遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  ほんとうにひさびさの休日....仕事もワークショップもなく旅行でもなく家にいられる素敵な日、娘を試験場に送った帰り道、あたらしいカフェをみつけて末の娘とモーニングサービスをいただきました。木の香り、テラコッタのタイル、ピアノの音色...祝祭日の気分です。

  いい材料をつかって、心をこめてこしらえられた料理は身体も心も癒してくれます。焼きたてパンに手づくりのジャム、淹れたての深煎りコーヒー....でほっこりして、家に帰ったら家事さえも楽しい。洗濯と掃除のあとテレビをつけたら、バドミントンの決勝生中継がはじまるところでした。

  君臨してきた小椋潮田ペアが解散するとかでオリンピック四位入賞の末次前田ペアと優勝をかけて最後の戦いなのだそうです。.....息もつかせぬラリーの応酬でした。.....なんてうつくしいんだろう。ダブルスのふたりの選手の呼吸、まなざし、躍動する肢体、わたしは魅入られてしまいました。集中する目、その目には余分なものはひとかけらもない....ことにオグシオと呼ばれるふたりの...透明な...と言ったらいいのか熱に浮かされたようなといったらいいのかまっすぐなまなざしはいまもわたし自身の目に焼きついています。

  夜はフィギュアのグランプリシリーズフランス大会の放送がありました。浅田真央さんの身体から変わっているのに驚きました。研ぎ澄まされたような肢体の美しさ、ステップやスピンの優雅なうつくしさ....素人目にもわかる難易度の高さから彼女が果敢な挑戦をしているのがわかって、思わず慄きました。残念なことにまだプログラムが自分のものになっていないようで失敗もあり、二位におわりました。おそらく浅田真央さんが昨年までの延長上で演技をしたのなら、ずっといい点がとれたと思うのです。

  でも、真央さんは自分のフィギュアスケートの世界をもっとひろげたい、限界に挑みたい、もっと美しくもっと優雅に観客にモノガタリを届けたいのだと思います。それは競技に勝つためでありながらアーティストの生き方でもあって、各国の選手たちが綺羅星のようにいならぶなかで、そのあこがれに似た挑戦が浅田真央さんをひときわ輝かしくしているように思います。ルール改正もあって女王を維持するのはむつかしいかも知れないがメダルだけではない...とわたしは思います。そのあきらめることも飽くこともない挑戦は見るものにどれだけ勇気をくれることでしょう。プログラムでしめされるものがたりの奥に浅田真央さん自身のものがたりが見える、また小椋潮田ペアのプレイにふたりのドラマとふたりの歴史があるからわたしたちを揺り動かすのでしょう。

  語りもそうなんだと思うのです。ものがたりのむこうに語り手のモノガタリが見えるのではないか....かさなりあったものがたりが聴き手の心に響くのではないか.....わたしはそういうモノガタリを聴きたいと思うし、自分でもそのように語りたい.....アスリートたちから学ぶことはたくさんあります。集中、大胆さと繊細さ、ミスしたとき持ち直す精神力、そして身体のコントロール...磨きつづけること。....というわけで 今夜わたしはしっかりトレーニングをして、ビウエラのレッスンもみっちりいたしました。これがつづくといいのですが....。




※ 前回のブログでテキストから離れて....というのは勝手に語る....という意味ではありません。テキスト...原稿の「文字」からはなれものがたりの本質を語るという意味で書いています。

  

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