リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

激甚災害の名残と教訓~クライストチャーチ

2019年12月16日 | 日々の風の吹くまま
12月16日(月曜日)。☀☁。うわ、やっと暖かくなった。目が覚めたらもうクライストチャーチの郊外にあるリテルトンに接岸していて、ベランダに出たら、わ、すごく急な斜面に家、家。そのてっぺんに教会の塔があって・・・と思ってググってみたら教会とは全く関係ない「タイムボール・ステーション」と言うもので、塔の上のボールを落として港の船にグリニッジ標準時を知らせていた、デジタル時代以前の航行システム。(ニューヨークのタイムススクエアで大みそかに落とすボールも同じ仕組みで、タイムボールとしてリストされている。)リテルトンのタイムボールはクライストチャーチの大地震で大きな被害を受けて、解体の準備をしているうちに大きな余震で倒壊してしまったそうで、今見えているのはその後7年かけて再建したもの。そういえば塔の頂上に大きな球体が見える。

   

今日のツアーは午後なので、ゆっくり朝ご飯を食べて、11階のジョギングトラックを8周。ほんとに寒くない。タスマン海を渡ってからずっとこれが夏?ってくらい寒かったから、風が冷たくないのはうれしいね。海そのものが温かな色合いだし。きのうのダニーディンもそうだったけど、ニュージーランドは地図を見ると海岸線が複雑怪奇で、港が入江の奥の急斜面に囲まれているところが多いみたい。日本列島と同様に環太平洋火山帯にあるので、太古の時代の火山噴火で流れた溶岩や降り注いだ灰が大地として固まりきらないうちにどんどん侵食されてこんな複雑な地形になったんだろうな。地球の自然の摂理は人間には目もくれないのだ。気候変動だって、人間の英知で制御できると考えるのは愚の骨頂。温暖化に加担しない努力を傾けることはできても、止めることはできないし、ましてや(ずっとずっと人口が少なかった)昔のレベルに戻そうなんてのは頭でっかちの現代人の驕りでしかないと思う。

  

市内を巡ると2011年の大地震で激甚な被害を被ったクライストチャーチは今も復興途中で、いたるところに空き地、草地があって、完全に復興するのにまだ20年はかかりそうという話。震源地は私たちの船が停泊しているリテルトンのほぼ直下だったそうで、驚くほどまっ平なクライストチャーチでは液状化で何万戸という住宅が損壊し、市内では大聖堂の塔が崩壊。一番多くの死者を出したテレビ局のビルは倒れるというよりも各階が折り重なるように(パンケーキ状に)潰れたという。犠牲者の名を刻んだ白大理石の壁が川岸の公園を守るように設置されていた。日本人の犠牲者の名前はローマ字つづりに漢字も添えてあるという。

   

いきなり足元から突き上げて来る直下型地震はマグニチュードが比較的小さくても大きな被害が出るから怖い。でも、液状化が激しかった区域には二度と住宅を建てることはないそうだし、市の中心部の新しいビルには日本から導入した免振装置が取り入れられているそうなので、クライストチャーチはしっかりと教訓を得て将来に備えていることは確か。午後6時、水先案内のボートに送られて、リテルトンを出港。キア・カハ、クライストチャーチ!

   



地球の反対側のスコットランド~ダニーディン

2019年12月16日 | 日々の風の吹くまま
12月15日(日曜日)。☀☁☂。ダニーディン。クルーズ船が接岸するのは細長い入江の中ほどのポートチャーマーズ。朝起きてカーテンを開けたら、目の前にコンテナの山。コンテナ埠頭にクルーズターミナルを隣接した形で、ホランドアメリカのNoordam号が停泊していた。私たちはトラベルエージェントのジェフがアレンジしてくれたツアーがあるので、朝ご飯は軽くコンティネンタル。参加者6人、Virtuosoの代表2人にガイドと運転手で、地元のツアー会社が手配したのは大型バス。ダニーディンは昔は金の採掘で栄えたものの、金の枯渇と共に没落したために、全盛時代に建てられたエドワード朝の住居や建物が開発の波を逃れていたるところに残っていて、黒い火山岩と白い砂岩を対照させた建物はみごと。今のダニーディン(エディンバラのスコットランド語名)の主要産業は「教育」。学生数2万人を超えるニュージーランドきっての名門オタゴ大学はダニーディン中心部の広大な一等地を占めていて、高速道路をまっすぐに通せなかったという話。

    オタゴ大学
 
   

最初の訪問先はOlveston House。貿易で財を成したユダヤ系イギリス人が建てた邸宅で、息子に子供がなく、生涯未婚だった娘が遺言で邸宅を美術工芸品のコレクションと共にそっくりダニーディン市に遺贈したもの。ジャコビアン様式の屋敷の内装はほぼオリジナルで、エドワード朝を舞台にしたイギリスのドラマの雰囲気そのまま。どの部屋にも使用人を呼ぶための紐が下がっていて、地下の廊下で呼び出している部屋がわかるしくみになっていた。紐を引っ張ったら執事のジーヴスが現れそうな感じだな。邸内では写真撮影ができないので、DVDを買って来た。

入江の反対側オタゴ半島にあるGlenfalloch Gardensへ。19世紀の後半に実業家が邸宅を建てて、ニュージーランド固有の植物の他にヨーロッパから持ち込まれた植物を集めて作り上げたのが12ヘクタールの庭園。今はオタゴ半島トラストが所有していて、私たちはガーデナーの案内で30分ほどシダの繁る小道でニュージーランドの国章になっている巨大なシダや鬱蒼とした林の中に立っている樹齢千年のマタイ(原生のクロマツ)、巨木に育ったフクシャ(と最小の種類)やシャクナゲを見て回ってから、付属のレストランで3コースのランチ。デザートのころにNoordamからのツアーらしい大人数のグループが入って来てテーブルに着くと、バグパイプの伴奏で男の子と女の子がスコットランドの踊りを披露。次いで大皿に載ったハギスが登場して、頭からつま先までハイランド衣装のおっちゃんがスコットランドの伝統儀式をおもしろおかしく披露。私たちもついでに楽しませてもらっちゃった。

   

ダニーディンは後にしてきた故郷エディンバラを常に意識して発展して来たらしい。オタゴ大学が医学に力を入れて来たのも医学の高峰として有名だったエディンバラ大学に対抗してのことだというから、スコットランド人のこだわりはすごい。帰りに立ち寄ったダニーディン駅は床一面が細かなタイルのモザイクで、まるでおとぎの国の駅。でも、廃線になる計画があるとか・・・。