2021年12月の訃報特集。南アフリカのデズモンド・ツツ(Desmond Mpilo Tutu)が12月26日に死去。90歳。名前は「トゥトゥ」と表記すべきだろうが、慣例に従って「ツツ」と書いた。(葬儀におけるラマポーザ大統領の感動的な弔辞でも「トゥトゥ」と聞こえた。)反アパルトヘイト運動に尽力して、1984年にノーベル平和賞を受賞した人である。「大主教」と書かれるが、これは1986年に聖公会のケープタウン大主教に就任したことによる。ノーベル賞受賞時は南アフリカ教会協議会事務総長だった。一貫して非暴力を主張したことで知られる。大主教としても女性や同性愛者の聖職者を擁護した。
(デズモンド・ツツ)
アパルトヘイト撤廃後に設置された「真実和解委員会」の委員長を務めて、国民和解のプロセスに重要な役割を果たした。そのことも忘れてはいけない大切な業績だ。国内ではネルソン・マンデラやANC(アフリカ民族会議)をも批判できる権威を持ち、対外的にも特にアフリカの平和維持に最後まで力を尽くした。同じノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチーに国内のロヒンギャ族保護を要請するなど、公正な人間性が信頼された人物だった。
作家、作詞家、作曲家の新井満が12月3日死去、75歳。本名は「みつる」だが、創作活動では「まん」と読ませた。芥川賞作家、レコード大賞作曲賞受賞者だが、何だか「イベント・プランナー」的な仕事をした人だと思う。それは電通社員だったことと関係あると思う。作家では「ヴェクサシオン」(野間文芸新人賞)、「尋ね人の時間」(芥川賞)を読んだが、80年代後半で忘れてしまった。その前からカネボウのCMソング「ワインレッドのときめき」を歌って知られていた。一番有名なのは訳詞、作曲を務めた「千の風になって」(2003年)である。僕は不思議な歌詞だなあと思ったけど売れた。何をするも自由だけど、なんで長野冬季五輪や平城遷都1300年、北海道新幹線開業などのイベントに関わるのか、正直僕は疑問だった。
(新井満)
「ファミコンの父」とも呼ばれる上村雅之が12月6日死去、78歳。シャープを経て、71年に任天堂に入社。開発第二部長としてファミリーコンピュータなどの開発を指揮した。その後、立命館大学大学院特任教授、同大のゲーム研究センター長を務めた。
(上村雅之)
漫画家の古谷三敏が12月8日死去、85歳。手塚治虫、赤塚不二夫のアシスタントを務め、「おそ松くん」「天才バカボン」に関わった。その後、70年から82年まで「ダメおやじ」を連載して大ヒット。毎日新聞日曜版に「ぐうたらママ」を75年から2020年まで45年間連載した。また「寄席芸人伝」「BARレモン・ハート」など多彩な作品を発表した。大泉学園駅前で作品と同名のバー「BARレモンハート」を経営した。
(古谷三敏)
俳優、声優の神田沙也加が12月18日に死去、35歳。12月に一番大きく報道された訃報だが、僕はこの人のことを松田聖子と神田正輝の間に生まれたと言うこと以外、ほとんど知らない。映画「アナと雪の女王」のアナ役を担当して紅白歌合戦にも出場した。札幌でミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演中だった。自殺だと報道されているが詳細は知らない。
(神田沙也加)
・矢田部理(やたべ・おさむ)、5日死去、89歳。74年社会党から茨城県から参議院議員に当選し、以後4回当選。小選挙区制、社民党への改称に反対して離党、新社会党を結成して初代委員長になった。98年は比例区で立候補し落選。
・丸谷明夫、7日死去。76歳。吹奏楽の名指導者として知られ、全日本吹奏楽連盟理事長を務めた。大阪府立淀川工業高(現淀川工科高)に実習教員として赴任、その後教員免許を取得し電気科で教えた。その間、吹奏楽部顧問として全日本吹奏楽コンクールに41回出場、32回金賞受賞という全国最多の成果を挙げた。阪神タイガースの優勝パレード、高校野球大会などで指揮をするなど、吹奏楽を越えて関西で活躍した。テレビ番組でも何度も特集されたというが、僕は名前も知らなかった。異動せずに一校で指導できた時代だったんだなと思った。
・鈴木淳、9日死去、87歳。作曲家。67年に伊東ゆかりの「小指の想い出」が大ヒット。八代亜紀「なみだ恋」、ちあきなおみ「四つのお願い」、「X+Y=LOVE」など60年代から70年代の歌謡曲を作った。
・高良留美子(こうら・るみこ)、12日死去、88歳。詩人、評論家。母は参議院議員を務めた女性運動家、高良とみ。詩人として50年代から活躍。1963年、詩集「場所」でH氏賞を受賞した。1988年に「仮面の声」(現代詩人賞)、2000年に「風の夜」(丸山豊記念現代詩賞)など多くの詩集がある。女性史や女性問題に関する著作も数多く、「高群逸枝とボーヴォワール」などを残した。訃報が小さく忘れられている感じだが、重要な人だと思う。
・柏木博、13日死去、75歳。デザイン評論家。近代デザイン史を研究し、「家具や家電のみならず広告や都市も対象に、造形論にとどまらない、時代や社会を批評するデザイン論を展開し、広く社会に問いかけた」と訃報に出ている。非常に多くの本があるが、僕は知らない。
・飯塚繁雄、18日死去、83歳。拉致被害者家族会前代表。金賢姫に日本語を教えた「リ・ウネ」とされる田口八重子さんの兄。
・瀬川昌久、29日死去、97歳。ジャズ批評家。富士銀行に入社して、1953年にニューヨークに赴任。本場でデューク・エリントンやチャーリー・パーカーを聞いて、評論活動を始めた。戦前のジャズ・レコードを中心に、映画やミュージカルの評論活動を続けた。長年のポピュラー音楽への寄与に対し、2015年に文化庁長官表彰を受けた。映画監督瀬川昌治の兄にあたる。
・ボブ・ドール、5日死去。元米国上院議員。98歳。1996年大統領選で共和党候補として現職のクリントンと争って敗北した。
・マイク・ネスミス、10日死去、78歳。元「モンキーズ」のメンバーとして活躍した。解散後はカントリーのバンドで活動。
・金英柱(キム・ヨンジュ)、14日死去、101歳(とされる)。金日成の実弟で、朝鮮労働党の要職をかつて歴任した。72年の南北対話では北側の責任者として署名した。この時点では後継候補ナンバーワンとみなされ、副首相を務めていた。その後金正日との後継争いに敗れ、70年代半ばに失脚したとされるが、一時復活が伝えられた。最高人民会議代議員はずっと務めていたというが、まだ存命だったのに驚いた。
・リチャード・ロジャース、19日死去、88歳。イギリスの建築家。機能的デザインやハイテク志向のデザインで知られた。ロンドンのロイズ保険本社、ミレニアムドームなどで知られた。全世界で活躍し、日本でも汐留の日本テレビ本社、政策研究大学院大学などがある。
・カルロス・マリン、20日死去、53歳。ヴォーカルグループ「イル・ディーヴォ」のリーダーでバリトン担当。クロスオーバー音楽のブームを先導した。新型コロナウイルスに感染していたと言われている。

アパルトヘイト撤廃後に設置された「真実和解委員会」の委員長を務めて、国民和解のプロセスに重要な役割を果たした。そのことも忘れてはいけない大切な業績だ。国内ではネルソン・マンデラやANC(アフリカ民族会議)をも批判できる権威を持ち、対外的にも特にアフリカの平和維持に最後まで力を尽くした。同じノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチーに国内のロヒンギャ族保護を要請するなど、公正な人間性が信頼された人物だった。
作家、作詞家、作曲家の新井満が12月3日死去、75歳。本名は「みつる」だが、創作活動では「まん」と読ませた。芥川賞作家、レコード大賞作曲賞受賞者だが、何だか「イベント・プランナー」的な仕事をした人だと思う。それは電通社員だったことと関係あると思う。作家では「ヴェクサシオン」(野間文芸新人賞)、「尋ね人の時間」(芥川賞)を読んだが、80年代後半で忘れてしまった。その前からカネボウのCMソング「ワインレッドのときめき」を歌って知られていた。一番有名なのは訳詞、作曲を務めた「千の風になって」(2003年)である。僕は不思議な歌詞だなあと思ったけど売れた。何をするも自由だけど、なんで長野冬季五輪や平城遷都1300年、北海道新幹線開業などのイベントに関わるのか、正直僕は疑問だった。

「ファミコンの父」とも呼ばれる上村雅之が12月6日死去、78歳。シャープを経て、71年に任天堂に入社。開発第二部長としてファミリーコンピュータなどの開発を指揮した。その後、立命館大学大学院特任教授、同大のゲーム研究センター長を務めた。

漫画家の古谷三敏が12月8日死去、85歳。手塚治虫、赤塚不二夫のアシスタントを務め、「おそ松くん」「天才バカボン」に関わった。その後、70年から82年まで「ダメおやじ」を連載して大ヒット。毎日新聞日曜版に「ぐうたらママ」を75年から2020年まで45年間連載した。また「寄席芸人伝」「BARレモン・ハート」など多彩な作品を発表した。大泉学園駅前で作品と同名のバー「BARレモンハート」を経営した。


俳優、声優の神田沙也加が12月18日に死去、35歳。12月に一番大きく報道された訃報だが、僕はこの人のことを松田聖子と神田正輝の間に生まれたと言うこと以外、ほとんど知らない。映画「アナと雪の女王」のアナ役を担当して紅白歌合戦にも出場した。札幌でミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演中だった。自殺だと報道されているが詳細は知らない。

・矢田部理(やたべ・おさむ)、5日死去、89歳。74年社会党から茨城県から参議院議員に当選し、以後4回当選。小選挙区制、社民党への改称に反対して離党、新社会党を結成して初代委員長になった。98年は比例区で立候補し落選。
・丸谷明夫、7日死去。76歳。吹奏楽の名指導者として知られ、全日本吹奏楽連盟理事長を務めた。大阪府立淀川工業高(現淀川工科高)に実習教員として赴任、その後教員免許を取得し電気科で教えた。その間、吹奏楽部顧問として全日本吹奏楽コンクールに41回出場、32回金賞受賞という全国最多の成果を挙げた。阪神タイガースの優勝パレード、高校野球大会などで指揮をするなど、吹奏楽を越えて関西で活躍した。テレビ番組でも何度も特集されたというが、僕は名前も知らなかった。異動せずに一校で指導できた時代だったんだなと思った。
・鈴木淳、9日死去、87歳。作曲家。67年に伊東ゆかりの「小指の想い出」が大ヒット。八代亜紀「なみだ恋」、ちあきなおみ「四つのお願い」、「X+Y=LOVE」など60年代から70年代の歌謡曲を作った。
・高良留美子(こうら・るみこ)、12日死去、88歳。詩人、評論家。母は参議院議員を務めた女性運動家、高良とみ。詩人として50年代から活躍。1963年、詩集「場所」でH氏賞を受賞した。1988年に「仮面の声」(現代詩人賞)、2000年に「風の夜」(丸山豊記念現代詩賞)など多くの詩集がある。女性史や女性問題に関する著作も数多く、「高群逸枝とボーヴォワール」などを残した。訃報が小さく忘れられている感じだが、重要な人だと思う。
・柏木博、13日死去、75歳。デザイン評論家。近代デザイン史を研究し、「家具や家電のみならず広告や都市も対象に、造形論にとどまらない、時代や社会を批評するデザイン論を展開し、広く社会に問いかけた」と訃報に出ている。非常に多くの本があるが、僕は知らない。
・飯塚繁雄、18日死去、83歳。拉致被害者家族会前代表。金賢姫に日本語を教えた「リ・ウネ」とされる田口八重子さんの兄。
・瀬川昌久、29日死去、97歳。ジャズ批評家。富士銀行に入社して、1953年にニューヨークに赴任。本場でデューク・エリントンやチャーリー・パーカーを聞いて、評論活動を始めた。戦前のジャズ・レコードを中心に、映画やミュージカルの評論活動を続けた。長年のポピュラー音楽への寄与に対し、2015年に文化庁長官表彰を受けた。映画監督瀬川昌治の兄にあたる。
・ボブ・ドール、5日死去。元米国上院議員。98歳。1996年大統領選で共和党候補として現職のクリントンと争って敗北した。
・マイク・ネスミス、10日死去、78歳。元「モンキーズ」のメンバーとして活躍した。解散後はカントリーのバンドで活動。
・金英柱(キム・ヨンジュ)、14日死去、101歳(とされる)。金日成の実弟で、朝鮮労働党の要職をかつて歴任した。72年の南北対話では北側の責任者として署名した。この時点では後継候補ナンバーワンとみなされ、副首相を務めていた。その後金正日との後継争いに敗れ、70年代半ばに失脚したとされるが、一時復活が伝えられた。最高人民会議代議員はずっと務めていたというが、まだ存命だったのに驚いた。
・リチャード・ロジャース、19日死去、88歳。イギリスの建築家。機能的デザインやハイテク志向のデザインで知られた。ロンドンのロイズ保険本社、ミレニアムドームなどで知られた。全世界で活躍し、日本でも汐留の日本テレビ本社、政策研究大学院大学などがある。
・カルロス・マリン、20日死去、53歳。ヴォーカルグループ「イル・ディーヴォ」のリーダーでバリトン担当。クロスオーバー音楽のブームを先導した。新型コロナウイルスに感染していたと言われている。