尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

アニエス・ヴァルダ監督を悼むー2019年3月の訃報①

2019年04月05日 23時11分42秒 | 追悼
 アニエス・ヴァルダ(Agnès Varda)が亡くなった。1928年5月30日~2019年3月29日、90歳世界映画史上最高の女性監督である。「ヌーヴェルヴァーグの祖母」と呼ばれたりするように、トリュフォーやゴダールが映画を作り始めるよりも早く、1955年に劇映画デビューしていた。長い活動歴を持ち、2017年のドキュメンタリー映画「顔立ち、ところどころ」はキネマ旬報ベストテン8位に入選した。これほど長く活動を続けた監督は他に思い出せない。特別にヴァルダ監督だけの追悼記事を書いておきたい。

 近年、日本で数本の映画がデジタル映像でリバイバル上映された。若い頃に見ただけの「幸福」(=しあわせ、1965、ベルリン映画祭銀熊賞1966年キネ旬ベストテン3位)や「5時から7時までのクレオ」を改めて見直して、その素晴らしさと独自性を感じた。最高傑作は「幸福」だと僕は思うけど、このステキに色彩あふれた物語が僕には今ひとつ判らない。「幸福」と言っても、主人公の男はのほほんと生きてるけど、アレレと驚くラストがやってくる。これが女性監督の映画だということが「恐ろしい」のである。ホラーじゃないけど、ホラー以上に怖いアート系恋愛映画。
 (幸福)
 「5時から7時までのクレオ」(1961)は、本当に5時から7時までのクレオを描く。映画内の時間と現実の時間が完全に同じという趣向である。クレオは医者の診断を7時に聞くことになっている。それまでの不安に満ちた2時間。パリをさまよう描写も新鮮だし、映画内で映画が出てきてゴダールやアンナ・カリーナなどが出ている。また音楽のミシェル・ルグランも特別出演。そういう細部を知ってるとより楽しめると思うけど、この映画の本質はそこではない。「現実の時間」と同時進行するという企ての中で、人間存在について考えさせられる。今見る方が方法の実験性にこだわらずに見られて面白いと思った。
 (5時から7時までのクレオ)
 同時代に見た映画は「歌う女・歌わない女」(1977)や「冬の旅」(1985、ヴェネツィア映画祭金獅子賞)で、男性社会への批判が強まり「フェミニズム映画」と受け止められた。厳しい批評性とユーモアや美的な映像が僕は大変好きだった。そういう「闘う女性監督」を経て、ジェーン・バーキンを主演にした映画、さらに早世した夫ジャック・ドゥミ(「シェルブールの雨傘」の監督)の少年時代を描く「ジャック・ドゥミの少年期」(1991)という破天荒な映画も作った。死んだ夫の少年時代を映画にしちゃう。画面の中にジャックがいる。すごい発想をする人だ。

 そして最後にエッセイ映画の時代。樹木希林や瀬戸内寂聴のように年齢を重ねて、もう好きなように表現する段階である。「落穂拾い」「落穂拾い、2年後」「アニエスの浜辺」「顔たち、ところどころ」と、もっとあるのかもしれないけど、4本も見た。現代文明の行く末を憂い、フランス各地を訪ねながら思索する。かつて提唱された「カメラ万年筆論」(書き言葉のように自由に描かれた映像の意味)がついに実現したかという気がした。フランスの風景も美しいが、自在に語られた社会批判に重みがある。

 ヴァルダジャック・ドゥミアラン・レネらをよく「左岸派」と呼ぶ。ゴダール、トリュフォー、シャブロルら若き世代が集った映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」はセーヌ川の右岸にあった。一方、レネらは左岸のモンパルナスに集まっていた。そして、記録映画や写真に取り組んでいた。映画はお金がかかるから、映画会社に雇われて監督をしていた男性が多い。独立自営業者の小説家や画家には女性がいたが、集団創作の主催者であるオーケストラの指揮者、劇団の演出家、映画の監督などには女性がなかなかいなかった。有名な女優が監督にも進出することもあったけど、50年代、60年代には世界で本格的に劇映画の監督として評価されていたのはアニエス・ヴァルダだけだった。映画にとどまらず、非常に偉大な道を切り開いた女性の一人だ。
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