尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「クリムト展 ウィーンと日本1900」を見る

2019年04月26日 23時15分12秒 | アート
 東京都美術館で「クリムト展 ウィーンと日本1900」(4.23~7.10)を見に行った。最近暖かい日が続いていたけど、今日は寒くて雨まじりの一日。金曜日だから夜20時まで開いている。クリムト展は始まったばかりだが、10連休になれば混むに決まってる。直前の金曜日の寒い夕方は狙い目かと思ったら、案の定割と空いてた。混んでるのが嫌で、最近はずいぶん見たい展覧会を逃している。クリムトは今まで余り見てないので、見てみたいと思ってた。ちょうど今、国立新美術館でも「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」という展覧会もやっている。日本・オーストリア外交樹立150周年記念の記念行事なのである。秋には国立映画アーカイブで映画特集も予定されている。

 グスタフ・クリムト(Gustav Klimt、1862~1918)は、世紀末ウィーンを代表する芸術家である。「外交樹立150年」というけど、それは「オーストリア=ハンガリー帝国」の時代である。(ハプスブルク家が支配するオーストリア帝国は、1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国に改組された。最近見た映画「サンセット」は、その時代のハンガリーを舞台にしていた。)第一次世界大戦でオーストリア帝国は崩壊するが、それは1918年のことだから、まさにクリムトは帝国崩壊の年に死んだことになる。
 (クリムト)
 今はなき帝国に生きたクリムトだが、その装飾的で官能的な画風、特に金箔を使った華麗な作品は人気が高い。チラシに使われている「ユディトⅠ」は代表作の一つだが、旧約聖書に出てくる女性ユディトが戦闘に勝って敵の司令官の首を切り落とす。その神話的モチーフをなんとも言えない官能的な顔の女性像として描き出す。右下に男の首を抱えている。うっかりすると女の顔に見とれて、首を見落としてしまいそうだ。そんなに大きな絵じゃなかったけど、忘れられないような絵だ。

 世紀末ウィーンハプスブルク家関連の展覧会は今まで何度も開かれているが、僕はあまり見てない。どうも少し苦手感がある。クリムトとかエゴン・シーレとか、昔から名前はよく聞いてるし、映画でも見た。なんか生き方に疑問もあるし、クリムトは生涯未婚だけど、子どもが14人いるとか言う。それも多くのモデルと子どもが出来るって、今ならセクハラ、パワハラ的な感じがするじゃないか。まあそういう俗世間に相容れない生き方が、保守的な美術界に反旗を翻して「ウィーン分離派」を形成することにもつながるんだろう。
 (ベートーヴェン・フリーズ)
 その「分離派会館」(セセッション館)にある壮大な壁画「ベートーヴェン・フリーズ」は移動不能だから本物ではないけど、正確な原寸大レプリカが展示されている。これは大きすぎて僕には全体像がよく判らない。クリムト研究をするわけじゃないから、初期の装飾の仕事、弟や仲間の仕事をじっくり見たわけじゃない。ざっと見た感じでは、装飾的な側面というのは、初期の仕事から続いている。ブルク劇場の天井画なども手がけている。そしてそこには「ジャポニズム」の影響も大きい。いやあ、この時代のジャポニズムはホントにいろんな影響があったんだなあ。
 (へレーネ・クリムトの肖像)
 もちろんクリムトには、いかにもクリムト的な絵ばかりじゃない絵もある。風景画もあるし、肖像画も多い。自画像はないというが、素朴な「へレーネ・クリムトの肖像」は弟の娘を描いている。こんな絵もいいなあと思う。小さな絵だけど、すごくいいと思った。
コメント (1)
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