清水透『ラテンアメリカ五○○年 歴史のトルソー』(岩波現代文庫)という本を読んだ。存在も知らなかったが、ラテンアメリカの歴史に関心を持ったら本屋で目に飛び込んできた。もともとは2015年に立教大学ラテンアメリカ研究所から出た本で、2017年に岩波現代文庫収録。トルソーというのは「人間の頭部・両腕・両脚を除いた胴体部分のこと」で、洋服売り場で服を着せてある上半身を意味する。要するに歴史の基底部というような意味だろうか。いわゆる「通史」ではなく、ラテンアメリカ史に見られる特質を分析した本になる。叙述は「ですます」体で理解しやすいけど、知らないことばかりでなかなか大変だった。
著者の清水透氏(1943~)も知らなかったが、非常に興味深い人である。東京外語大スペイン語学科を卒業し、大学院を経てメキシコに留学。その後、母校に勤務していたが、50歳の時に管理職的な仕事ではなくメキシコに通い続けたいと思って退職。獨協大学、フェリス女学院大学を経て、2009年に慶應義塾大学を定年退職。この間、1979年から断続的にメキシコ南部チアパス州チャムーラという村に通い続けた。この本はその「成果」をまとめた本と言える。一時通えなかった時期もありその理由は「娘の闘病・他界」と書かれている。Wikipediaをみると病気は白血病で、著者は骨髄バンクの普及啓発活動に取り組んでいた。
(清水徹氏)
実は『戦争ミュージアム』より前に読んでた本だが、書きにくいので順番が逆になった。この本は要するに、「チャムーラ体験」がベースにある。著者のラテンアメリカ認識を「下から」作ったのが長年の現地体験である。そこはメキシコ最南部の貧困地域で、一見すると今も昔も「インディオの村」だという。ところが、40年前は天然繊維だった服が今は化学繊維に変わっているという。村は一応「カトリック」だが、子どもが生まれたら近くの町サンクリストバルから司祭を呼んで洗礼を施すぐらいの関わり。それじゃいけないと教会が改革運動を始めたことがあったが、あるとき村人が新しい施設を破壊して司祭を追放してしまったという。日本人が「一応仏教徒」であるのと似たように「一応カトリック」と言うべきか。
(チアパス州の位置)
「新世界」においてカトリック教会の影響は大きい。(しかし、近年のメキシコでは隣国アメリカの福音派プロテスタントの布教が広まっているとのこと。)単に「暴力」だけでは支配出来ないところ、「精神的征服」を担ったのがカトリック教会だった。もちろん先住民や黒人奴隷の抵抗は頻発したが、著者によれば「抵抗」にも二つある。暴力的抵抗ばかりでなく、「逃亡」も多かった。アフリカの村人をまるごと奴隷として連行した事例もあり、それらの人々が集団で逃亡して一帯に「黒人王国」を築いた例もあったという。そして度々スペイン側を攻撃するので、何と植民地当局が奴隷王国に「朝貢」していたのだという。ただし和平条件に「教会を置く」という条項があり、結局いつの間にか普通の村になってしまったという。
(サンクリストバル)
19世紀初頭の「ラテンアメリカ独立」は、結局植民地の大地主層の支配をもたらした。そして20世紀になると、アメリカ資本による「バナナ共和国化」が進む。そして中南米は「軍事独裁」ばかりとなった。この本はテーマ別に書かれているが、最後の方は近現代史となって人物名も多く出て来る。特にメキシコは20世紀初頭の「メキシコ革命」を経てラテンアメリカでは独自の存在となった。(例えばキューバ革命後に、キューバと国交を断絶しなかった唯一の国。)その影響はチャムーラ村にも及んでいる。しかし、近年は「液状化」とされ、チャムーラ村でいつも宿泊していた家からも、アメリカに移民に行ってしまった人がいるという。刺激的な論考が判りやすく展開されていて、ラテンアメリカに関心が深い人だけでなく読まれるべき本だ。
著者の清水透氏(1943~)も知らなかったが、非常に興味深い人である。東京外語大スペイン語学科を卒業し、大学院を経てメキシコに留学。その後、母校に勤務していたが、50歳の時に管理職的な仕事ではなくメキシコに通い続けたいと思って退職。獨協大学、フェリス女学院大学を経て、2009年に慶應義塾大学を定年退職。この間、1979年から断続的にメキシコ南部チアパス州チャムーラという村に通い続けた。この本はその「成果」をまとめた本と言える。一時通えなかった時期もありその理由は「娘の闘病・他界」と書かれている。Wikipediaをみると病気は白血病で、著者は骨髄バンクの普及啓発活動に取り組んでいた。
(清水徹氏)
実は『戦争ミュージアム』より前に読んでた本だが、書きにくいので順番が逆になった。この本は要するに、「チャムーラ体験」がベースにある。著者のラテンアメリカ認識を「下から」作ったのが長年の現地体験である。そこはメキシコ最南部の貧困地域で、一見すると今も昔も「インディオの村」だという。ところが、40年前は天然繊維だった服が今は化学繊維に変わっているという。村は一応「カトリック」だが、子どもが生まれたら近くの町サンクリストバルから司祭を呼んで洗礼を施すぐらいの関わり。それじゃいけないと教会が改革運動を始めたことがあったが、あるとき村人が新しい施設を破壊して司祭を追放してしまったという。日本人が「一応仏教徒」であるのと似たように「一応カトリック」と言うべきか。
(チアパス州の位置)
「新世界」においてカトリック教会の影響は大きい。(しかし、近年のメキシコでは隣国アメリカの福音派プロテスタントの布教が広まっているとのこと。)単に「暴力」だけでは支配出来ないところ、「精神的征服」を担ったのがカトリック教会だった。もちろん先住民や黒人奴隷の抵抗は頻発したが、著者によれば「抵抗」にも二つある。暴力的抵抗ばかりでなく、「逃亡」も多かった。アフリカの村人をまるごと奴隷として連行した事例もあり、それらの人々が集団で逃亡して一帯に「黒人王国」を築いた例もあったという。そして度々スペイン側を攻撃するので、何と植民地当局が奴隷王国に「朝貢」していたのだという。ただし和平条件に「教会を置く」という条項があり、結局いつの間にか普通の村になってしまったという。
(サンクリストバル)
19世紀初頭の「ラテンアメリカ独立」は、結局植民地の大地主層の支配をもたらした。そして20世紀になると、アメリカ資本による「バナナ共和国化」が進む。そして中南米は「軍事独裁」ばかりとなった。この本はテーマ別に書かれているが、最後の方は近現代史となって人物名も多く出て来る。特にメキシコは20世紀初頭の「メキシコ革命」を経てラテンアメリカでは独自の存在となった。(例えばキューバ革命後に、キューバと国交を断絶しなかった唯一の国。)その影響はチャムーラ村にも及んでいる。しかし、近年は「液状化」とされ、チャムーラ村でいつも宿泊していた家からも、アメリカに移民に行ってしまった人がいるという。刺激的な論考が判りやすく展開されていて、ラテンアメリカに関心が深い人だけでなく読まれるべき本だ。
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