尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

鈴木信太郎記念館に行く

2019年04月09日 21時09分00秒 | 東京関東散歩
 先週のことだけど、豊島区立鈴木信太郎記念館に行ってきた。それは一体誰だと思う人が多いだろう。鈴木信太郎(1895~1970)はフランス文学者で、東大はじめ多くの大学で教えるとともに多くの翻訳をした。今も岩波文庫に「ヴィヨン全詩集」、「悪の華」(ボオドレール)、「ヴェルレエヌ詩集」などが収録されている。(ボオドレール、ヴェルレエヌなんて表記がずいぶん古めかしい。)死後は長男の鈴木成文(東大名誉教授、建築計画学)が居住していたが2010年に死去。フランス文学者の弟、鈴木道彦(「失われた時を求めて」の全訳、サルトルの研究などで著名)が豊島区に寄贈し、調査の上豊島区有形文化財に指定。2018年から無料で公開されている。
 (これが鈴木さん)
 場所は豊島区東池袋5-52-3、最寄り駅は地下鉄丸ノ内線新大塚駅下車3分。スマホも持ってるし、全然迷うはずがないと思ったら、なんだか全然判らなかった。豊島区と文京区の境目で、道路も入り組んでいて、スマホが示す道がどこだかよく判らない。判れば近いんだけど、案内表示はないので、なかなか大変。さらに門から階段があり、盛り土して高くなった地面に家が建っている。全体を見渡せる場所がないから全景が撮れない。こんなところに住んでいたのか。
 (道に面した入り口)
 建築的にはなんか不自然な感じの建物で、そこが貴重らしい。フランス文学の原書なんかがずらっと展示されているのは洋館書斎棟。その隣にある「茶の間・ホール棟」は戦争直後の「建築制限令」の時代に作られたもの。当時は15坪(約50㎡)以内に新築が制限されていて、この建物は14坪2合3勺(約47㎡)だという。こういう小さな建物は高度成長期以後に、ほとんどが建て直された。この鈴木家だって親も子も大学教授なんだから、お金がないわけじゃないだろう。なぜか知らないけど、残された。そこがすごく貴重らしい。さらに「座敷棟」が付いている。明治20年代に建てられた埼玉県春日部市の家の書院を昭和23年に移築した。高齢になった母親を引き取るためらしい。こうして継ぎ接ぎ的な「鈴木信太郎邸」が成立した。(下の写真=順に座敷棟、茶の間・ホール棟、書斎棟)
   
 入って右側に「書斎棟」があり、東洋文庫ほどじゃないけど、本がずらっと並んで壮観。本好きにはたまらない。まあフランス語の本ばかりだけど。ステンドグラスもあって、鈴木信太郎がデザインしたものだという。展示物の接写撮影は禁止だが写真は可能。だけど暗いからよく撮れない。
   
 続いてお茶の間を見て、座敷を見る。まあそこは普通なんだけど、縁側とガラス窓のある座敷なんか今じゃ貴重かもしれない。茶の間も妙に狭い感じが昔の作りで、逆に今では珍しい。ヴィヨンやマラルメの本が展示される高尚な洋館と、日常的な日本風空間が隣り合っている。そこがある意味で、日本の知識人の精神を表しているとも思う。面白い建物が残されたなと感謝。
   
 (午前9時から午後4時半まで。月曜、第3日曜日、祝日など休館)
コメント
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