5月21日。新居の仮契約をして安心したところで家を売りに出したら、「売家」の看板を出していないのに6日目に買い手がついたものでびっくり仰天。一時は買い手が銀行ローンの取得に躓いて、契約はお流れかと思ったけど、若夫婦双方の親が資金の工面に乗り出して、現金決済と言うことになった。まあ、この夫婦はオファーが奥さんだけの名前になっていたので、相当に裕福な実家が後ろにあると推察。まあ、これだけの低金利時代なのに、マイホームは若い世代には頭金にさえ手が届かない高嶺の花。そこで親に泣きつくケースが増えているそうで、人呼んで「Bank of Mom and Dad(パパママ銀行)」。もっとも親が子供に資金援助するのは昔からアジア系に多かったような気がする。家族観や相続観が違うからだろうけど、ワタシの亡き父も私たちが買うときと新築のときにそれぞれ「遺産の先渡し」として援助してくれた。
銀行ってのはお金を借りる人にイジワルと言うことになっていて、私たちの初マイホームのローン(金利が高利貸し並みの年17.5%)を申し込んだときは「買値が高い」と言われて一瞬青くなったし、新築するのにローン(年12%)を申し込んだときは「寝室ひとつの家は売れない」と文句を言われて、いつから不動産屋になったんだ!とムカついたし、20年くらい前に遠い郊外の丘陵地に千坪の分譲区画を買おうとしたときは(その前の2度のローンは10年償却で借りてそれぞれ4年で完済していたので)「繰り上げ返済してばかり(迷惑?)」と嫌味を言われた。私たちは家の売却代金で新居の購入代金を支払うので、今回は銀行屋は蚊帳の外(ザマミロ)。
我が家の売買契約を確定させるには買い手側が決済資金を確保するのが条件で、その期限は4月22日。一方で、私たちの新居の売買契約は我が家の売却が確定するのが条件で、その期限が5月14日。ドミノ式に契約が成立するわけだけど、けっこうひやひや、はらはらするもので、知らず知らずのうちにストレスが溜まって来る。カレシもストレスが高じてむずかりたい心理状態なのはわかるけど、次々とまだ実際に遭遇していない(発生確率の低い)「問題」を探し出してはぐだぐだ、くよくよ。どれもネットでちらっと読んだとか、誰かがちらっと言ったとかいう又聞き情報ばかり。ストレスに弱いのはわかっているけど、この年になってこのレベルの情緒不安定というのはちょっとばかり普通じゃないんじゃないかと言う気になって来る・・・。
買い手側の条件を解除する期限の前日にポールから「条件が取れた!」と連絡が入って、翌日に契約価格の5%に当たるデポジット(手付金)の小切手のコピーが送られて来た。今どきは署名の必要な書類を持って走り回らなくても、メールでPDFのファイルを受け取って印刷して、署名したらスキャンしてPDFファイルにして、メールに添付して送り返せば済むし、PDF形式の書類は法的な効力があるんだそうだから、便利になったもんだな。契約が確定したので、約束通りにポールが「SOLD(売約済)」の標識を載せた「売家」の看板を生垣の外の角に出して行った。なかなかすっきりしていい感じだな。[写真]
売約済になってから売家の看板と言うのは本来は順序が逆なんだけど、看板にはエージェントが名前を大きく出すので、「SOLD」と表示してあるとエージェント本人の宣伝効果はずっと高いと思う。だって、いつまでも「売家」のままで立っていると、通りがかりの人たちが「よほと商売ベタなエージェントなんだな」と思うかもしれないもの。まあ、不特定多数の注意を引きたくないし、実質的には土地だけを「新築用地」として売りに出したので家の中を見てもらう必要もないということで「売家」の看板を出さなかったんだけど、ポールにはちょっとしたチャレンジだったかもしれないな。それでも過熱した売り手市場になっていたおかげで思ったより早く売れて、さっそく裏のミシェルが「いくらで売れたの?」とメールを飛ばしてきた。何でも「ここを売って、ランクアップしたいと思案していた」んだとか。ふぅん、もっとお上品な地区に引っ越したいということだろうけど、いくらで売れたかなんてずけずけ聞くようじゃ、格上げも何も・・・。
売買契約の最終手続きと決済は5月7日で、明け渡し期限は8月17日。若夫婦と幼い子2人の「夢の家」の設計や家の解体と建築の許可申請に時間がかかることもあって、こちらの希望を入れて異例の長い明け渡し期限を設けてくれたという話。新居の最終手続きと明け渡しはその前にあるし、繰上げを交渉できる合意条項が入っているので、これで「家は売れたけど行くところがない」というカレシの不安は解消して、どうやら落ち着きを取り戻した様子。戸建てから集合住宅に移った友だちに電話しては、引っ越しの理由を聞きまくって、「維持修理に金がかかるようになったから」とか、「年を取って手に負えなくなった」とか言う判で押したような返事に「なるほど」・・・。
何しろこの土地に引っ越して来てから33年と言うもの、家の管理はワタシに丸投げで、自分は「○○が壊れている/故障した」と報告するだけで、電球ひとつ自発的に替えたことがないカレシ。一緒に暮らし始めてから40年間も家計はずっとワタシに任せっぱなしだったから、戸建ての維持管理は加齢と共に資金と労力が負担になって来ることや、いろいろな修理を予想して費用を手当しておくことなどには思い及ばなかったらしい。いつも「オレはものぐさなんだ」と自認しているカレシ、引越し大作戦の過程で洗いざらいを持ち出しての大げんかを繰り返して、やっと少しは「怠け過ぎ」だったと反省してくれたらしい。まあ、行動が伴わなければいくら反省しても意味がないけど・・・。
5月7日、家の売却の最終手続き。前日に私たちの弁護士のところで売主側の書類に署名してあったので、午後いっぱいはデスクの周囲の細々としたゴミを集める作業。本棚の引き出しには古い銀行通帳が何十冊もあって、新婚時代の貧乏暮らしぶりが見て取れる。33年前に初めてマイホームを買った頃の通帳も出て来て、デポジットを払ってから最終手続きまで数週間、明け渡しまでさらに1ヵ月の間があったことがわかる。大不況の最中だったあの頃、頭金40%、10年償却で組んだ銀行ローンと当時あった初マイホーム購入支援の州政府の低金利(といっても12%!)ローンと合わせた月々の返済額は千ドル近く。ワタシの給料振込み口座でも共同名義の口座からの引き落としだから、ワタシひとりでローンを払ったわけではないけど、当時のワタシの給料の手取り額がほとんど返済に充てられていた勘定。今日この日にこの通帳を見つけたのは何かの因縁だと思うから、記念に取っておこう。
夕方に弁護士事務所から「最終手続きが完了しました」とのメール。買い手側の公証人からの明細書は買値から不動産仲介手数料と固定資産税の調整額を差し引いた正味の金額。私たち側の明細書はこの正味金額から州政府の固定資産税繰延べ制度の返済額と弁護士料を差し引いて私たちの銀行口座に振り込まれる「純益」。ほんの束の間ながら「ミリオネア」になってしまう私たち。何しろ33年前の買値とは桁が2つ違うもので、「数字が大き過ぎて怖いな」と言うカレシ。ワタシは億単位の取引契約の翻訳を何百件とやって免疫ができているつもりだけど、やっぱりちょっと目がくらくら・・・。
翌日からはもうこの家も土地も私たちのものじゃない。いつもやって来たことをごく普通にやってはいても、新居購入の最終手続きが完了するまでは、私たちは法律の上では「家なき子」と言うこと。まだ全然ピンと来ないけど、これでまたひとつ大きな節目。自分の家でなくなった家に住むのって、何とも奇妙な感じ。1週間後の5月14日には仮契約の最後の条件を解除して、デポジットを払って、最終手続きを7月20日、明け渡し期日を7月21日に繰り上げることで合意して、新居の購入契約が確定。後はもうひたすら引越しの準備。明け渡しを受けたら入居の準備。何か急に思い立った引越し大作戦、時間をかけて進めるはずがここまで来るのにわずか3ヵ月半。狂乱市場の怒涛の波にのまれた感じだったけど、33年住んだこの土地を離れる日まであと3ヵ月足らず。引っ越し大作戦の大団円が近づいている。