尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

統一地方選、若い世代の政治参加を進めるために

2019年04月04日 22時49分52秒 |  〃  (選挙)
 統一地方選挙の前半戦、4月7日投開票の各道府県の知事議会議員選挙政令指定都市の市長選、市議会議員選挙が行われている。(東京はどっちも別時期なので、「都道府県」ではない。)その後、4月27日に市区町村長と議会議員選挙がある。47都道府県のうち、東京、茨城、沖縄、岩手、宮城、福島の6都県を除き、議会議員選挙はやってるから、全国ではかなりの人は選挙があるわけである。(自分自身はこの4月には一つも選挙がない地区に住んでるんだけど。)

 その選挙に女性候補が少ない。「政治分野の男女共同参画推進法」という法律ができたが、道府県選挙の女性候補は12.7%だという。しかも、女性議員の党派別議員数を見ると、共産党と公明党が抜きん出て多い。共産や公明は党組織(支持団体組織)がはっきりしているから、党活動の中から女性候補を選びやすいだろう。国政の最大政党である自民党は女性議員数が一番少ない。すでに有力な男性議員が地盤を築いているから、女性議員が入りにくいのだと思う。その結果、女性議員が一人もいない、あるいは一人しかいない議会も、少しずつ減ってはいるものの全国の半分近い。
  (女性議員がいない議会、女性議員の党派別のグラフ)
 「女性議員の数を増やす」というのはもちろん大賛成である。世の中の半分は女性なんだから、議会も半分ぐらいいていい。だけど、制度を変えずにただ増やせと言っても無理だ。それにマスコミには「(女性議員が少ないと)子育て世代の声が政治に反映しない」なんて書いてあるものもあったが、それは違うだろう。女性議員は育児や介護などに関心があり、一方男性議員は外交や経済に関心があるというのは「ジェンダーバイアス」である。それこそ「性別役割」を議員に担わせることになる。現実にも稲田朋美氏や杉田水脈氏のように、女性議員でもイデオロギッシュな人もいるじゃないか。

 「子育て」は男も関係あるわけだから、男性議員も暮らしに密着した課題に向き合うべきだ。しかし、現実には男性議員の多くは、支持団体で長く活動して「上がりポスト」で議席をもらっているような人が多い。だから高齢、保守の人が多い。「女性議員が少ない=男性議員が多い」には違いないけれど、もっと正確に言えば「高齢男性議員が多い」ということだ。時に若い保守系議員がいたとしても、多くは「二世議員」である。(最近は公募による若い保守系議員もいることはいるが。)

 性別も大事だけれど、パソコンもスマホも知らない高齢議員が重責を担うというんでは困ってしまう。(誤解されないように最初に書いておくけど、そういう高齢者の代表も必要だ。デジタル化ばかり進んで、高齢者は困るじゃないかという声を行政に伝える人もいるだろう。)マスコミも「女性候補こ数」は報じているが、「世代別候補数」は調べていない。育児や教育も大事だけれど、その前の「結婚未満世代」の問題、奨学金返還問題引きこもり対策など、政治課題としてもっと取り上げられていい。

 世界を調べると、被選挙権(立候補できる権利)はもっと若い国が多い。日本では参議院議員、都道府県知事は30歳。その他は25歳となっている。選挙権年齢を2歳引き下げたのだから、被選挙権も2歳下げてもいい。いや、市区町村議員などは成人していれば(20歳)いいのではないだろうか。組織のトップに立つには20歳じゃ若いだろう。でも地方議会の議員だったら、そういう議員もあっていい。そうしたら、大学在学中、あるいは卒業後の進路として「地方政治家」という選択肢ができる。

 さらに、「供託金をなくす」「インターネットによる選挙運動期間を長くする」「戸別訪問を解禁する」「ビラをもっと自由に作れるようにする」など大胆な改革をして若い世代が政治に参加しやすくするべきだ。今は市町村議会選挙は7日間しかない。これじゃ知名度も支持団体もない若者は当選できない。車で連呼する期間が長いと迷惑だが、ネット選挙は一ヶ月ぐらい出来てもいいじゃないか。ビラも今はパソコンですぐ作れるから、資金のある候補じゃなくても活用できる。戸別訪問こそ、元気でヒマが多い若い世代向き。今どき何度も押しかけたり、買収したりする候補は、音声や映像が公開されてしまうだろう。そうやって若い世代は政治の世界に進出するとき、地方議会も劇的に変わるだろう。
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三菱一号館美術館で、ラファエル前派展を見る

2019年04月04日 10時39分03秒 | アート
 ちょっと東京駅付近に行ったので、三菱一号館美術館で「ラファエル前派の軌跡展」を見てきた。東京駅は前に散歩で取り上げたことがあるが、さらに整備が進んだのはいいけど、国旗ばかりが目立つ。三菱一号館美術館は2010年に開館したが、実はまだ一度も行ったことがない。面白そうな展覧会は何度もあったけど、家から行きにくい気がして敬遠してしまった。すごく美しいレンガ建築の建物だが、実は解体された後のレプリカ建築。元は1894年にジョサイア・コンドル設計で建築されたもので、1968年に解体されていた。その後、一部は保管されていた部材も使って再建された。
  
 中へ入ると、3階へ上って展示室を回り、それから2階へ降りて展示室を見る。この展覧会は「ラファエル前派」の理論的支柱ともいえるジョン・ラスキン(1819~2000)の生誕200年記念で、ラスキンの作品が多数展示されている。しかし、ラスキンはやはり思想家であって、画家としては一流ではない。ラスキン研究という意義はあるが、僕にはよく評価できない。「ラファエル前派」というのは、19世紀半ばイギリスの芸術運動で、産業革命下のイギリスの画一的文化を嫌い、ルネサンスの画家ラファエル以前の中世的美術を理想とした。僕はウィリアム・モリスが昔から好きで、ずいぶんラファエル前派の絵も見たと思う。若い頃に見たら、ロマンティックな絵画に魅せられてしまい、今でもつい見に行く。
 (ロセッティの「魔性のヴィーナス」)
 ラファエル前派と言えば、やはりダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828~1882)だ。今回はチラシに使われてる「ヴェヌス・ヴェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」が目を引く。しかし、正直言うとロセッティのロマンの源泉はウィリアム・モリス夫人のジェーン・バーデン。このあたりの複雑な人間関係を知ると、ロマンティックの裏にドロドロもあったんだと判る。ロセッティの名画のヴィーナスは同じ顔が多く、それはモデルが共通だから当然だけど、面長なその顔立ちが僕の好みじゃない。

 ウィリアム・モリス(1834~1896)は詩人であり、デザイナーであり、社会主義運動家だった。工業化する社会に対し、職人による手仕事を評価し、自らデザイン工房を設立した。19世紀の多くの社会実験はほとんど失敗するが、モリス商会は商業的に成り立った。この発想に興味を引かれたわけである。インドのガンディーや日本の柳宗悦に通ずるものを感じる。ソ連的な社会主義ではなく、もっと美的で詩的でユートピア的な社会を目指す試み。若い頃はそういうものに心を引かれたんだけど、やはり手仕事の一品ものは高くなるし、自分じゃ買えない。今になるとそうも思うし、モリスのデザインも飽きてきた気もした。同じような展覧会に何度か行ってると、感動は薄れてくるなあと思った。
 
 3階から一号館の庭が見られる。春めいた感じが素晴らしかった。
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