尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

神話と結びつく宗教的な「天皇制度」

2019年04月29日 22時47分27秒 | 政治
 天皇退位皇太子の即位が間近に迫って、特にテレビが「改元記念番組」みたいなものばかりになって閉口している。そういうことはもちろん予想していたわけだけど、「平成流」の「象徴天皇制」が完全に国民を覆い尽くしている。そこでは「新元号は新天皇になってから発表するべきだ」という超右派の主張も通らないし、天皇制は廃止するべきだという左派もすっかり少数勢力になってしまった。

 今までこの問題を書いてないが、実はあまり関心がないのである。「国政に関する権能を有しない」と憲法で規定された天皇が代わることに、どんな意味があるのか。日本国の最高機関は国会であり、国会の構成に影響する選挙情勢には関心があるのとそこが違う。ところで、天皇が天皇であるのはどうしてなのか。それは日本国憲法に天皇が象徴として規定されているからである。今回、退位が決まったのも、そのための特例法が国会で成立したからである。

 それなら、退位や即位の式典はなぜ国会で行わないのだろうか。式典は皇居内の宮殿で行われ、そこに「三権の長」である衆参両院議長、総理大臣、最高裁長官などが参集するのである。これではアベコベではないのか。諸外国を見てみると、例えばスペインで2014年に国王が交代して、現在のフェリペ6世が即位したときは、国会で即位宣誓式が行われた。そう、本来なら国会において、新天皇が憲法に基づいて国事行為を果たすという「宣誓」があるべきなのである。

 しかし、そういう問題意識そのものがほとんどないのが実情だろう。むしろ政府首脳を初め右派勢力からすれば、未だに戦前の「国家神道」こそが「天皇制」だと思っているだろう。その考え方からすれば、天皇が即位するということは「三種の神器」を受け渡すことである。(その後「大嘗祭」を行って「天皇霊」を身にまとう。)だから、退位・即位の儀式を国会で行うなどという発想が起こるはずもない。

 天皇・皇后が退位を目前にして、伊勢神宮を訪問したこと、そのときに「三種の神器」を伴ったこと、その訪問が大々的に報道されたことは、やはり天皇制は宗教であって、そのことを国民も「了解」していることを示していると思う。日本国憲法ははっきりと「政教分離」を定めているから、この訪問は完全に私的なものでなくてはならない。NHKがこのとき「天皇家の祖先であるアマテラスオオミカミ(天照大神)」と報じたと問題になっている。他の民放は「祖先とされる」と報じたというのだが、この訪問を大きく報じている以上どっちもどっちだろうと思う。
 (明らかに宗教行為である天皇の伊勢神宮訪問)
 ところで、そもそもなんで退位を伊勢神宮に、つまり天皇の「祖霊」に「報告」するんだろうか。他にも「神話上で初代天皇として創作された神武天皇陵」(学術上はもちろん認められない場所)にも「報告」するし、父親である「昭和天皇陵」にも「報告」する。これは何なんだろう。それが「天皇」と言うべきものなのか。親の墓参りをして子どもが今度結婚しますなどと「報告」する…。まあそういう「親孝行」な人がいてもいい。しかし、その人が市長かなんかで、公用車で勤務時間中に墓参してたらどうか。公私混同と非難されるだろう。天皇の伊勢神宮訪問はそういう性質のものではないだろうか。

 このように「天皇制度」が「政治制度」ではなく、実は宗教として機能していることが、なんだか天皇制を語りにくくしている原因である。イスラム教だって、キリスト教だって、あるいはユダヤ教だって、一部の逸脱者を批判は出来るが、宗教そのものを批判することは難しい。世界で多くの人が心から信仰しているものを外部から批判するのは難しい。同じように「天皇教」(とでも言うべきもの)も非難しにくいから、多くの「自称リベラル派」もどんどん「転向」して行っている。しかし、宗教組織というのは「ミウチ」には親和的だけれど、いったん「外部」とみなされると排除される。そこが怖い。
コメント (1)
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