尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ある島の可能性」ーウエルベックを読む④

2019年04月17日 21時23分41秒 | 〃 (外国文学)
 ウエルベックの次の作品は「ある島の可能性」(2005)。2007年に角川書店から邦訳が刊行され、2016年に河出文庫に収録された。文庫本で500ページを超える最長作品で、しかもSF的な作りになっている。20世紀に生きていたフランスのコメディアン、映画監督の「人生記」と、2000年後における人類滅亡後の「ネオ・ヒューマン」による注釈が交互に並んでいる。慣れるまでは何じゃらほいというスタイルで、付いていくのが大変。やっと判ってきた頃には、長いから少し飽きてくる。と思ったときに、300頁頃に「驚くべき展開」が起こって目が覚める。終わってみればとんでもない作品だと判る。
 (「ある島の可能性」=河出文庫)
 「ある島の可能性」の「」というのは、「ランサローテ島」のことだろう。ランサローテ島はモロッコ沖にあるスペイン領カナリア諸島北東部の島で、荒涼たる火山活動の跡で有名だそうだ。ウエルベックには2000年に刊行された「ランサローテ島」という中編小説がある。これは本の半分が著者による写真集で、2014年に河出書房から翻訳が出ている。唯一文庫化されていない本だが、調べたら地元の図書館にあって早速読んでみた。すぐに読める本で、リゾート観光体験記という点で「プラットフォーム」に、ラエル教団に関係するという点で「ある島の可能性」につながっている。
 (「ランサローテ島」)
 ラエル教団というのは、フランス人のスポーツジャーナリスト、ヴォリオン(ラエルと名乗った)が異星人「エロヒム」と出会ってメッセージを伝えられたとする新興宗教である。エロヒムによれば、人類はエロヒムが作って地球に放たれた生命体だという。モーゼ、ブッダ、イエス、ムハンマドらは皆エロヒムのメッセンジャーで、ラエルは最後の預言者で弥勒菩薩だという。諸宗教入り混ざった「ラエリアン・ムーブメント」として、日本でも活動している。(ホームページがある。)ラエル教団は一時、エロヒムを迎える「大使館」をランサローテ島に作ろうとしていて、その頃ウエルベックが島を訪れたということらしい。

 宗教上の教義はさておき、ラエル教団は「不死」を追求して「クローン技術」を開発している。「クローン人間」が実現すれば、それを改良していって「事実上の不死」とみなす。子どもとしてクローン人間を作るのではなく、初めから大人になった体を作る。記憶などの脳内情報もいったん取り出して(パソコン乗り換えの時のように)、その後新クローン人間にインポートする。そんなことが出来れば、「不死」に近くなる。この小説では、ラエル教団に遺伝子情報を預けた人々のみが、「ネオ・ヒューマン」(クローン)として生き残ったことになっている。現行の人類は気候変動や核戦争などで滅亡し、一部生き残った人々は文明を忘れて野生で生きている。ネオ・ヒューマンは彼らを「野人」と呼んでいる。

 「ある島の可能性」は第一部が「ダニエル24の注釈」、第二部が「ダニエル25の注釈」と題されている。最初はなんだか判らないんだけど、やがてこれは「ダニエル1」(20世紀に生きて、ラエル教団に遺伝子情報を託した人物)の、24番目と25番目のクローンという設定なのである。ちなみに愛犬フォックスの遺伝子も登録してあったので、代々クローン・フォックスが送られてくる。一代が何十年か生きるから、24代ということはすでにネオ・ヒューマン時代もすでに2000年ほど経っている。改良を重ね、小さな固形食料で大丈夫になっている。初代は「人生記」を残すことになっていて、それを読んで注釈を書くのがネオ・ヒューマンの一生である。そんなバカなという設定だけど、切実な痛みが伝わる。

 この本の大部分は、「ダニエルの人生記」になっている。お笑い芸人として成功し、映画製作にも乗り出して評価される。そういう人は日本でも多いけど、このダニエルはフランスを代表するアーティストとして「有名人」になる。それなのに恋愛や家族に恵まれないのは、他のウエルベックの本と共通。成功して恋人と住むためにスペイン南部に家を買う。その時の隣人の息子夫婦がラエリアンで、ランサローテ島の集会に誘われる。ダニエルは教義は信じないが興味を持つようになり、やがて教団を揺るがす大事件の目撃者となる。結局ダニエルは現世で幸福を得られないまま、クローンとして続くのだ。

 ものすごく長いので、途中で飽きてくる感じもある。ダニエル(初代)の行動様式が判ってくると、まあ人間は同じことの繰り返しなんだなあと思う。なんて寂しい物語なんだろう。この小説でもセックスが重要な意味を果たしている。それはどう語るかは別にして、実際に多くの人間にとって学歴だの仕事より重大だということなんだろう。だけど、素晴らしい性的結びつきも永続しない。世の中に楽しい小説もたくさんあるが、そういう小説は「人生の断片」しか描いていない。どんな大恋愛も、やがて死を迎える。長いスパンで大長編を書けば、すべての物語は悲しい別れを迎えることになる。

 この「ある島の可能性」もよく出来た面白い小説だ。「プラットフォーム」のようなスキャンダラスな物語ではないが、もっと人類史的視点で大問題を提出している。虚無を抱えた登場人物たちは、結局「不死」という新たな虚無に向かい合う。こうやってヨーロッパ文明、人類文明は滅んでゆくのかと痛みを覚える。だけど、これしかないのだろうか。リゾート旅行もいいけど、日本人なら季節ごとに温泉に浸かる喜びだけでも、しばらく生きて行けそうな気もするんだけど。ウエルベックの主人公は、お金に不自由せずこの世で成功した人物が多い。そういう人を通さないと世界を語れない。でも「小さな喜び」を感じながら生きている市井の人々を描く「私小説」が恋しくなったりもする。
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