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7月13日、天皇陛下が「生前退位」のご意向を示されたという速報が、NHKの独占スクープとして報道され、のちに新聞テレビなど各社から一斉に報道されました。このニュースは国内だけでなく、世界各国でも速報で大きく報じられています。一夜明け、主要新聞4紙はそれぞれこのニュースをどのように伝えたのでしょうか。ジャーナリストの内田誠さんが、自身のメルマガ『uttiiの電子版ウォッチ』で詳細に比較、分析しています。

 まとめ

1 天皇陛下は憲法1条と9条をしっかりつなげ それを自分の仕事として実践された日本でたったひとりの方である。

2 天皇陛下は美智子皇后とともに 太平洋戦争戦地へ慰霊の旅を続けられてきた。フィリピン・ペリリュウへの慰霊訪問がひとつの区切りになったのではないか。

3 天皇陛下は最晩年まで皇位にあり 病床のまま亡くなられた先帝の姿を思い起こされいつまで天皇の責務を果たしてゆけるか考えたうえでご判断されたのではないか。

4 天皇陛下は主権の存する国民の側が期待する天皇像とは何かを慎重に考えられ、決断されたのではないか。

5 天皇陛下は琉球新報を含め多数の新聞を読み比べておられる。平和希求の潮目が変わるかのように見える今日 あえて近代では異例の生前譲位を考えられたのではないか。

6 天皇陛下は即位の時の、「憲法を国民とともに守っていきたい」という言葉に厳格に忠実な生き方をしようとしておられるのではないか。

7 将来にわたって天皇が象徴であり続けるために、元気なうちに議論が動き出さないといけないという非常に高度なご判断があったのではないか。

8 皇室典範を見直し、女系天皇の存在を認め、女性宮家にも象徴的な仕事をやってほしいとの気持ちをお持ちなのではないか。

9 皇太子さまの即位後は、皇位継承が秋篠宮さまと長男悠仁さまの順になり、天皇家に対し秋篠宮家の比重が高まる不安定な状況が生まれる。こうした事態に対する不安感が一因となり、明治以来の制度、仕組みを変える革命的な決断を下したのではないか。

 

⇒ こちら   以下転載

もちろん、想像の域を出ないのだが、息子たちに「帝王学」を施している姿、公務負担の軽減について「しばらくはこのままでいきたいと考えています」との発言、こうしたことを勘案すれば、天皇陛下は、象徴として求められる公務を減らしたり、譲ったりすることはできないと考え、ならば、皇位そのものを譲るべきだと考えたのだろう。

 《読売》が「憲法上の立場に慎重配慮」と仰々しく書いているのは、単に担当編集委員の思慮が足りないせいではなく、憲法が何かの障害になっているというイメージ、憲法は建前であって、(天皇陛下が生前退位を希望しているという)現実とは距離があるという印象を振りまこうとしたからではないか。そんな疑問が浮かんでくる。

この問題は、国の最高法規の第一条に規定された存在として、象徴天皇としての役割を全うしたいという天皇陛下の強い意志を前提に考えるべきことだと思う。そして、その象徴としての仕事とは、国民統合の象徴としてあり続け、内外の戦没者に鎮魂の祈りを捧げ、許しを請うこと、そのように意識されているのではないか。

天皇陛下は「多数の新聞を毎日読み比べて国民世論の動向に配慮し…国民統合の象徴として行動されてきた」とし、「主権の存する国民の側が期待する天皇像とは何かを慎重に考えられ、決断されたのではないか」という。また、譲位の発想は近代日本になかったわけではないという。

保坂氏はフィリピンやペリリューの慰霊訪問が「1つの区切り」となったのではないかと言う。最晩年まで皇位にあり、病床のままなくなられた先帝の姿も参考にし、いつまで天皇としての責務を果たしていけるか考えられた上での判断だろうとも。「陛下は長く、美智子さまとともに、大戦の犠牲者の追悼と慰霊を繰り返し、戦後の慰霊を紡いでこられた。」「一方で、そうした平和希求の潮目が変わるかのようにみえる今日、あえて近代では異例の生前譲位の意向を示されることの意味を、私たちは考える必要がある。」と。

半藤一利さんのコメントの中で印象的なのは、陛下は「憲法1条と9条をしっかりとつなげ、それを自分の仕事として実践された、日本でもたった1人の方」という部分。

原武史さんは、「長いスパンで天皇制のことを考え、出した結論なのだと思う」という。また、「象徴としての天皇が果たすべき役割とは何か、深い議論がなされないまま戦後70年が経過した。生前退位を打ち出すことで、冷静な国民的議論がわき起こることを望んでいるようにも感じる」としている。

半藤さんと原武史さんには、《東京》も話を聞いている。

uttiiの眼

加藤さんが言われるように、天皇陛下は新聞をいくつも読んでいて、琉球新報と沖縄タイムスも読んでいるらしい。沖縄についての思いが深いことについては、《東京》の「筆洗」が記している。

 「筆洗」について簡単に記す。天皇陛下は皇太子時代の75年、沖縄海洋博の機会に初めて沖縄を訪問、戦績に足を運ぶことを強く望んだという。宮内庁の反対にあい、沖縄学の泰斗、外間守善さんを招いて話を聞き、外間さんが「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心して下さい」と言うと、「何が起きても、受けます」と答えたという。そして実際、「ひめゆりの塔で火炎瓶を投げ付けられる事件が起きる。それでも天皇陛下は予定を変えず、戦跡を巡って祈りを捧げ続けたと。

 

 本筋は女性天皇?

東京】は2面で5人の識者に話を聞いている。そのうち2人は《毎日》も話を聞いている半藤一利さんと原武史さん。あとの3人は所功(京都産業大学名誉教授・日本法制史)、河西秀哉(神戸女学院大学准教授・日本近現代史)、古川隆久(日本大学教授・日本近代史)の3方。所氏は、「天皇、皇后両陛下とも高齢になった。そのことにご懸念を持たれていると漏れ聞いたことはある」とし、「将来にわたって天皇が象徴であり続けるために、元気なうちに議論が動き出さないといけないという非常に高度なご判断があったのだろう」と推測する。河西氏は「近代になって初めてのことであり、歴史的に大きな転換点になる」と指摘。「皇室典範を見直し、女系天皇の存在を認め、女性宮家にも象徴的な仕事をやってほしいとの気持ちをお持ちなのでは」と。

uttiiの眼

原武史さんの話は、実は超具体的。《毎日》は、何かを慮って文字にできなかったのかもしれない。《東京》の記事の中で、原さんはこんなことを言っている。

「皇太子さまの即位後は、皇位継承が秋篠宮さまと長男悠仁さまの順になり、天皇家に対し秋篠宮家の比重が高まる不安定な状況が生まれる。こうした事態に対する不安感が一因となり、明治以来の制度、仕組みを変える革命的な決断を下したのでは。」原さんの言われる通りだとすると、「生前退位」の話の奥にはもう一つ大事な話があって、河西氏も言っていることだが、女性天皇女系天皇も認めるような制度の変更が求められていることになる。少なくとも、そこにつながるような、皇室典範の改正論を巻き起こそうということか。

 やはり天皇陛下は即位の時の、「憲法を国民とともに守っていきたい」という言葉に厳格に忠実な生き方をしようとしておられるのだと思う。それ以上の表現が見つからない。

                                                                            以上

 

さて 自民党・日本会議の思惑とは....

自民党の改憲案には 天皇制の意味を大きくし 国民主権や国民の基本的人権を狭めようと言う強い意志を感じる。

しかし それは 自民党や日本会議や安倍首相が 天皇の御名をつかって 自分たちの力 その影の存在の力を 拡大しようとしているのに過ぎないのである。ネットで秋篠宮を持ち上げるのも根はおなじである。

思慮深い天皇陛下は 先帝が利用され その名でもって 戦争がおこされ 国民が塗炭の苦しみをなめ 戦地で飢餓で死んだこと 内地で空襲で原爆で灼かれたことを 深く省みられて もったいなくもご自分の勤めと慰霊の旅をかたくななほどに続けられたではないだろうか。再び 天皇家が利用されようとしていることに危惧されて 国民と国を思っての今回のご発言なのではないだろうか。そのお気持ちを考えると申し訳なさ ありがたさに涙がこぼれるのである。

日本会議 自民党 安倍首相は よくよく 天皇陛下のお考えを忖度していただきたいものである。

そして 美智子皇后 皇太子殿下 雅子さまに不遜なことばを投げつけるやからはいったい ダレの手先なのか。カワシマ家についてよくよくご存知なのか承りたいものです。

 



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