図書館のまえでわかいおかあさんたちに「先生っ」と声をかけられました。ことし一月 幼稚園のおかあさんとこどもたちのおはなし会で聴いてくれたおかあさんたちでした。「今週 おはなし会があるんですよね、子どもたちだけですか?」……そう 年少さんのためのおはなし会があるのです。…..でも まだなんの準備もしていません、とりあえず 今日はトムの会の発表会です。
おもいのほか お客さまがみえて 客席はだいぶ埋まっていました。…..なにとなし落ち着きません。おなかがすいたので水をのんで ふくらませることにしました。.......トークからはじめました。大昔から炉端やそのほかの場所でされていたようにたいせつなことを文字ではなく生きていることばで手わたす、それが語りだと感じています…だれかの代わりになにかの代わりに….4つの詩をその詩を書かれた方の代わりに語らせていただきました。いいかわるいかわかりませんが 最後に即興で音のひびきだけの歌をいれました。…..。
終わったとたん熱がでて わたしは座り込んでしまいました。泣きぬれている方 泣きじゃくっている方もいたし 手をとって「きてよかったです」という方もいました。...こんなふうにか語れたらという方も 呆然としている方も 暗すぎるという評 吉永小百合さんのやさしい声がいいという評もありました。わたしはそのまま うけとめ 悔いもなくとてもやすらかな気持ちでおりました。 こんな静かに充ちたりた気持ちははじめて舞台に立って以来のことでした。
わたしは今日 客席の方々のためにのみ語ったのではありませんでした。ヒロシマナガサキの被爆者の方々 戦地で亡くなられた方々の鎮魂のためにも語ったのです。...それを魂振りの語りにできたかといえば自信はありません。おそらく今日はそこまでは至らなかったでしょう。.....けれどまだあしたがあります。楽しくて浮き立つ語りも生きる力がふつふつと湧いてくるような語りもできましょう。そのために為すべきことをひとつずつしてゆきましょう。
雲間から地上にさす光のすじを 空を舞い飛ぶしらさぎをしばらくながめていました。会社に戻ろうと車を走らせると 沼地の中州の葦の原におおきな真白な花のように しらさぎが舞い降りやすんでおりました。
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