遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   歌う..ことばはアイヌの神謡や沖縄の古謡に残っているように特別なことばでした。中世のヨーロッパの語り芸人ジョン・グルールも日本の琵琶語りや瞽女も歌いつつ楽器を爪弾きつつ語ります。

   残念ながらこの伝統は近代の語り手には継承されていないようです。...というのも近代の語りというものが昔話を炉辺で語ることの延長、そして図書館における口演童話やストーリーテリングの流れから生まれ いはばプロである漂泊の或は路傍の語り手から継承されたのではないからでしょう。

   目を翻すと 昔フォークソングというものが一世を風靡しました。あれは中世の語り手の係累のようなものだったのかもしれません。芸能としての語りは音楽界に根付いたといえるのではと思うのです。シンガーアンドソングライターといわれるひとたちがいます。自分のことばで歌う また自分で旋律をつけて楽器を弾きながらソロでまたグループで活動している歌い手です。

.......彼らの歌を聴くとそれはみじかいながらモノガタリになっています。亡くなった恋人をしのぶ歌....それはそのまま鎮魂の語りです。地上に墜とされたわたし...生きてゆくことの不条理 それでも歌いつづけるわたし...癒しと魂振いの語り...です。わかいひとたちが自分たちの生とかさね 聴きたいとのぞみ歌おうとする理由がよくわかります。

    語るも歌うももとはカツ、ウツという古語で魂に響かせるという意味でした。現代ではまさにそのふたつ歌と語りに分化してしまいました。....そして残念ながら語りの旗色はそんなによくはありません。語りはマイナーなものですし 学校で子どもたちに語られる...半ば強制的に....ことはあっても その後わかいひとたちが語りに親しむ場所がない....さらに学校でのストーリーテリングの多くは読書の奨励の一環として行われることが半ばではないかと思うのです。

    そういうことからも若い人が語り手になろうという機運が育ちそうにありません。語りは一部愛好者の 熟年や老年のひとたちの楽しみになってしまうのではないか....それもよいけれど....わたしはそんなふうに考えています。....A小で語りはじめて二年になりますが 子どもたちが贈ってくれた感想文集に 語れるようになりたい...という気持ちが綴られていました。それをどうにかできないか...これはわたしの課題です。

    そして 昨今の「歌」に匹敵する語り....感動しカタルシスと生きる力を手渡せる語り ...たぶん今までの既成概念を越えた 文学にたよることのない あたらしい語り 歌 音楽 演劇的なものからも霊感を得て 若いひとたちのこころをとらえ 語り手を志したいと願うような語りを創造してゆくこと....それが語り手たちの世界の課題ではなかろうか どれだけの語り手が夢み 一歩を踏み出せるか そのことがわたしたちが携わっている語りというものの深さと本来持っている力を復活させる鍵になるのではと秋の長夜に思うのです。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )