徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

思い出のダービー カツラノハイセイコ

2014年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

ハイセイコーの子供である。
馬名は9文字以内という規則があるため、ハイセイコになった。
昭和34年(1959年)のコマツヒカリ以来、20年ぶりの父内国産のダービー馬である。
一番人気に押されたが、絶対本命というわけではなかった。
レースは長い写真判定になり、鼻差で勝った。
勝利が決まった瞬間、馬券売場のおばちゃん達が号泣したという。
Pic20140531
戦後の高度成長で日本が豊かになると、馬産の世界も輸入種牡馬が中心になった。
今のような一流馬を輸入できるほどの財力は無く、一流馬の子供や近親だ。
それでも、世界の主流血統を導入したことに変わりは無い。
その子供達も主流血統なのに、活躍しても種牡馬の道は厳しかった。
シンザンでさえ、はじめは繁殖牝馬を集めるのに苦労したという。
父内国産馬の数は少なく、まして、一流馬は奇跡に近かった。
そんな時代の出来事だった。

正直、カツラノハイセイコのダービーはフロックだと思っていた。
この馬の真価はその後で、天皇賞(春)にも勝ち、文句なしの一流馬だった。
引退後は青森で種牡馬になったが、繁殖牝馬に恵まれず一代限りとなった。
あの頃、サラブレッドといいながら、名馬の血が継承されない日本の競馬が不満だった。
今、サンデーサイレンスの孫達が活躍するようになり、ようやく日本の競馬も血のスポーツといえるようになったが、なってみると、案外、つまらない世界だった。
カツラノハイセイコに思いを寄せた時代が懐かしい。

 お気に入りの名盤! サンタナ:Caravanserai

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