陳浩基「13・67」(文春文庫、上下)を読んだ。近年、中華圏(中国、香港、台湾)のミステリー、SFなどが注目されている。この「13・67」(2014)はその中でも広く評判を呼んだ作品で、2017年に翻訳が出版されると日本でも非常に高く評価された。「週刊文春」「本格ミステリベスト10」で1位となり、「このミステリーがすごい!」では2位になった。(1位はイギリスの「フロスト始末」。)しかし、単行本はかなり分厚いので、文庫化を待っていた。文庫は2020年9月に出たが、やっぱり手強そうで1年以上放っておいた。そして実際に相当に手強い本だった。6章に分かれるが一日一章しか読み進めない。内容がぶっ飛んでいて全体像がつかみにくい。最後の最後まで読んで、すべてのピースがはまるという驚愕の傑作ミステリーだった。
陳浩基(1975~)はホラーやファンタジーも書いているが、ミステリーは台湾の出版社から出してきた。台湾で作られた島田荘司推理文学賞の受賞者である。日本のミステリー作家島田荘司は東アジア一帯にファンが多く、日本のいわゆる「新本格」に影響された作家を輩出した。だから「論理」で究極的な謎を解く「本格」風味があるが、それだけではない。作家本人が言うように、香港を舞台にすることで、「社会派ミステリー」にもならざるを得ない。警察官を主人公にするから「警察捜査小説」になるが、香港マフィアとの闘いを描く章が多いので「読む香港ノワール」とも言える。それも何重にも入り組んでいるので、まるで「インファナル・アフェア」を彷彿とさせる。誰も予測できない展開に唖然とする大傑作だ。
1の「黒と白のあいだの真実」ではローという捜査官が大企業豊海グループ総帥の殺害事件を捜査している。関係者一同を集めたのが、何とグループが所有する病院の一室だった。そこには死期間近のクワン・ザンドー(關振鐸)が横たわっている。ローはかつて解決率100%の名捜査官クワンの薫陶を受けた。そしてクワンは今ではもう意識不明になっている。ローによれば人間は言語を発せなくても、人の言葉は聞いていて意識下では理解可能なんだという。その理解度を測定できる計測器を開発出来たので、今からここでクワン元捜査官の判断を仰ぐという。その結果、家族一同の抱える秘密が次々と暴かれ…。面白いんだけど、一体これは何? SF? 霊媒探偵みたいなヤツ? と思うと、もちろん最後に合理的な解決に至るが、ここでクワンは最期を迎えてしまう。
以後を読むと判るが、最初僕はローが主人公かと思ったが、実はクワン捜査官の物語なのである。「13・67」という謎の題名も、クワンが若かった1967年から、クワンが亡くなる2013年までという意味である。それを時間的には遡って叙述しているので、最初は判りにくいのである。1967年と言えば、中国大陸の文化大革命に影響されて香港で反英大暴動が起こった年である。クワンはそこから出発し、警官の汚職が激しかった時期、香港が「新興工業地域」として発展しマフィアによる犯罪が多発した時期、英国統治から中国に返還された時期、そして香港内部で親中派と民主派の対立が激しくなった時期を見つめ続けてきた。クワンの捜査は時には規則をはみ出し、同僚をも欺すことがある。かなり突拍子もない策を用いることがあるが、腐敗や政治的偏向はない。
2の「任侠のジレンマ」になって、ようやく香港ノワールの世界になる。ヤクザ組織が数年前に分裂し、片方が優勢である。しかしボスは堅気の芸能事務所社長を隠れ蓑にして、捕まえる証拠が得られない。そこに小さな芸能スキャンダルが起きる。その芸能事務所から売り出し中の少女スターに、あるイケメン俳優がちょっかいを出して揉めているという。問題はその男優スターが実は弱小ヤクザ組織親分の隠し子らしいということである。そして男優が何人かに殴られたという。これをきっかけに抗争が始まるのか。そんな時に捜査担当者のローのもとに、秘かに撮られたビデオが届く。少女スターが襲われ、歩道橋から転落する様子がそこには映っていた。と始まる事件の驚くべき真相は誰も見抜くことは出来ないだろう。「任侠のジレンマ」という言葉の意味が判るとき、深い驚きに感嘆するしかない。
謎解きと警察捜査小説の白眉は3の「クワンの一番長い日」だ。50歳でリタイアすることを決めたクワンの最後の日に、恐るべきギャング石本添が病院から脱走した。石兄弟は何の配慮もせず一般人も殺害する非情なギャングだが、数年前に弟は射殺され兄の石本添はクワンが逮捕した。しかし、その日腹痛を訴え病院に運ばれ、トイレから脱走したと見られる。ところがその日は前に起こっていた「硫酸爆弾事件」がまたも発生。警察もてんてこ舞いの一日だった。これは全く「実録ヤクザ映画」のような世界だが、「フロスト警部」並みのモジュラー捜査小説(事件が複数同時発生する)になり、その後にクワンの驚くべき論理的解決に至る。この章こそクワンの最高の解決だが、その日が最後の日だったとは…。
(陳浩基)
以上が上巻で、こうして書いていると終わらないから、下巻は簡単に。4の「テミスの天秤」は3で脱走した石の弟たちが殺害された数年前の事件捜査の物語。この時ローはまだ下っ端の刑事である。ここでも警察内部の状況を見抜くクワンの目は鋭い。5の「借りた場所に」では香港警察の腐敗を正すイギリス人捜査官の子どもが誘拐されたと電話がある。そこにクワンが呼ばれて誘拐の解決、真相を目指す。最後の6「借りた時間に」では1967年の反英暴動さなかに、中国共産党系の左翼青年たちが爆弾を仕掛ける。その相談を隣室で聞いてしまった青年と相談された若き警官。二人が奔走して事件を防ごうとするが…。
時間を遡って香港現代史を逆転して行くことになる。その結果、この親中派(67年当時の左翼青年たち)がもし香港返還の後に実権を握ったら大変なのではないかという声を書き留めている。2014年当時の、まだ現在と違う香港の「一国二制度」が生きていた時点で、未来の「予感」として書かれていたのだろう。香港の地理が判らないと理解しにくい部分もあるかもしれないが、僕は一度行っているので地名になじみがある。中華圏のミステリーを読んだのは初めてなんだけど、この小説は非常に面白かった。知らない人も多いと思うが、驚くべきミステリーである。
陳浩基(1975~)はホラーやファンタジーも書いているが、ミステリーは台湾の出版社から出してきた。台湾で作られた島田荘司推理文学賞の受賞者である。日本のミステリー作家島田荘司は東アジア一帯にファンが多く、日本のいわゆる「新本格」に影響された作家を輩出した。だから「論理」で究極的な謎を解く「本格」風味があるが、それだけではない。作家本人が言うように、香港を舞台にすることで、「社会派ミステリー」にもならざるを得ない。警察官を主人公にするから「警察捜査小説」になるが、香港マフィアとの闘いを描く章が多いので「読む香港ノワール」とも言える。それも何重にも入り組んでいるので、まるで「インファナル・アフェア」を彷彿とさせる。誰も予測できない展開に唖然とする大傑作だ。
1の「黒と白のあいだの真実」ではローという捜査官が大企業豊海グループ総帥の殺害事件を捜査している。関係者一同を集めたのが、何とグループが所有する病院の一室だった。そこには死期間近のクワン・ザンドー(關振鐸)が横たわっている。ローはかつて解決率100%の名捜査官クワンの薫陶を受けた。そしてクワンは今ではもう意識不明になっている。ローによれば人間は言語を発せなくても、人の言葉は聞いていて意識下では理解可能なんだという。その理解度を測定できる計測器を開発出来たので、今からここでクワン元捜査官の判断を仰ぐという。その結果、家族一同の抱える秘密が次々と暴かれ…。面白いんだけど、一体これは何? SF? 霊媒探偵みたいなヤツ? と思うと、もちろん最後に合理的な解決に至るが、ここでクワンは最期を迎えてしまう。
以後を読むと判るが、最初僕はローが主人公かと思ったが、実はクワン捜査官の物語なのである。「13・67」という謎の題名も、クワンが若かった1967年から、クワンが亡くなる2013年までという意味である。それを時間的には遡って叙述しているので、最初は判りにくいのである。1967年と言えば、中国大陸の文化大革命に影響されて香港で反英大暴動が起こった年である。クワンはそこから出発し、警官の汚職が激しかった時期、香港が「新興工業地域」として発展しマフィアによる犯罪が多発した時期、英国統治から中国に返還された時期、そして香港内部で親中派と民主派の対立が激しくなった時期を見つめ続けてきた。クワンの捜査は時には規則をはみ出し、同僚をも欺すことがある。かなり突拍子もない策を用いることがあるが、腐敗や政治的偏向はない。
2の「任侠のジレンマ」になって、ようやく香港ノワールの世界になる。ヤクザ組織が数年前に分裂し、片方が優勢である。しかしボスは堅気の芸能事務所社長を隠れ蓑にして、捕まえる証拠が得られない。そこに小さな芸能スキャンダルが起きる。その芸能事務所から売り出し中の少女スターに、あるイケメン俳優がちょっかいを出して揉めているという。問題はその男優スターが実は弱小ヤクザ組織親分の隠し子らしいということである。そして男優が何人かに殴られたという。これをきっかけに抗争が始まるのか。そんな時に捜査担当者のローのもとに、秘かに撮られたビデオが届く。少女スターが襲われ、歩道橋から転落する様子がそこには映っていた。と始まる事件の驚くべき真相は誰も見抜くことは出来ないだろう。「任侠のジレンマ」という言葉の意味が判るとき、深い驚きに感嘆するしかない。
謎解きと警察捜査小説の白眉は3の「クワンの一番長い日」だ。50歳でリタイアすることを決めたクワンの最後の日に、恐るべきギャング石本添が病院から脱走した。石兄弟は何の配慮もせず一般人も殺害する非情なギャングだが、数年前に弟は射殺され兄の石本添はクワンが逮捕した。しかし、その日腹痛を訴え病院に運ばれ、トイレから脱走したと見られる。ところがその日は前に起こっていた「硫酸爆弾事件」がまたも発生。警察もてんてこ舞いの一日だった。これは全く「実録ヤクザ映画」のような世界だが、「フロスト警部」並みのモジュラー捜査小説(事件が複数同時発生する)になり、その後にクワンの驚くべき論理的解決に至る。この章こそクワンの最高の解決だが、その日が最後の日だったとは…。
(陳浩基)
以上が上巻で、こうして書いていると終わらないから、下巻は簡単に。4の「テミスの天秤」は3で脱走した石の弟たちが殺害された数年前の事件捜査の物語。この時ローはまだ下っ端の刑事である。ここでも警察内部の状況を見抜くクワンの目は鋭い。5の「借りた場所に」では香港警察の腐敗を正すイギリス人捜査官の子どもが誘拐されたと電話がある。そこにクワンが呼ばれて誘拐の解決、真相を目指す。最後の6「借りた時間に」では1967年の反英暴動さなかに、中国共産党系の左翼青年たちが爆弾を仕掛ける。その相談を隣室で聞いてしまった青年と相談された若き警官。二人が奔走して事件を防ごうとするが…。
時間を遡って香港現代史を逆転して行くことになる。その結果、この親中派(67年当時の左翼青年たち)がもし香港返還の後に実権を握ったら大変なのではないかという声を書き留めている。2014年当時の、まだ現在と違う香港の「一国二制度」が生きていた時点で、未来の「予感」として書かれていたのだろう。香港の地理が判らないと理解しにくい部分もあるかもしれないが、僕は一度行っているので地名になじみがある。中華圏のミステリーを読んだのは初めてなんだけど、この小説は非常に面白かった。知らない人も多いと思うが、驚くべきミステリーである。