紀伊國屋寄席で三遊亭金翁を聴いてきた。紀伊國屋寄席というのは、新宿の紀伊國屋ホールで月に一回開かれている落語会で、今回がなんと第679回である。一年に12回、10年でも120回なんだから、もう56年も続いている。でも初めて行った。夜だから新宿からだと帰りが遅くなるのが嫌なのである。今日も帰宅が10時40分頃を越えたからブログを休もうかと思ったが、宵っ張りの母親が今頃風呂に入っているので先に書いているわけである。
今回は仲入前に三遊亭金翁、トリが柳家権太楼というはずだったんだけど、なんと権太楼師匠がコロナに感染してしまった。今芸能界ではコロナ感染が爆発的に増えていて、芸協会長の春風亭昇太も感染してしまった。落語協会では林家たい平も感染したという話。チケットを買ったときには、こんなに爆発的に増えてはいなかった。僕も夜というのはどうかなと思わないでもないが、金翁を聴いておきたいと思ったのである。小三治、円丈が亡くなり、落語協会では鈴々舎馬風、林家木久扇は何度も聴いているが、当年92歳の最長老、三遊亭金翁を一度も聴いていない。寄席の定席にはほとんど出ないからホール落語をねらうしかない。
(三遊亭金翁)
金翁と言っても、誰だという人も多いだろう。2年前までは金馬である。もっと前は小金馬だった。小金馬という方がなじみだというのは、相当の年長者である。小金馬は一龍斎貞鳳、江戸屋猫八と共に、1956年から1966年までNHKで放送された「お笑い三人組」のメンバーだった。元祖お笑いヴァラエティみたいな番組である。僕は小学校低学年だったけど、それに出ていたメンバーを覚えているのである。67年に4代目金馬を襲名し、2020年に息子の金時に金馬を譲って金翁を名乗った。その時の襲名披露にも一日ぐらいしか出なかった。僕が寄席に行くようになった頃には、もうほとんど出ていなかった。だけど探せばたまにはどこかに出ているので、今回行く気になったわけである。もう椅子に座って演じているが、やむを得ない。
演目は「阿武松」で相撲を見ているじゃないと読めないだろう。「おうのまつ」である。今は親方の名前で、阿武松部屋には阿武咲(おうのしょう)という関取もいる。だけど僕は名前の由来を知らなかった。ある大食いの力士が食い過ぎて武隈(たけくま)部屋をしくじる。故郷に帰る前に戸田の渡し(今の東京・埼玉を分ける荒川)でもう身投げするかと思ったが、部屋で貰った金で最後に食べようと思う。その食べっぷりを飯屋の主人が見込んで、今度は錣山(しころやま)部屋に世話する。これが大成した後の6代横綱阿武松だった。毛利家に抱えられ、萩にある阿武松原に由来するしこ名を名乗ったという。
いや、そんな由来があるとは知らなかった。まあ実話そのものではないらしいが、6代目横綱は確かに阿武松緑之助である。噺は小ネタだけど、悠然たる語り口で口跡もはっきりしている。大したもんだ。やはり一度聴いておいて良かった。協会が違うが、桂米丸が1925年生まれで落語界最長老。金翁は1929年生まれである。米丸もちょっと前まで寄席によく出ていたが、最近は出ていない。ところで今の武隈親方は元大関豪栄道で、今の錣山親方は元関脇寺尾だが、大昔にそんな因縁があったのか。
トリはもともと権太楼の「夢金」と出ているけれど、代演のさん喬は「妾馬」(めかうま)だった。さん喬と権太楼は年末に末廣亭で何年も一緒にやっている。同門だから、代演にふさわしい。でもさん喬は2年前に聴いてて、権太楼はナマではしばらく聴いてない。「妾馬」は、長屋住まいの八五郎の妹、鶴が殿様に見そめられて側室になり、世継ぎの男子を産む。殿様は八五郎を屋敷に招待するが、長屋の職人と堅苦しい武士の言葉遣いが事々に行き違い…という何度も聴いてる有名な噺。何度聴いてもよく出来た人情噺だと思う。身分制と人情の相克を肩肘張らずに訴えている。今回は踊ってもいいかと八五郎が踊って終わるという珍しい終わり方。
(柳家さん喬)
ほかに柳家やなぎ、春風亭三朝(蛙茶番)、中入り後に太神楽曲芸(包丁の芸で一度失敗したのがビックリ)があった。
今回は仲入前に三遊亭金翁、トリが柳家権太楼というはずだったんだけど、なんと権太楼師匠がコロナに感染してしまった。今芸能界ではコロナ感染が爆発的に増えていて、芸協会長の春風亭昇太も感染してしまった。落語協会では林家たい平も感染したという話。チケットを買ったときには、こんなに爆発的に増えてはいなかった。僕も夜というのはどうかなと思わないでもないが、金翁を聴いておきたいと思ったのである。小三治、円丈が亡くなり、落語協会では鈴々舎馬風、林家木久扇は何度も聴いているが、当年92歳の最長老、三遊亭金翁を一度も聴いていない。寄席の定席にはほとんど出ないからホール落語をねらうしかない。

金翁と言っても、誰だという人も多いだろう。2年前までは金馬である。もっと前は小金馬だった。小金馬という方がなじみだというのは、相当の年長者である。小金馬は一龍斎貞鳳、江戸屋猫八と共に、1956年から1966年までNHKで放送された「お笑い三人組」のメンバーだった。元祖お笑いヴァラエティみたいな番組である。僕は小学校低学年だったけど、それに出ていたメンバーを覚えているのである。67年に4代目金馬を襲名し、2020年に息子の金時に金馬を譲って金翁を名乗った。その時の襲名披露にも一日ぐらいしか出なかった。僕が寄席に行くようになった頃には、もうほとんど出ていなかった。だけど探せばたまにはどこかに出ているので、今回行く気になったわけである。もう椅子に座って演じているが、やむを得ない。
演目は「阿武松」で相撲を見ているじゃないと読めないだろう。「おうのまつ」である。今は親方の名前で、阿武松部屋には阿武咲(おうのしょう)という関取もいる。だけど僕は名前の由来を知らなかった。ある大食いの力士が食い過ぎて武隈(たけくま)部屋をしくじる。故郷に帰る前に戸田の渡し(今の東京・埼玉を分ける荒川)でもう身投げするかと思ったが、部屋で貰った金で最後に食べようと思う。その食べっぷりを飯屋の主人が見込んで、今度は錣山(しころやま)部屋に世話する。これが大成した後の6代横綱阿武松だった。毛利家に抱えられ、萩にある阿武松原に由来するしこ名を名乗ったという。
いや、そんな由来があるとは知らなかった。まあ実話そのものではないらしいが、6代目横綱は確かに阿武松緑之助である。噺は小ネタだけど、悠然たる語り口で口跡もはっきりしている。大したもんだ。やはり一度聴いておいて良かった。協会が違うが、桂米丸が1925年生まれで落語界最長老。金翁は1929年生まれである。米丸もちょっと前まで寄席によく出ていたが、最近は出ていない。ところで今の武隈親方は元大関豪栄道で、今の錣山親方は元関脇寺尾だが、大昔にそんな因縁があったのか。
トリはもともと権太楼の「夢金」と出ているけれど、代演のさん喬は「妾馬」(めかうま)だった。さん喬と権太楼は年末に末廣亭で何年も一緒にやっている。同門だから、代演にふさわしい。でもさん喬は2年前に聴いてて、権太楼はナマではしばらく聴いてない。「妾馬」は、長屋住まいの八五郎の妹、鶴が殿様に見そめられて側室になり、世継ぎの男子を産む。殿様は八五郎を屋敷に招待するが、長屋の職人と堅苦しい武士の言葉遣いが事々に行き違い…という何度も聴いてる有名な噺。何度聴いてもよく出来た人情噺だと思う。身分制と人情の相克を肩肘張らずに訴えている。今回は踊ってもいいかと八五郎が踊って終わるという珍しい終わり方。

ほかに柳家やなぎ、春風亭三朝(蛙茶番)、中入り後に太神楽曲芸(包丁の芸で一度失敗したのがビックリ)があった。