝居から多くを得ました。演劇関係者には人格的にもすばらしい方が多かった。こんな世の中です。日本はかなり危機的な状況のなかにあります。自分のためだけでなく 残してゆく 子どもや孫たちのために 老人も最後のちからを尽くすときだと思います。
参加された方々の多くは比較的恵まれた環境のなかにおいでのように お見受けしました。
わたしは 語られた夢のなかで 生きているうちに世界平和を見たい ということばが響きました。
けれども 待っているだけで それはやってはこない。行動しかありません。
その視点が ほんとうは ほしかったです。
 
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