遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

先日 仕事で 虎ノ門に行きました。裏手に神社があり 神谷町から九十九折の階段を上って御手洗 みたらし で清めたあと  お参りしたのは 弁天様 イチキシマヒメノミコトの木の立て札もありました。

瀬織津姫です。

本殿の氣は もっと強かった...くらくらしました。境内のそこここにとても強い氣がありました。この地は護られているのでしょう。

主祭神 火産霊命(ほむすびのみこと)〈火の神〉
【配祀】 罔象女命(みずはのめのみこと)〈水の神〉
     大山祇命(おおやまづみのみこと)〈山の神〉
     日本武尊(やまとたけるのみこと)〈武徳の神〉

みずはのめのみこととは 瀬織津姫の別名です。

愛宕と白山と瀬織津比  ⇒ こちら

以下転載

ところが愛宕山の本来の信仰が、白山と同じであると考えるならば、何故伊邪那美と火之迦具土神が祀られているのか納得するのである。五来重氏は白山を「殯(もがり)」と評している。白山の神事は擬死再生を現している為、白山の本来は、生と死が交差しているとの考えからだろう。

 

白山 愛宕山 秦氏 おしらさま 菊理姫 蚕飼神社 ⇒ こちら

以下転載

愛宕山は「秦氏の山岳信仰の対象になっていた聖山」で、この山には「白山[はくさん]」の異称があること、また、愛宕山「開山」のあと、養老元年(七一七)、加賀・越前・美濃の境界山である白山の「開山」に関わる泰澄は「秦氏出身」である──。

 秦氏が「聖山」と仰ぐ愛宕山には愛宕神社の本社がありますが、全国的視野からいえば唯一の例外となるものの、東北の山深い里である遠野郷においては、戦前まで、愛宕神は瀬織津姫神と伝えられていました(『綾織村誌』)。
 また、泰澄は「鎮護国家法師」の名のもとに白山の本源神を十一面観音に置き換えて伏せるも(※ 瀬織津姫・菊理姫とも十一面観音)そこには、愛宕山と同じく瀬織津姫神がいました(菊池展明『円空と瀬織津姫』)。
 秦氏と白山神祭祀が濃密な関係にあることについては、滋賀県の園城寺(三井寺)の鎮守神に三尾明神・新羅明神・白山明神がみられ、このうちの三尾明神に関する『寺門伝記補録』に決定的ともいえる記述があります(『秦氏の研究』所収)。
 
 三尾神、在於北道 現白山明神 彼此一体分身神也〔中略〕社司秦河勝之胤 有臣国ト云者 始任当社神職 自厥以来 秦氏連綿相継
 
 中世に成る『寺門伝記補録』ですが、三尾明神と白山明神は「一体分身神」とあり、いつのことかは不明であるものの、秦河勝の末裔「臣国」なる者が初めて神職となり、それ以来、秦氏が「連綿相継」いで神職をつとめているという内容です。
 大和氏は、秦氏の本拠地における祭祀社として木島神社(木島坐天照御魂神社)の名を挙げていましたが、同社は「蚕の社」と親称されています。これは、天照御魂神社と蚕養[こかい]神社が並んでまつられているからですが、秦氏のさまざまな殖産技術の一つに養蚕・機織があります。
 白山・愛宕山の表層祭祀からは消えていますが、瀬織津姫神もまた養蚕・機織の神であり、東北においてはオシラ神でもあったことは『エミシの国の女神』がすでに考証していることです。『秦氏の研究』は、オシラ神の研究者でもあったニコライ・ネフスキィによる柳田國男宛ての書簡を引用していて、そこにも、決定的なことが書かれています。
 
「東北地方のオシラ神はよく養蚕の神だと云はるゝ理由は、仰せの如く当地方では蚕の事をシロコとかシラコとか云ふ為でせう。米沢城三の郭の中の白子大明神之社、一名宮城子[みやきこ]、白子村の名有、宮城郷是也云々。白子大明神記因に云〔中略〕大物忌之神之社の垂跡なり。和同[ママ]年中、此御神之示現に依て、此地の桑林へ蚕を降らす。其白き事雪の降るがごとし。故に号て此地を白子村と云ふ、云々。右の神社の末社の中には子玉の社あり蚕神殿を祭ると云ふ(右は米沢里人談に依る)」
 
 白子大明神(オシラ神)の縁起書(「白子大明神記」)には、この神は「大物忌之神之社の垂跡」だとあります。米沢城の地の桑林へ蚕を雪のごとくに降らせたとされる大物忌神は、ニギハヤヒの降臨伝承をもつ出羽の鳥海山の主神です。この神が、奥羽山脈を越えた陸奥国(宮城県)側へやってくると、そこでは大物忌神の異称として瀬織津姫神の名が明かされることになります(『玉造郡誌』)。蛇足ながら、鳥海山においては、瀬織津姫神は現在、一之瀧神社・二之瀧神社に「滝神」としてまつられていることを添えておきます。

以上

 

なぜ 行くところ 行くところで 瀬織津姫の御袖を伏し拝むことになるのでしょう。一昨年 蚕飼神社にご参拝した意味も 今わかりました。

わたしはなにをすればいいのだろう。ひとつは『御名を知らしめよ』 ということなのでしょうか? いまひとつは いのちと死と再生をつたえることなのかもしれません。

権力から隠されても隠されても 地のひとびとは心あるひとたちは 瀬織津姫を信仰し慕いつづけました。わたしもその末に連なるもののひとりです。

12/7 奈良祐二さんとのコラボについて ものがたりが決まりました。



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