クリント・イーストウッド監督・製作・主演の「クライ・マッチョ」(Cry Macho、2021)が公開された。何とクリント・イーストウッドは監督50年、40作目だという。1930年5月生まれなので、91歳である。それでいてアクションもあれば、ラブシーン(まあ抱擁だけだが)も演じている。メキシコの原野を運転し、殴りかかったりする。荒馬に乗ってるシーンも、顔も見えるから少なくとも一部は本人だろう。映画を製作、監督するだけでなく、自ら主演までするとは実に驚くべき元気な老人である。

テキサスでカウボーイをしていたマイク・マイロ(クリント・イーストウッド)は、かつては荒馬を乗りこなすロデオのチャンピオンとして有名だった。しかし、一度落馬してからは落ち目になり、さらに妻子が事故死して酒や薬漬けになってしまった。そんなマイクに家を買う金を出した牧場主ハワード・ポークには恩義があって逆らえない。ある日、ハワードに呼ばれると、メキシコの元妻のもとにいる一人息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)を連れ戻して欲しいと頼まれた。それは「誘拐」になるのではないか、メキシコの監獄で死にたくないと断ろうとするが、息子が母親に虐待されている、恩を返すときだと言われる。
こうしてメキシコに赴いたマイクは、知らされた住所の豪邸を訪ねる。パーティの中で女主人を探そうとすると、部下に見つかる。母親のリタはラフォは「ワイルド」で手に負えない、ストリートに住んでいるから連れてって欲しいという。闘鶏場を探すとラフォが飼っている鶏のマッチョで闘鶏をしている。警察の手入れを逃れてから、ラフォを見つけて父の牧場へ行こうと言うと、母は酒浸りで男漁りが激しく「人間は皆信じない」と言う。何とか行くことを説得したが、今度は母親はラフォは自分のものだと言い張って父には渡さないと言う。こうして母の部下や警察を逃れながら国境を目指す旅が始まった。
(マイクとラフォ)
主要道は警察の検問があって脇道を行くが、追われたり車を取られたり。「グリンゴ」(アメリカ人の蔑称)っぽくない服装に変えて、ある町の食堂へ行く。そこで店主のマルタが親切にしてくれる。出掛けると検問にぶつかって逆戻り。先ほどの町の外れにあった教会に寝るが、翌朝にはマルタが料理を持ってきてくれた。そこでしばらく身を潜めることになり、マイクは荒馬の調教をする。動物の扱いがうまく、多くの相談も受ける。ラフォは「強さ」を求めて鶏にもマッチョと名付けた。マイクのことも高齢で衰えていると言うが、そんなマイクが荒馬を乗りこなすのを見て、「真の強さとは何か」を学んでいった。
(マルタと仲良くなる)
ラフォもマイクもその町が気に入ってきたが、そこにも母親の部下が迫ってきた。やはり出ていくしかないが、実は父のハワードも単に子ども可愛さで引き取りたいというだけではなかった。テキサスに行くか、止めるか。そんな時に母の手下についに追いつかれる。絶体絶命のところに、思わぬ展開が…。この映画は「史上最高のニワトリ映画」だろう。もっとも犬猫馬などの映画は数あれど、ニワトリが活躍する映画なんてものは他に思いつかないが。題名の「クライ・マッチョ」というのは「叫べ、マッチョ(な男)」という意味ではなく、「鳴き叫べ、(ニワトリの)マッチョ」という意味だったのである。
(マッチョをマイクに託す)
近年のイーストウッドは「ハドソン川の奇跡」「15時17分、パリ行き」「リチャード・ジュエル」のように実話の映画化が多かった。しかし、今回はリチャード・ナッシュの原作がある。元はナッシュのシナリオだったが、映画化してくれる会社はなく、小説化して成功した後で、改めて80年代から何度も映画化が試みられたという。一度はイーストウッドに持ち込まれたが、その時は若すぎるとして監督だけするつもりだったとか。アーノルド・シュワルツェネッガーを主演にする話もあったが、カリフォルニア州知事に就任して延期。そんなこんなのうち、2000年にナッシュは死亡したという。ようやく2020年になって、映画化が動き出した。
マイク・マンシーナの音楽(ウィル・バニスターが歌う主題歌「Find a New Home」が最高)、ベン・デイヴィスの撮影などが素晴らしく、僕はこの映画がなかなか良いと思った。しかし、アメリカでの評判は良くないらしい。そもそも「グラン・トリノ」の縮小再生産だと言われれば、そうも言える。日本で言えば山田洋次の「遙かなる山の呼び声」である。誰が90越えた老人に子ども連れ戻しを頼むのか、運転だって危ないだろうと言うのもなるほど。まあこんなミッションは70代が限界だろう。映画内では年齢が出てないけど、そのぐらいの設定なんだと思う。だけど悠然たる「円熟」ぶりに魅せられたのも事実。
あまり細かなことを言わなければ、十分楽しめる。一歳年下(1931年生まれ)の山田洋次監督「キネマの神様」より、ずっと面白いと僕は思う。アメリカでは「許されざる者」(1992年)、「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)がアカデミー賞作品賞、監督賞をダブル受賞した以後の作品は、あまり評価されていない。「硫黄島からの手紙」「アメリカン・スナイパー」が作品賞にノミネートされているぐらいである。一方の日本ではキネマ旬報ベストテンで、「父親たちの星条旗」「グラン・トリノ」「ジャージー・ボーイズ」「ハドソン川の奇跡」が1位になっている。(それ以前に「許されざる者」「スペース・カウボーイ」「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」も1位だから、都合8回もベストワンになっている。)
世界中で一番クリント・イーストウッドを監督として高く評価しているのは日本じゃないだろうか。それにはいくつかの理由があると思う。一つは日本ではアメリカの党派対立から遠く、共和党支持者のイーストウッドという立ち位置が影響しない。また、日本の批評家は日本の監督でも定評あるベテランを続けて高く評価する傾向がある。ただ、それ以上に「筆のすさび」(興の赴くままに作られたもの)にひかれ、キッチリした構成を求めないという日本文化の傾向が影響していると思う。確かに「クライ・マッチョ」は完成度の面では、大傑作ではない。でも「ローハイド」からマカロニ・ウエスタンを経て、今では大巨匠のイーストウッドが今も馬に乗っているだけで嬉しいじゃないか。寅さんを見に行くようなもんである。

テキサスでカウボーイをしていたマイク・マイロ(クリント・イーストウッド)は、かつては荒馬を乗りこなすロデオのチャンピオンとして有名だった。しかし、一度落馬してからは落ち目になり、さらに妻子が事故死して酒や薬漬けになってしまった。そんなマイクに家を買う金を出した牧場主ハワード・ポークには恩義があって逆らえない。ある日、ハワードに呼ばれると、メキシコの元妻のもとにいる一人息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)を連れ戻して欲しいと頼まれた。それは「誘拐」になるのではないか、メキシコの監獄で死にたくないと断ろうとするが、息子が母親に虐待されている、恩を返すときだと言われる。
こうしてメキシコに赴いたマイクは、知らされた住所の豪邸を訪ねる。パーティの中で女主人を探そうとすると、部下に見つかる。母親のリタはラフォは「ワイルド」で手に負えない、ストリートに住んでいるから連れてって欲しいという。闘鶏場を探すとラフォが飼っている鶏のマッチョで闘鶏をしている。警察の手入れを逃れてから、ラフォを見つけて父の牧場へ行こうと言うと、母は酒浸りで男漁りが激しく「人間は皆信じない」と言う。何とか行くことを説得したが、今度は母親はラフォは自分のものだと言い張って父には渡さないと言う。こうして母の部下や警察を逃れながら国境を目指す旅が始まった。

主要道は警察の検問があって脇道を行くが、追われたり車を取られたり。「グリンゴ」(アメリカ人の蔑称)っぽくない服装に変えて、ある町の食堂へ行く。そこで店主のマルタが親切にしてくれる。出掛けると検問にぶつかって逆戻り。先ほどの町の外れにあった教会に寝るが、翌朝にはマルタが料理を持ってきてくれた。そこでしばらく身を潜めることになり、マイクは荒馬の調教をする。動物の扱いがうまく、多くの相談も受ける。ラフォは「強さ」を求めて鶏にもマッチョと名付けた。マイクのことも高齢で衰えていると言うが、そんなマイクが荒馬を乗りこなすのを見て、「真の強さとは何か」を学んでいった。

ラフォもマイクもその町が気に入ってきたが、そこにも母親の部下が迫ってきた。やはり出ていくしかないが、実は父のハワードも単に子ども可愛さで引き取りたいというだけではなかった。テキサスに行くか、止めるか。そんな時に母の手下についに追いつかれる。絶体絶命のところに、思わぬ展開が…。この映画は「史上最高のニワトリ映画」だろう。もっとも犬猫馬などの映画は数あれど、ニワトリが活躍する映画なんてものは他に思いつかないが。題名の「クライ・マッチョ」というのは「叫べ、マッチョ(な男)」という意味ではなく、「鳴き叫べ、(ニワトリの)マッチョ」という意味だったのである。

近年のイーストウッドは「ハドソン川の奇跡」「15時17分、パリ行き」「リチャード・ジュエル」のように実話の映画化が多かった。しかし、今回はリチャード・ナッシュの原作がある。元はナッシュのシナリオだったが、映画化してくれる会社はなく、小説化して成功した後で、改めて80年代から何度も映画化が試みられたという。一度はイーストウッドに持ち込まれたが、その時は若すぎるとして監督だけするつもりだったとか。アーノルド・シュワルツェネッガーを主演にする話もあったが、カリフォルニア州知事に就任して延期。そんなこんなのうち、2000年にナッシュは死亡したという。ようやく2020年になって、映画化が動き出した。
マイク・マンシーナの音楽(ウィル・バニスターが歌う主題歌「Find a New Home」が最高)、ベン・デイヴィスの撮影などが素晴らしく、僕はこの映画がなかなか良いと思った。しかし、アメリカでの評判は良くないらしい。そもそも「グラン・トリノ」の縮小再生産だと言われれば、そうも言える。日本で言えば山田洋次の「遙かなる山の呼び声」である。誰が90越えた老人に子ども連れ戻しを頼むのか、運転だって危ないだろうと言うのもなるほど。まあこんなミッションは70代が限界だろう。映画内では年齢が出てないけど、そのぐらいの設定なんだと思う。だけど悠然たる「円熟」ぶりに魅せられたのも事実。
あまり細かなことを言わなければ、十分楽しめる。一歳年下(1931年生まれ)の山田洋次監督「キネマの神様」より、ずっと面白いと僕は思う。アメリカでは「許されざる者」(1992年)、「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)がアカデミー賞作品賞、監督賞をダブル受賞した以後の作品は、あまり評価されていない。「硫黄島からの手紙」「アメリカン・スナイパー」が作品賞にノミネートされているぐらいである。一方の日本ではキネマ旬報ベストテンで、「父親たちの星条旗」「グラン・トリノ」「ジャージー・ボーイズ」「ハドソン川の奇跡」が1位になっている。(それ以前に「許されざる者」「スペース・カウボーイ」「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」も1位だから、都合8回もベストワンになっている。)
世界中で一番クリント・イーストウッドを監督として高く評価しているのは日本じゃないだろうか。それにはいくつかの理由があると思う。一つは日本ではアメリカの党派対立から遠く、共和党支持者のイーストウッドという立ち位置が影響しない。また、日本の批評家は日本の監督でも定評あるベテランを続けて高く評価する傾向がある。ただ、それ以上に「筆のすさび」(興の赴くままに作られたもの)にひかれ、キッチリした構成を求めないという日本文化の傾向が影響していると思う。確かに「クライ・マッチョ」は完成度の面では、大傑作ではない。でも「ローハイド」からマカロニ・ウエスタンを経て、今では大巨匠のイーストウッドが今も馬に乗っているだけで嬉しいじゃないか。寅さんを見に行くようなもんである。