リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

ブドウ畑と羊牧場と馬牧場と鹿牧場~ピクトン(マールボロ)

2019年12月17日 | 日々の風の吹くまま
12月17日(火曜日)。☂☁。一度も目を覚まさずによく眠ったぁ。目が覚めたらちょうどピクトンの港に入るところ。南島のほぼ北の端、ワインで有名なマールボロ地方にある人口4千人の小さな町。カーテンを開けて、まず緑の濃さにびっくり。北島の首都ウェリントンとの間を行き来するカーフェリーがけっこう頻繁に出ている。どちらかと言うと行楽地なのかな。今日のツアーはワイナリー(2ヵ所)とイングリッシュガーデン。朝からワインの試飲ってのも何だけど、せっかくワインカントリ-のマールボロまで来たんだから、やっぱりワイナリーに行ってみないとね。ということで、朝ご飯もそこそこに大型バスに乗って出発。雨がポチポチ降り出したけど、運転手兼ガイドのブルースさんが「ガーデンに着いたら雨は止めますから」。

ぴ宇トンの町を出てワインの町ブレニムに向かう途中の風景は延々とブドウ畑。その間にヒツジの牧場とウマの牧場が点在していて、数は多くないそうだけど何とシカ牧場まである(食肉と毛皮が目的)。途中に枯れた木々に覆われた湿原があって、侵略的外来種であるヤナギを駆除するために人為的に枯れ死にさせているんだそうで、すでに原生植物が復活しつつあるという話。それにしても、沼地に骸骨のような白っぽい枯れ木が累々というのは、雨が降っていることもあって、ちょっとシュールな風景。

   

まずUpton Oaks Gardenへ。夫婦が買い取ったビクトリア朝時代の別荘を修復して、3ヘクタールもある庭園を2人だけで作って運営しているそうで、2人の娘の名前を付けたゲストハウスもあるので民泊もやっているらしい。着いた頃に雨はほとんど上がって、迎えてくれたとっても素敵な奥さんが「どうぞ自由に歩き回ってください」。ロマンチックな庭園をテーマにしたというだけあって、どこぞの公爵の御曹司が伯爵令嬢とそぞろ歩きしていそうな雰囲気。

   

   

      

たくさんのバラや名前のわからない鮮やかな花々が咲き乱れていて、リンゴやイチジクが実をつけていて、ほんとに何となくロマンチックな気分になって来る。これだけの庭園を夫婦2人だけで計画して、植えて、手入れをしているなんて、ほんっとに惚れ込んでなければできないことだな。

さて、いよいよワイナリーへ。


激甚災害の名残と教訓~クライストチャーチ

2019年12月16日 | 日々の風の吹くまま
12月16日(月曜日)。☀☁。うわ、やっと暖かくなった。目が覚めたらもうクライストチャーチの郊外にあるリテルトンに接岸していて、ベランダに出たら、わ、すごく急な斜面に家、家。そのてっぺんに教会の塔があって・・・と思ってググってみたら教会とは全く関係ない「タイムボール・ステーション」と言うもので、塔の上のボールを落として港の船にグリニッジ標準時を知らせていた、デジタル時代以前の航行システム。(ニューヨークのタイムススクエアで大みそかに落とすボールも同じ仕組みで、タイムボールとしてリストされている。)リテルトンのタイムボールはクライストチャーチの大地震で大きな被害を受けて、解体の準備をしているうちに大きな余震で倒壊してしまったそうで、今見えているのはその後7年かけて再建したもの。そういえば塔の頂上に大きな球体が見える。

   

今日のツアーは午後なので、ゆっくり朝ご飯を食べて、11階のジョギングトラックを8周。ほんとに寒くない。タスマン海を渡ってからずっとこれが夏?ってくらい寒かったから、風が冷たくないのはうれしいね。海そのものが温かな色合いだし。きのうのダニーディンもそうだったけど、ニュージーランドは地図を見ると海岸線が複雑怪奇で、港が入江の奥の急斜面に囲まれているところが多いみたい。日本列島と同様に環太平洋火山帯にあるので、太古の時代の火山噴火で流れた溶岩や降り注いだ灰が大地として固まりきらないうちにどんどん侵食されてこんな複雑な地形になったんだろうな。地球の自然の摂理は人間には目もくれないのだ。気候変動だって、人間の英知で制御できると考えるのは愚の骨頂。温暖化に加担しない努力を傾けることはできても、止めることはできないし、ましてや(ずっとずっと人口が少なかった)昔のレベルに戻そうなんてのは頭でっかちの現代人の驕りでしかないと思う。

  

市内を巡ると2011年の大地震で激甚な被害を被ったクライストチャーチは今も復興途中で、いたるところに空き地、草地があって、完全に復興するのにまだ20年はかかりそうという話。震源地は私たちの船が停泊しているリテルトンのほぼ直下だったそうで、驚くほどまっ平なクライストチャーチでは液状化で何万戸という住宅が損壊し、市内では大聖堂の塔が崩壊。一番多くの死者を出したテレビ局のビルは倒れるというよりも各階が折り重なるように(パンケーキ状に)潰れたという。犠牲者の名を刻んだ白大理石の壁が川岸の公園を守るように設置されていた。日本人の犠牲者の名前はローマ字つづりに漢字も添えてあるという。

   

いきなり足元から突き上げて来る直下型地震はマグニチュードが比較的小さくても大きな被害が出るから怖い。でも、液状化が激しかった区域には二度と住宅を建てることはないそうだし、市の中心部の新しいビルには日本から導入した免振装置が取り入れられているそうなので、クライストチャーチはしっかりと教訓を得て将来に備えていることは確か。午後6時、水先案内のボートに送られて、リテルトンを出港。キア・カハ、クライストチャーチ!

   



地球の反対側のスコットランド~ダニーディン

2019年12月16日 | 日々の風の吹くまま
12月15日(日曜日)。☀☁☂。ダニーディン。クルーズ船が接岸するのは細長い入江の中ほどのポートチャーマーズ。朝起きてカーテンを開けたら、目の前にコンテナの山。コンテナ埠頭にクルーズターミナルを隣接した形で、ホランドアメリカのNoordam号が停泊していた。私たちはトラベルエージェントのジェフがアレンジしてくれたツアーがあるので、朝ご飯は軽くコンティネンタル。参加者6人、Virtuosoの代表2人にガイドと運転手で、地元のツアー会社が手配したのは大型バス。ダニーディンは昔は金の採掘で栄えたものの、金の枯渇と共に没落したために、全盛時代に建てられたエドワード朝の住居や建物が開発の波を逃れていたるところに残っていて、黒い火山岩と白い砂岩を対照させた建物はみごと。今のダニーディン(エディンバラのスコットランド語名)の主要産業は「教育」。学生数2万人を超えるニュージーランドきっての名門オタゴ大学はダニーディン中心部の広大な一等地を占めていて、高速道路をまっすぐに通せなかったという話。

    オタゴ大学
 
   

最初の訪問先はOlveston House。貿易で財を成したユダヤ系イギリス人が建てた邸宅で、息子に子供がなく、生涯未婚だった娘が遺言で邸宅を美術工芸品のコレクションと共にそっくりダニーディン市に遺贈したもの。ジャコビアン様式の屋敷の内装はほぼオリジナルで、エドワード朝を舞台にしたイギリスのドラマの雰囲気そのまま。どの部屋にも使用人を呼ぶための紐が下がっていて、地下の廊下で呼び出している部屋がわかるしくみになっていた。紐を引っ張ったら執事のジーヴスが現れそうな感じだな。邸内では写真撮影ができないので、DVDを買って来た。

入江の反対側オタゴ半島にあるGlenfalloch Gardensへ。19世紀の後半に実業家が邸宅を建てて、ニュージーランド固有の植物の他にヨーロッパから持ち込まれた植物を集めて作り上げたのが12ヘクタールの庭園。今はオタゴ半島トラストが所有していて、私たちはガーデナーの案内で30分ほどシダの繁る小道でニュージーランドの国章になっている巨大なシダや鬱蒼とした林の中に立っている樹齢千年のマタイ(原生のクロマツ)、巨木に育ったフクシャ(と最小の種類)やシャクナゲを見て回ってから、付属のレストランで3コースのランチ。デザートのころにNoordamからのツアーらしい大人数のグループが入って来てテーブルに着くと、バグパイプの伴奏で男の子と女の子がスコットランドの踊りを披露。次いで大皿に載ったハギスが登場して、頭からつま先までハイランド衣装のおっちゃんがスコットランドの伝統儀式をおもしろおかしく披露。私たちもついでに楽しませてもらっちゃった。

   

ダニーディンは後にしてきた故郷エディンバラを常に意識して発展して来たらしい。オタゴ大学が医学に力を入れて来たのも医学の高峰として有名だったエディンバラ大学に対抗してのことだというから、スコットランド人のこだわりはすごい。帰りに立ち寄ったダニーディン駅は床一面が細かなタイルのモザイクで、まるでおとぎの国の駅。でも、廃線になる計画があるとか・・・。

   


大海原のまっただ中で思うこと

2019年12月14日 | 日々の風の吹くまま
12月14日(日曜日)。☀☀。夜の間かなり揺れたけど、朝には波も穏やかで、気温も上がって来た。ニュージーランド南島の南端をぐるっと回って東側に出る途中で、今日も1日中海の上。でも、私たちの船室がある左舷の遠くに陸地が見える。朝ご飯のときは右舷にも島が見えたし、左舷の陸地には灯台のある町が見えた。地図によると、だいたい南島とさらに南にあるスチュアート島の間の海峡を通過中。次の寄港地のダニーディンまではまだずいぶんあるなあ。

ニュージーランド北島沖の火山島が噴火したときに島にいた47人のほとんどがその朝タウランガに着いたクルーズ船の乗客で、船会社がセットした1人3万円だかのツアーに参加した人たち。4日にシドニーを出たと聞いて、あ、私たちがシドニーに着いた日にサーキュラーキーに停泊していたあの船。私たちが乗っているSilver Museを持つシルバーシーの親会社であるロイヤルカリビアンのOvation of the Seasで乗客数最大4900人。あの日サーキュラーキーの公園を散歩していてすれ違った大勢の人たちの中にあの船に乗った人たちがいただろうし、もしかしたら噴火の犠牲になった人がいたかもしれない。運命と言ってしまえばそれまでなんだけど、警戒レベルが上がっているときに火口原に行ったのは火山をまったく知らなかったからだろうな。

近ごろの特に若い人たちは警戒心と言うか、危険なものを危険と判断する能力が欠けているような気がする。母親世代が子供の周りから心身を脅かすものをやみくもに排除して来た結果、子供たちは痛い思いをして危険を学んで身を守る知恵を蓄える機会を持たずに育ってしまって、どんなことをやっても大丈夫だと思い込んでいて、危ないことをしてケガをしたら真っ先に「責任者」探し。やってはいけないことをやってケガをしたのに止めてくれなかったヤツが悪い。どこを見ても普通に育ったいい子が遊びでドラッグをやって死んでしまったのは政府の規制が緩いせい。誰かに何か言われて傷ついたのは社会が悪い。近ごろのニュースメディアはそういう話でいっぱいという感じ。

水平線しか見えない大海の真っただ中にいると、人類は太古の時代から想像ばかりが先立つ未知の世界にありったけの知恵と勇気を振り絞って挑戦して、知識を積み重ねて進化して来たんだなあという感歎が湧いて来る。でも、技術の発達やソーシャルメディアの隆盛でその莫大な知識を有効に活用する知恵が退化し始めたんじゃないかという気がする。この世界には人間の思考力ではどうにもできない底知れない潮の流れがあるような気がするから、そういう宿命なんだとすればそれまでだけど、まったく新しい意味での「大航海時代」が来なければ、人間は頭でっかちのデータバンクでしかなくなってしまうかもしれないな・・・なぁ~んて。


豪快なフィヨルドの旅~ダスキーサウンド

2019年12月13日 | 日々の風の吹くまま
12月13日(その3)。🌤☁☂。フィヨルドの3つ目はダスキーサウンド。つかの間の青空の後でまた雲が広がって、フィヨルドに入る頃には今にも雨が降り出しそうな空模様。このあたりでは海が荒れがちなのも、雨がちなのもいたって普通の天気らしい。ダスキーサウンドに入ったのは5時半。険しい山肌は緑に覆われているし、ミルフォードサウンドに君臨していたような絶壁はないけど、水面からすっくと立ち上がったという印象は同じだけど、滝の多さでは一段上を行っているかも。山腹にいくつも白い筋が見えて、近づいて来るとそれが茂みの間や岩壁を伝って海までなだれ落ちる滝だとわかる。水源が雪解け水なのか、雨や霧なのか、湧き水なのかはわからないけど、海の上からしか見えないだろうな。どれも名前がついているのかな。

   

   

      

雨が降り出したし、風も強くなって来たので、ベランダでの撮影には2枚重ねの上にさらにジャケットを着込んでの大奮闘。それでもだんだん体の芯まで冷えて来て、山も島も低く、丸くなって来たからそろそろフィヨルドの出口のようだし、出るレストランが開く時間なので、写真撮影は終了。今日1日だけでビデオと合わせて330枚、シドニーを出てからの合計だともう1000枚に達したかな。あぁ~あ、後で整理するのがタイヘンだぞ。

晩ご飯はシーフードレストランのAtlantide。勧められた白ワインはオーストラリア産のソヴィニョンブラン。オーストラリアは赤のシラズが自慢だと思っていたら、ソヴィニョンブランもイケてるじゃない。ソヴィニョンブランと言えばニュージーランドのマールボロが有名だけど、もしかしてお株を奪ってしまうかも。次の次の次の寄港地ピクトンではマールボロのワイナリーのツアーに行くから、飲み比べてみよう。さて、寝酒はSilver Noteでエレーヌとアンドレのジャズを聴きながらのひととき。波が高くなって来たので、今夜はひと揺れしそう。はて、酔っぱらったら、波のせい?船のせい?それとも・・・。


豪快なフィヨルドの旅~ダウトフルサウンド

2019年12月13日 | 日々の風の吹くまま
12月13日(その2)。☁🌤。フィヨルドの2つ目はダウトフルサウンド。雨がやんで、空が何となく明るくなって来た。ランチを済ませて、カメラを持って待機。1時ごろにフィヨルドの入り口が見えて来たので、11階のデッキへ。風が強いので数分で10階のプールデッキへ。ヒーターの下でランチを食べている人たちがいてびっくり。いいスポットがないので9階のデッキへ。ここで次々と現れる感じの滝をパチパチ。バッテリが切れたので船室に戻って、バッテリを交換して今度はベランダからパチパチ。ここの山はあまり高くないなあと思っていたら、霧が薄くなって突然目の上に頂上が現れてびっくり。見上げていると首が痛くなる高さ。フィヨルドはものすごい自然のパワーを感じさせてくれる。

   

   

青空がのぞいても波はまだ荒い。とんがる白波に風が吹きつけると細かなしぶきが飛んで、一瞬うっすらと虹がかかる。改めて海はすごいと感じる。ベランダから写真を撮っていて、2時になったのであわててまた5階のシアターへ。教養講座その2で、テーマは『私たちの太陽系』。今日は一応は「フィヨルド観光」があるけど、船を降りないのでDay at Seaの3日目。ということはもう3日も陸地を踏んでいないってことか。次の寄港地ダニーディン(ポートチャーマーズ)に着くのは明後日なので、あしたもまた海の上での1日だから4日連続でバランスボールに座っているようなもので、陸地に足を下ろした気分はどんな感じかな。


豪快なフィヨルドの旅~ミルフォードサウンド

2019年12月13日 | 日々の風の吹くまま
12月13日(金曜日)。🌂☂。夜の間少し揺れていたけど、目が覚めたら嘘のように穏やか。今日は3つのフィヨルドをクルーズして回ることになっているので、そろそろ陸地が見えるかと思って寝ぼけ頭でカーテンを開けたら、うわわわぁ~っ。いきなり目の前に絶壁がそそり立ったもので、一気にしゃきっと目が覚めた。午前7時。これがミルフォードサウンド。船は超低速でしずしずと入江の奥へ。水面から首を反らして見上げる高さにそそり立つ山壁のあちこちで滝が流れ落ちていて、山の頂上には雪渓が点在していて、海鳥の鳴き声が聞こえて来る、荘厳としか言いようのない雰囲気。

朝ご飯を食べに行ったら、みんなまず船尾のデッキに出て写真をパチパチ。そのうち船尾デッキのテーブルが大賑わいで、みんなパーカやジャケットの重装備。コーヒーなんかあっという間に冷めてしまうだろうにね。今日の予想最高気温は14度。でも、ここは南半球の高緯度地域で、南極大陸までそう遠くないところだから、いくら夏だと言っても気温が低いのはあたりまえか。きのうブティックで竹の繊維を混紡した長袖のアクティブウェアを買ったので今日は大丈夫。袖が長めなのがちょっとなあと思ったら、袖口に穴。実はこの穴に親指を通すと袖が手の甲をカバーするようになっているんだった。(胸のSilverseaのロゴが小さくて目立たないのが心憎いね。)
   
   

   

     

ミルフォードサウンドを出たら、天文学の教養講座を目指して5階のシアターへ。今日のテーマは『ハッブル宇宙望遠鏡』。20代の初めにギリシャ神話にのめり込んで、夜空を見上げて神話にまつわる星座を眺めているうちに天文学にはまって、とうとうボーナスをはたいて天体望遠鏡を買ってしまった。嫁入り前の娘が何をやっているんだと母に文句を言われたっけな。あのときは結婚する気なんぞさらさらなくて、大学に行かなかった分、興味のあることを自分流で勉強して、いろんな世界を発見するのが楽しかったの。無数の星も人間と同じように生まれて来てやがて死ぬとわかって、自分なりに科学というのは根本的に哲学なんだと結論したっけ。若い時ってほんとに不思議なことがいっぱい。


仮想空間での非日常を楽しもうよ

2019年12月12日 | 日々の風の吹くまま
12月12日(木曜日)。⛅☁☂。今日も1日海の上。ジョギングトラックをぐるぐる歩いていて見えるのは水平線だけ。つまり360度見渡す限りの大空と大きな海。大海原ってほんとに広漠として、何か永遠を見ている感じ。新天地を求めて来る日も来る日もこの大海原の波に揺られた大航海時代の人たちはすごいなあ。だだっ広いタスマン海を3分の2近く横断したところで、時計がまた1時間進んでニュージーランドの時間帯。朝ご飯のバフェレストランの混む時間が遅くなるからおもしろい。きのうは前日より遅くて9時くらい、今日はまたさらに遅くて9時半。バケーションだし、リタイア組が大多数だろうから、みんな体内時計に従っているのかもね。

毎晩だいたい夕食に出ている間に、バトラーのヴィクラムがChroniclesという(翌日の)船内新聞と2個のチョコレートと一緒に翌日のツアーやレストランの予約のリマインダーや招待状などをベッドの上に置いて行ってくれる。船内新聞には天気やその日のドレスコード、午前、午後、夜の各種アテクィビティのリストが載っているので、さて明日は何をしよっかと思案。朝にはそれぞれの国のニュースを集めて印刷したミニ新聞をドアの外に置いて行ってくれて、私たちのはThe Canadianで、今日のトップ記事はやっと調印にこぎつけたアメリカ、メキシコとの新NAFTA。天気欄を見ると、バンクーバーは雨で気温は9度/5度。朝ご飯に行くのに廊下を通ると、どの船室の人はどの国からというのがわかっておもしろい。

   

船にはいろんな国籍の人が乗っているけど、オーストラリア人の数が半端じゃない。The Ditch(堀とか側溝という意味)と呼んでいる海を渡ってニュージーランドへ行くだけなのにどうしてかと思っていて、ひざをポン。つまり、クルーズは基本料金の他に出発地/最終地の往復の飛行機、必要な場合にホテル宿泊の料金を加算して「オールインクルーシブ料金」なわけで、出発地の近くに住んでいればそれだけ費用が安くなるから、シドニーに住んでいて、出発日が近くなって空きスペースが格安で売り出されるときに安めの船室を選べば、遠くから来る人に比べて相対的に安い費用で乗れるってことなんだ。バンクーバー近辺からアラスカクルーズに行く人がかなりいるのも同じことなんだ。アラスカなんて珍しくもないのにと思うけど、目的が「豪華クルーズ船で非日常を体験すること」だとしたら、なるほど。

たしかに「上げ膳据え膳の食べ放題飲み放題遊び放題」の1週間、2週間は庶民にとっては非日常と言えるな。クルーズ会社は「富裕階級の日常」の疑似体験みたいなラグジュリーをこれでもかとばかりに押して来るけど、ほんとうの大金持は何百人、何千人と一緒のクルーズ船なんかよりは自家用ヨットでしょ。ラスベガスの第一印象が非日常(現実逃避)を売りものにした「オトナのテーマパーク」だったけど、クルーズ船はさしずめ「海の上のラスベガス」。まあ、どんなことでも煩わしい日常をちょっと離れて仮想空間での非日常を楽しむことは、誰にでも必要なことだと思うし、私たちだっていずれは食い気と飲み気とのんびりが主目的になるかもしれないし・・・。

   
   船室に備え付けのソーイングキット(どの針もすでに糸を通してある)


一期一会の交流もクルーズの楽しみ

2019年12月11日 | 日々の風の吹くまま
12月11日(水曜日)。⛅🌤。ゆうべ午後11時にホバートを出港して、ニュージーランド南端までタスマン海を横断中。進行方向が南向きから東向きに変わったせいか風向きが変わったようで、船の揺れも前後から左右に変わって、海は穏やかだけど、常にゆっくりとゆぅらゆぅらとコア運動。時間帯が変わるので、時計を1時間進めておいて寝たけど、今夜また次の時間帯に入るのでさらに1時間進めて寝ることになっている。飛行機なら行き先で一気に時計をリセットするところだけど、船では時間の流れが違うもんね。でも、1日が24時間であることには変わりないし、夏時間/標準時間の切り替えには慣れているんだけど、実質的に23時間の日が2日続くのがヘンな感じ。時差ぼけしたらどんな気分かな。

タスマン海のこの辺りには島がないので、今日と明日はDay at Sea。どこにも寄港しない日は船内でのイベントやプログラムがてんこ盛り。船の上での交流もクルーズの魅力のひとつなわけで、いろんなところから集まって来た人たちとの出会いはまさに一期一会。私たちもレストランでテーブルをシェアすることになった人たちとの雑談が楽しくて、オープンシーティングのレストランでは「テーブルをシェアするか」と聞かれるとイェスと答える。今までのところテーブルをシェアしたのは(こてこての)イギリス人のおばあちゃん2人連れ、アリゾナから来た(中年の)アメリカ人夫婦、船で教養講座を担当するシドニーからの天文学者夫婦とメルボルンからの未亡人のおばあちゃん。ショーやレセプションで出会ったのはアデレードからの(ちょっと金ぴかの)オーストラリア人夫婦、スイス人とアメリカ人のおばあちゃん友だち2人組、西オーストラリアのパースから来た中年夫婦、(歌手のエレーヌにぞっこんらしい)ジャズ狂のおじさん、一人旅はイギリス人の大学講師とフロリダからの女性。ま、ワタシはどうもどこの誰とでもどんな話題でも話に入ってしまう才があるらしいので、一期一会のおしゃべりは最高のひととき。

クルーズ船では言葉を交わさなくても多彩な人間模様を観察できるのが楽しい。それぞれの行動にけっこう民族的な性格やお国柄が出ているし、イギリス人やアメリカ人はじじばばが多数派のせいか「してらもらって当然」の態度丸出しだったり、社会的な生活レベルが見えたりするし、インド人はちっとも楽しそうに見えないし、東欧系は押しの強さが前面に出ているし、人間ってほんとにいろいろ。文化的な背景がいろいろなら、習慣もいろいろなのが当たり前だから、何だかなあという行動でも一概に行儀が悪いとは言えないんだけど、それでもやっぱり人間として共通のマナーのようなものがあるはずで、必ずしも文化習慣の違いで片付けられないこともあるのは確か。つまるところは「世の中にはいろんな人がいるもんだなあ」。

さて、今日は昼前にカクテルの試飲会に行って、バフェランチの後は天文学の講義(テーマは「超新星」)。夜は予約を入れたレストランで食事をして、コミック魔術師のショー。その気になればけっこう忙しいのがクルーズ・・・。

     色鮮やかなロリキート


ウォンバットに会って来た!

2019年12月10日 | 日々の風の吹くまま
12月10日(火曜日)。☀☀☀。波穏やかな夜だったおかげでよく眠れた気分。でも、荒波で揺れればゆりかごの赤ちゃんの気分、波が穏やかになれば大海原に漂うクラゲ(?)の気分になって、どっちにしても海の上ではすやすや眠れてしまうからヘンなの。午前9時、2つ目の寄港地タスマニア島ホバートに到着。タスマニアについてはほとんど何も知らないので、どんなところかなあと期待感でいっぱい。何となくメルボルンの東の方だと思っていたら南の方で、北海道の80%くらいの大きさ。島全体がひとつの州(タスマニア州)で、人口約50万人。そのうち半分が首都ホバートに住んでいるというから、何となく北海道に似ていなくもないかな。

朝ご飯の後、9時半にツアーハスに乗るために5階デッキへ。カードキーをタップ(顔の認証)して、タラップを降りる。空港の搭乗ゲートのようなモダンな設備よりも、こうやって海風に吹かれて船腹のタラップを降りる方がやっぱり船の旅らしい趣があっていいな。私たちのバスの行き先ボノロン野生動物サンクチュアリとエドワード朝の面影が濃く残っているリッチモンド村。ハイウェイに沿ってブドウ園やワイナリーがあってびっくり。タスマニアの産業は合法的な(医薬品用)アヘンけしの栽培と聞いてまたびっくり。最近はクラフトビール用のホップの栽培が盛んで、カキやホタテの養殖も盛ん。シドニーもメルボルンもそうだったけど、ホバートも活気にあふれた街という印象で、何よりも人が生き生きとしているように見える

ボノロン野生動物サンクチュアリは怪我をしたり親を亡くしたりした野生動物の治療や世話をするところで、かわいいお嬢さんが真っ先に案内してくれたのがウォンバットのいるところ。交通事故で死んだ母親の近くでうろついているところを救助されて来たロンダちゃんは今7、8ヵ月の赤ちゃんだけど、体重はもう10キロ。健康なので大人になったら野生に帰すことになっているとか。う~ん、ぽっちゃりしてかわいいねえ、ウォンバット。いかにもふっかふかのお尻が何とも言えないかわいさなんだけど、実は鋼鉄のお尻。敵に襲われたら掘った穴倉に飛び込んで、お尻で入り口を塞いでしまうんだそうで、敵がいくら噛みつこうが引っ掻こうがウォンバットはへっちゃら。敵があまりしつこい時はそのお尻でガッツンとやるそうで、敵はへたをすると頭がい骨骨折。うわ、見かけによらないもんだね。

   

お嬢さんに抱っこされたウォンバットと鼻がくっつきそうなくらいの間近でご対面。うん、北半球から会いに来た甲斐があったぁ。眠そうなのでお別れして、後はタスマニアンデヴィル(名前はすごいけどぶきっちょきわまりないらしい)、ぐぅすか眠っているコアラ、そしてカンガルーには餌をあげて、オウムに「ハイ、ママぁ」と声をかけられて、楽しかったぁ、ほんっとに。おみやげはもちろんウォンバットのぬいぐるみ。

   

   


メルボルンでのナイトライフは楽しかった

2019年12月09日 | 日々の風の吹くまま
  さよならメルボルン、また会う日まで

12月9日(月曜日)。☀⛅。今日はタスマニア島ホバートに向けて航行中で、1日中船の上。海はけっこう穏やか。朝ご飯の前に11階のトラックでウォーキング8周。360度、見渡す限りの大海原で、島影ひとつないこの漠然とした風景がなぜかすごく心地良く感じられるから不思議。今日のバフェ朝ご飯はスモークサーモン、グラヴラックス、にしんの酢漬けにハムの類を少々と果物とクロワッサン(2個)。ゆうべはよく飲んだので、今日は「ダイエットだ」とコンティネンタルで行くカレシ。

ゆうべのコンサートは思いのほかすばらしかった。マーク・ヴィンセントはイギリスでスーザン・ボイルを発掘したタレントコンテスト番組のオーストラリア版で15歳でオペラのアリアを歌って優勝して、一躍アイドル的存在になったオペラティックポップの歌手。今26歳だそうだけど、まずテノールの声量の豊かさと声質のまろやかさにびっくり。コンテストの決勝で歌ったというカナダの詩人レナード・コーエンの『ハレルヤ』は聞いていてうっとりとなって、いろんな歌手が歌っている中でワタシ的には一番。アンドレア・ボチェリの『Con Te Partiro(君と旅立とう)』もじぃ~んとなって思わず涙ぐみそうになる始末。いやぁ、堪能させてもらったぁ。

8時半に8台のバスを連ねて船に戻って来て、レセプションであれこれつまんでいたけどやっぱり腹ペコになったので、11階のSpaccanapoliという軽食カフェへ直行。メニューにプッタネスカとかアラビアータとかあるのでバスタ専門かと思ったら、出て来たのは薄い生地のピッツァ。夕暮れが濃くなってダウンタウンの夜景が浮かび上がって来るのを眺めながら、ワインとピッツァの晩ご飯はカジュアルにエレガント、。ほど良くおなかがいっぱいになって、中央のらせん階段をぐるぐると7階まで降りて来たら、お、ジャズバーSilver Noteから懐かしい歌声が聞こえて来る。去年乗っていたエレーヌとアンドレのジャズデュオ。アンドレのピアノもさることながら、エレーヌの歌いっぷりがすばらしくて、ジャズにぴったりのちょっぴりかすれた声と独特のスタイルでジャズの名曲をファンキーに歌い上げる。バーに陣取って久々のレミを嗜みながら楽しんでいるうちにレミを3度もおかわりして、船室に戻ったのはちょうど出港の時間。

午後11時、宵っ張りのカモメの群れににぎやかに見送られて、遠くなるメルボルンの夜景を後に、Silver Muse号はメルボルンを出港。今日はタスマニアを目指して一路南へ。ホバート入港は午前9時。ウォンバットに会えるかな。


メルボルンでの1日

2019年12月09日 | 日々の風の吹くまま
12月8日(日曜日)。☀☀。午前8時、最初の寄港地メルボルンに入港。きれいな青空。高層ビル群が近づいて来るのをベランダから眺めていて、ふと下を見たら何だかレジ袋のようなものが水面のすぐ下を大量に漂流中。おいおい海洋汚染かい・・・と思ったら、何、この赤い頭に白っぽい足の半透明の物体は?クラゲかな?クラゲとしては大きいけど、どう見てもクラゲの形だな。それが群れのように船の横をふわふわと漂って行く光景はちょっと幻想的。

   

きのうは1日中船の上で、朝のウォーキング以外はさしたる運動もしなかったのに、晩ご飯の後で急にくたびれた気分になってあくびの連発。まあ、ランチでお酒を飲んで、Virtuosoのレセプションでシャンペンを飲んで、船長主催の歓迎レセプションでは飲まなかったけど、その後の晩ご飯でワインを飲んだせいかもしれない。それよりも、もしかしたら1日中揺れる船の上で体のバランスを取っていたから、運動のし過ぎでくたびれたのかな。どっちにしても、ゆぅらゆぅらと揺られてぐっすり眠って、今日は元気いっぱい。メルボルンではツアーの予約を入れなかったので、のんびりと朝ご飯をして、コンシエルジュのデスクでダウンタウンの地図をもらって、10時のシャトルバスに乗って、いざ。

シャトルバスから降りたのは91階建てというEureka Skydeckの前。これ、タワマンなんだそうで、最上階には展望台があるけど、予約が必要らしいし、(チケットが)高そうなのでパス。ヤラ川河畔の遊歩道に出て、橋をジグザグと渡って南と北を行ったり来たり。日曜日とあってたくさん人が出ていて、大道芸人がいたり、遊覧船が行ったり来たりの大賑わい。シドニーもそうだけど、植民地時代からの古い建物をヒステリックに「保存」するというよりは、新しい超高層ビルとうまく溶け合って共存していて、これがメルボルンらしさなんだという印象を受ける。片っ端から壊して新しいものに変えてしまったら歴史の流れが絶えるだけ。新旧を溶け合わせることでその土地の過去と現在がつながって、未来に向き合えるんじゃないかと思うな。メルボルン、気に入ったよ。

   

   

趣のあるフリンダーズストリート駅近くのサブウェイでランチをして、南河岸に戻って、30分おきに船との間を行き来している専用のシャトルバスをキャッチ。船に戻ってまずはひと休み。今夜はダウンタウンの(これまた)由緒あるForum劇場でマーク・ヴィンセントというオーストラリアの有名な歌手のコンサート。半年以上前に全額払い込んだ客だけを招待しての無料コンサートで、劇場では歓迎レセプションがあるそうだから、それなりの服装で行かなくちゃ(これがちょっぴりめんどうだけどね)。


荒波も何のその、ミューズ号は波涛を越えて

2019年12月07日 | 日々の風の吹くまま
12月7日(土曜日)。☀。空が青い。でも、夜の間からかなりの揺れで、朝になってもすごぉいうねり具合。見渡す限り白波がひしめき合っている感じで、大きな白波がうぉ~んとうねって、どどぉ~ンと砕けて、三角波が立ってのせめぎ合い。それでも、ワタシはお母さんがやさしく揺するゆりかごで眠る赤ちゃんの気分ですやすや。たぶん遺伝子レベルで海の子なんだろうな(習わなかったから泳げないけど)。この年でも前後左右に揺れる船の中をバランスを取りながらすいすい歩けるから、我ながら背中をポンポンしたくなる。ま、要領としてはエクササイズボールに座ってバランスを取っているのとそれほど変わらないような感じ。

   

   

かなり早く目が覚めたので、まずは11階のジョギングトラックでウォーキング。長い方を8周すると1マイル(1.6キロ)だけど、船尾を回るときにまず猛烈な追い風に押しまくられて、反対側に出たとたんに今度は猛烈な向かい風と前のめりになっての押しくらまんじゅう。‘I’m like a seagull’とダジャレてみるけど、吹き飛ばされたらカモメのように大海原の上をすぃ~ってわけには行かないよね。ぐるぐると8周して10周したくらいに腹ペコになったので、朝ご飯は卵とソーセージとベーコンとスモークサーモンとにしんの酢漬けと果物とクロワッサン。船にはレストランが7つと小さいカフェやラウンジがいくつかあって、「バー」の数を数えてみたら9つ。オールインクルーシブは要するに食べ放題の飲み放題だから、世界1周クルーズなんかで6ヵ月も船に乗っていたら、二回りくらい大きいサイズの衣類も持って行かないと困るかもね。

今日はDay at Sea(海の上で過ごす日)。各階に小さい洗濯機と乾燥機があるので、シドニーから持ち込んだ汚れ物を持って行って洗濯。洗濯はやってもらえるけど有料で、そこらの超高級ホテルよりも高い。そこでセルフランドリーとなるわけで、ランドリールームには洗濯機と乾燥機の他に液体洗剤も備えてあるし、アイロンとアイロン台も置いてあって、全部タダで使える。ただし、各階に1ヵ所ずつしかないのでタイミングが難しい。洗濯物が乾き終わったら、ランチタイムまでのぉ~んびり。波しぶきでびしょびしょになったベランダで波の写真を撮ったり、2人並んでそれぞれラップトップを開いて「ひとり遊び」したり。

ランチは巻き寿司と冷酒。今夜はドレスコードが「フォーマル」で、6時にVirtuosoという旅行会社の国際ネットワークの歓迎レセプションに招待されている以外はこれといったイベントはなし。(Virtuosoは私たちのエージェントのジェフが所属する旅行会社がメンバーになっていて、今回ダニーディンでの1日ツアーをArts Club後援者への特別サービスとして予約してくれて、来年の地中海クルーズでもマルタでのVirtuoso主催のツアーに予約を入れてくれている。)さて、波涛を越えてのんびりするのがバケーションなんだから、晩ご飯の後はショーに行ってみるか、ジャズバーでコニャックを傾けながら去年のクルーズでも出ていたデュオのジャズを楽しむか・・・。


いよいよ2週間の船の旅の始まり

2019年12月07日 | 日々の風の吹くまま
12月6日(金曜日)。シドニーは今日も煙たい。9時過ぎには船に運び入れる荷物を取りに来るので、朝ご飯の後、忘れ物がないか室内を点検して、スーツケースに鍵をかけて、船室の番号を印刷したタグを付ける作業。スーツケース大小2個とラップトップのバッグ2個とスポーツバッグ1個。これを全部自分で運ばなくて済むのがオールインクルーシブのいいところ。(ただじゃなくて前払いしているわけだけど。)ロビー集合が10時45分なので、それまで最後の「観光」。ハーバーブリッジの方へどんどん歩いて行って、橋の下を通り過ぎたらすぐにどこかで左折できるかと思ったら、どこまで行っても交差する道路がない。集合時間に間に合ってホテルに戻れるか心配しながら、とにかくどんどん歩いて行ったら小路の先に急な階段。とっさの大英断で上って行ったら、あ、見覚えのある道路。やれやれ。ホテルに帰り着いたら、荷物はすでに運び出されていたので、最後の点検をしてチェックアウト。ロビーでは同じ船に乗る人たちが三々五々集まって来て、初対面同士で雑談の花が満開。

11時過ぎ、迎えのバスに乗ってホワイトベイのクルーズシップターミナルへ。巨大なホールでまずチェックインして、税関(パスポートを見るだけ)を通って、空港にあるような搭乗ブリッジから船内へ。ラウンジでクレジットカードを登録して、船室に入れる2時まで7階デッキのレストランでバフェランチ。去年乗った船だからけっこう勝手知った感じで、ワタシは巻き寿司各種とマグロの刺し身と好物のニシンの酢漬け、カレシはサラダを大盛り。2時少し前に船室のカードキーをタップしたら開いたので、のぞいてみたらとっくに荷物が運び込まれていて、テーブルには氷漬けのシャンペン。5時から救命ボートに乗る訓練が始まるので、さっそく荷ほどき。余裕たっぷりの収納場所に全部収めて、訓練開始のアナウンスがあるまでひと休み。思いのほかスムーズに行ってひと安心。

午後5時、訓練開始のアナウンスがあって、救命胴衣を着けて5階デッキの劇場に集合。オレンジ色の救命胴衣から突き出しているのはたいていが白髪頭。ざっと見まわしたところでは7、8割がたがシニアで、圧倒的にヨーロッパ系というところ。まあ初めから「子供には対応していません」という断り書きがあるし、現実に子供が楽しめるサービスは何にもないから、必然的にじじ、ばばが主流。ま、そこが乗客定員が数百人のいわゆるブティッククルーズの売りどころなんだと思うけど、ラグジュリーをうたい文句にしてとにかくやったらお高いのはそうやってそれとなく客層を絞っているのかも。

さて、避難訓練も無事に終わって、午後6時、いよいよ出航。水圧を使って船体を岸壁から離し、煙で黄色くなった夕暮れの空の下、タグボートの付き添いと水先案内人のボートの先導で、橋の下をくぐり、オペラハウスに見送られて、2週間の船の旅の始まり。

   

旅の楽しみは良き友人との再会とおいしい食べ物

2019年12月05日 | 日々の風の吹くまま
12月5日(木曜日)。☀(だと思う)。きのう昼寝をしたせいか、6時過ぎに早々と目覚め。カーテンを開けたら、何だかきのうより煙たそうな空模様。ブッフェの朝ご飯を食べながら、今日は何をしようか。あれこれ考えて、フェリーに乗ってダーリングハーバーまで行くことに。シドニーの港はずっと奥まで入り組んだ湾になっていて、水上から見る景色は(煙たい空でも)すばらしい。10年の間に超高層の食べ物がずらりと並んだ感じ。フェリーのデッキでバランスを取りながら、オペラハウスやハーバーブリッジや停泊しているクルーズ船を撮りまくり。船のデッキで足を踏ん張って、揺れに体を合わせてバランスを取っているとけっこうにいい運動になる。ワタシってかなり上等なsea-legを持っているみたい。

   
   フェリー乗り場で近くの人のフレンチフライのおこぼれを狙うかもめ

   
   明日乗船するSilver Muse号(左)

フェリーがダーリングハーバーの入江に入る辺りで、遠くに見えたホワイトベイのクルーズ船ターミナルに船が2隻。(後でズームしてみたら、奥の方のは明日私たちが乗り込むSilver Muse号。ほお、もう来ていたのか。フェリーを降りたらホテルまでまた歩け、歩け。昨日の今日でよく歩くなあ、2人とも。きのうの夜は晩ご飯を食べた後で知らずにホテルとは逆方向に歩きだしてしまって、何かヘンだなあと思い出した頃には1キロ半くらい南。回れ右してまた歩け、歩けで、ホテルに帰り着くまで3キロ半は歩いた勘定。それで、今日もけっこう歩いたけど、道を間違えないことに集中していたせいもあって、それほどの長距離という感じはなかったな。心臓手術からきのうでちょうど2年で、これだけ体力を回復したのはやっぱりすごい。

午後、カレシは昼寝、ワタシは10年ぶりに会う友だちと落ち合うためにロビーへ。異国でかなり重度の自閉症児を育てて来たがんばりやの彼女の苦労は並大抵のものじゃなかっただろうに、10年経っても変わることなくきれいなまま。中身の濃いおしゃべりに花が咲いて2時間半。また会える日まで、元気でいてね。晩ご飯はおしゃれなフードコートという感じのところでスペイン料理。ウェイターは正真正銘のスペイン人で、ユーモアのウマが合ったというのか、すごく楽しくかったし、料理もほんっとにおいしかったから、オーストラリアではあまりチップを腹言わないらしいけど、ちょっと弾んであげた。うん、えびのアヒージョはお替りしたくらいおいしかったし、来年春にバルセロナに行くのが楽しみ。おいしいものに出会うのも旅のハイライトだもんね。

さて、明日の朝9時前に船室まで運んでくれる荷物を集めに来るので、また荷造りをしておかないと・・・。