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石牟礼道子 「天の億土」語りと音楽、映像  座・高円寺

舞台は1、2部とも女優の佐々木愛さんによる朗読と、原郷界山さんの尺八、アーティストの金大偉さんのピアノなどの演奏を組み合わせて構成。スクリーンには水俣の海や自然などをモチーフに金さんが制作した映像が流れる。

1部は昨春、刊行された「全句集 泣きなが原」に収録されている俳句の朗読 
 
祈るべき天とおもえど天の病む
さくらさくらわが不知火はひかり凪
毒死列島身悶えしつつ野辺の花

闇の中に草の小径が見える。 その小径の向こうのほうに花が一輪見えている。

石牟礼さんの研ぎ澄まされたことばの切っ先が鈍い。花が揺らがない。映像はときに響きから生まれるイメージの邪魔をする。眠くなってしまった。

 

2部は 新作能「沖の宮」をもとにした語り劇 島原の乱で一揆軍を率いた天草四郎や民衆の霊魂と、水俣病の患者、家族の苦闘がこの物語に重ねられているという。

ワキ 石牟礼道子に佐々木愛が扮している。 シテ天草四郎 シテツレ?佐吉 乳母 アヤ 乳母の娘アヤが生者なので夢幻能は成立しない。 数年後 旱魃 アヤは雨乞いのため龍神に捧げられる人身御供にされ 天草軍の紅い旗で縫われた衣を着せられ 舟に乗せられ 真っ赤に染まる夕焼けの海を 沖ノ島に向かって流される。沖の島は いのちつかさどる母神さまのおわすところ 天草四郎の首が棄てられたところ.... 雨を給え 雨を給え 笛と鉦の音 女たちの雨乞いのコロス 突然 天地を引き裂く雷鳴 ふと見れば 舟の上にアヤの姿はない。雷がアヤを撃った。 アヤさまは 嘆きの世から 母神さまのもとへ行かれた。四郎さまにみちびかれて .... 泣く女たち 画面いっぱいにマンジュシャゲ

全体におもしろかった。音楽ピアノ尺八は秀逸 よく鳴っていた。映像も控えめでよかった....ただ 夢幻能なんか現代能なのか構成がいまいちわからないのと アヤが龍神の娘とあるのに 龍神に捧げられるのが疑問 アヤの気持ちが入っていればとも思った。 アヤは村人の犠牲にされたのか ........それともアヤの献身なのか

水俣病と 天草の乱と 重ね合わせているなら 権力の犠牲になったということだろうけれど 天草の村人が少女アヤに犠牲を強いたとなると 怖い怖い話である。そんなこんなで疑問が生まれるとものがたりに全霊を投入できない。

佐吉の役の キレ ハリがよく ものがたりに入れた。四郎は口跡も人物像も甘くて残念。佐々木さんはさすがであるが 乳母とアヤは別のひとが演じたほうがよかったとわたしは思う。うまさが先に来て 入り込めない。それに わたしは 読み語り 読み芝居 はどうかと思う...どうも 響きになりきらない ひとによって台本の残滓をひきずる感じ ねとっとする感じがある いさぎよく響きが響きとして身から離れて観客に震えるようにつたわり消えてゆくのがすきなのだ

電車の中であった さる演出家さんが 新劇は 謡いの素養がないとおっしゃっていた。義太夫が継承とおっしゃるので 素朴なかたちでアイヌの神謡 沖縄のうた (どちらももとは 神にささげたもの) に継承されているのではと 申しましたら アイヌのCDを聞いたが継承していないようだ 沖縄にはあるだろうが 時間の問題との事。

あ やっぱりと思いました。実は 今年 島に行きたいと思っていたのです。うなり とファルセット くるっとひっくりがえる声 自分のものにできたら...

いろいろ申しましたがよき時間でした。出演者のみなさまありがとうございました。響子さん お誘いありがとうございました。オファーもありがとう。 神語り 提示させていただきたいです。身体 魂 削って削ります。



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