尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

スピーキングテストに見る都教委の「原理主義」

2017年12月18日 23時24分37秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京都教育委員会が都立高校の入学者選抜で、英語のスピーキング能力を測るテストを導入する方針を決めた。各新聞に出ていると思うが、都教委のHPでは14日付で「『東京都立高等学校入学者選抜英語検査改善検討委員会報告書』について」という文書が掲載されている。この問題をどう考えるべきだろうか。僕は都教委の「原理主義的体質」を見事に表していると思うのである。

 まず「原理主義」(fundamentalism)という表現を説明しておきたい。もともとはキリスト教の一派で「聖書に戻れ」と主張するような人々を「キリスト教原理主義」と呼んだ。それがイスラム教にも援用されて、「イスラム教原理主義」と欧米で使われることが多くなった。しかし、イスラム社会では使わない言葉だという。イスラム教では、もともと「コーラン」(クルアーン)に従うのが当たり前で、「イスラム教原理主義」と表現するのはおかしいからである。

 このように「原理主義」とは、宗教や思想に関して使われることが多い。だけど、「市場経済原理主義」のように、「原理原則」に固執してものごとを考える人々に対しても使われることがある。そのような目で見れば、世の中にはけっこう「原理主義者」がいっぱいいる。右とか左とか、性別や年齢などに関わらず、「現場の現実」に目を閉ざし、自分の信じるタテマエを主張し続ける人々である。

 ところで、そういう人々の「原理原則」とは、実は「一番大きな原理」ではなく、「自分たちが思い込んだ小さな問題」であることが多い。キリスト教の中には、輸血を否定する人もいる。イスラム教の中には、女性はスカーフを被らなければいけないと主張する人もいる。そういうことが経典に明示されているんだったら、全員がそう理解するはずだ。でも、実際は「自分たちがそのように解釈した」というだけのことに固執していることが多い。イエスやムハンマドはそんなことを望んだのか。

 都教委の場合は、「学習指導要領原理主義」だと思う。学習指導要領は文部科学大臣の告示に過ぎないけど、これを金科玉条にして奉る。「10・23通達」で「国旗国歌の(教員への)強制」を打ち出したときも、学習指導要領に則って儀式を運営することが重要とされた。学習指導要領よりも、何よりも一番上位の縛りであるはずの日本国憲法に照らして、「思想・信条の自由」や「表現の自由」に抵触するんじゃないかなどとは問わない。だから、原理主義なのである。

 やっと今回の問題の英語スピーキングテストの問題に入る。都教委の文書を読んでわかるのは、「学習指導要領原理主義」以外の何物でもない。入選では「学習指導要領で定められた範囲で学力を測る」としている。学習指導要領では、英語は「4つの能力」(読む、書く、聞く、話す)を育てるとしている。しかし、今までは「3つの能力」しか測っていなかった。で、いろんな問題はあるけれど、今後「話す力」を測るテストを導入する検討を始めるというのである。

 これを聞いて、僕はなんでそんなことをするんだろと疑問に思った。いいんだよ、3つの力を測るだけで。いや、もちろんできるんならスピーキングテストをやってもいい。でも、入選で一番大事なことは何だろうか。それは「公平性」(受ける生徒にとって、平等に力を測定してもらえる)である。そして、次に「迅速性」だろう。これは採点する側の事情だが、ベストなテストを作っても永遠に採点しているわけにはいかない。一週間で合格発表までのすべての作業を完了しないといけない。

 常識で考えれば、この一番大切な「公平性」をスピーキングテストでできるとは思えない。どうするんだろうか。それは「英語検定」なんかでも同様である。だから、都教委もそのような民間の外部テストと連携するようなことを言っている。でも、高校の入選を高校の英語教員以外が担当してもいいのだろうか。あれほど「個人情報」をうるさく言う都教委である。都立高の入試に使うテストを民間で事前にやってしまうなんてありうるのか。じゃあ、都立高校の英語教員だけでできるとも思えない。

 そもそも「学習指導要領」にそんなにこだわるのが判らない。学習指導要領で中学生が学ぶべきとされているのは、何も英語のスピーキングだけではない。国語だって「話すこと・聞くこと」を育成すると書いてある。何で国語ではスピーキングどころか、ヒヤリングテストも行わないのだろうか。理科では「観察・実験」と何回も書いてある。どうして理科のテストで実験をさせないのだろうか。

 それに大体、音楽、美術、保健体育、技術・家庭だってあるわけだが、テストしなくていいのだろうか。そんなのできるわけがないというかもしれない。確かに体育や美術の実技を全面的にやることはできないだろう。でもそれらの教科だって知識も必要なんだし、ペーパーテストなら実施できる。実際、何十年も前になるけど、これらのテストをやってた時期もあるのである。

 という風に考えていくと、そもそもそれほど学習指導要領に書かれている学力をきちんと測定しなくちゃいけないんだったら、なんで推薦入試があるんだということになる。学力テストは全然やらないで、作文と面接で選んじゃうのである。そういうのも少しはあってもいいじゃないかと思うかもしれないが、そんなレベルではない人数を推薦で選んでいる。2017年で見てみると、推薦で9,007人一次試験で32,030人(全日制のみ)が合格している。ちなみに、一次試験の受検生はおよそ4万5千人。(なお、2次試験、分割後期では886人が合格した。)

 つまり、4人に1人ぐらいは学力試験なしで都立高校に入っている。それをなくして全員学力試験で取るというんなら、スピーキングテストも意味があるかもしれない。でも、実際は難関大学進学を目指す進学指導重点校の日比谷高や西高だって、64人も推薦で取っているのである。(普通科、特に進学重点校は推薦入試はいらないでしょ。)

 僕が思うに、中学3年生なんだから、読む、書く、聞く能力が高ければ、おおよそ話す力だって高いのではないか。「帰国子女」といった特別ケースを除けば、高校段階で問題が起きるほどスピーキング力の差はないのではないか。多少あっても、高校入学後に育てていけばいいじゃないか。不登校だったり、障害がある生徒も、最初は全日制高校を受けてみたいと思う生徒がかなりいる。落ちてからでも、夜間定時制や通信制の二次試験を受けることはできるのだから。(最初にそれらが埋まってしまうことは事実上ないので。)だけど、そのような生徒にも当然、事前のスピーキングテストを中学側で受けさせないといけなくなる。ものすごい現場の負担増である。

 ところで、このテストはいつやるんだろうか? 現場の忙しさを考えると、1月半ば以後はもう無理だろう。中学は都立の推薦指導や私立高入試を控え、高校はセンター試験対応や推薦入試がある。だったら12月にでもやるんだろうか。その段階では都立の推薦の結果は誰にも判らない。国立や私立難関高を目指す生徒も、受かるかどうかわからないんだから、都立のすべり止めの出願をしておく。だから、私立の推薦がすでに決まっている生徒を除けば、事実上すべての生徒が事前のスピーキングテストを受けないといけなくなる。なんだか釈然としない。
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