尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

結城昌治「あるフィルムの背景」を読む

2017年12月14日 21時07分22秒 | 〃 (ミステリー)
 結城昌治(ゆうき・しょうじ、1927~1996)のミステリー短編集「あるフィルムの背景」がちくま文庫から刊行された。ちくま文庫は獅子文六や源氏鶏太など「昭和の娯楽小説」をどんどん「再発見」している。結城昌治は僕の好きな作家だったけど、この短編集は読んでないのでさっそく買って読んでみた。帯には「昭和に書かれていた極上イヤミス 見つけちゃいました」とある。

 時代も感じるとはいえ、今も面白いのは驚くばかり。読みやすくて、なかなか含蓄がある。ただし、今じゃ書けないような話がけっこう多い。表題作は検事が見たブルーフィルムに映っている女が妻に似ていると感じたところから始まる。エロ写真やブルーフィルムを売って捕まったチンピラの「証拠調べ」である。「ブルーフィルム」も死語だろう。8ミリなんかで撮ったわいせつ映像のことである。今はインターネットがあるから、そんなものを路上で売る人は誰もいないだろう。

 そういう時代性が今になっては興味深いのである。これは昔の娯楽映画を見る面白さに通じるものがある。「セクハラ」などという言葉はなく、女性は「処女性」が尊ばれていた。レイプ犯が非難されず、「すきを見せた」と被害者が非難されたような時代。ホントにそんなバカなことがあったのである。そういう話もいくつかある。少年をテーマにした「孤独なカラス」の恐ろしさは時代に先んじていた。

 また、交通事故が出てくる小説が多い。2016年には交通事故死者数が4000人を割ったが、60年代には今よりもずっと交通事故が多かった。1960年から70年代半ばまで、死者が1万人を超えていた。一番多い年は1万5千人を超えている。人口が1億人に達したのは1967年だった。だから事故死の割合は高かったのである。「交通戦争」とまで言われ、大きな社会問題だった。道路の状態も悪かったし、法的な整備も遅れていた。そういう問題も大きいんだけど、子どもの数がずっと多くて、世の中も高度成長で急げ急げの風潮が世を覆っていたのもあると思う。

 第2部にはブラックユーモア風の作品が収められている。それらも絶品が多い。(「温情判事」の量刑は無理があると思うけど。)人々がまだ貧しくて、貧困や戦争が絡む事件も多い。そんな中で、普通の人々がふと犯罪に引きずり込まれていく瞬間を生き生きと描いている。それは「イヤミス」と言えば言えるかもしれないけれど、印象はちょっと違う。「イヤミス」というのは、読んで後味が悪くなるようなミステリーというジャンルで、湊かなえ「告白」とか、アメリカの「ゴーン・ガール」なんかが典型。この短編集は、後味が悪いのもあるけど、切れ味の鋭さでうなるような作品が多い。

 結城昌治は高校卒業後に東京地検に勤務していたが、結核で闘病した。そこで福永武彦の感化を受けてミステリーを書くようになった。1970年に直木賞を取った「軍旗はためく下に」は戦争中に不可解な罪を負わされた人々の真相を突き止めようとする話だが、それは検察で体験した出来事に基づいている。「軍旗はためく下に」は深作欣二監督が映画化し、出色の戦争映画になった。

 解説でも触れられているが、結城昌治は実に幅広いミステリー小説を書いた。いずれもレベルが高いのには驚くばかり。特にスパイ小説「ゴメスの名はゴメス」や私立探偵真木シリーズ「暗い落日」「公園には誰もいない」「炎の終わり」は僕が大好きな作品だ。また映画化された「白昼堂々」や日本では珍しい悪徳警官もの「夜の終る時」などもある。アメリカの影響を受けたミステリーが日本でも60年代にはたくさん書かれた。結城昌治はその中でもジャンルの幅広さと質の高さでは格別である。。

 もっとも結城昌治の最高傑作は、ノンミステリーの評伝「志ん生一代」じゃないかと思う。古今亭志ん生の生涯を描く壮絶な伝記小説で、人間の不可思議を突き詰めるという意味ではこれもミステリーなのかもしれない。もうほとんど文庫でも残っていないと思うが、これをきっかけに「結城昌治コレクション」などを刊行してくるところはないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする