尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「好きの搾取」の部活動-部活を考える①

2017年12月24日 22時04分30秒 |  〃 (教育問題一般)
 部活動のあり方を考えていくと何回書いてもキリがないぐらいになる。とりあえず「問題整理」「問題提起」として2回ほど書いて、じゃあどうするというのは年明けに回したいと思う。まず、どうしても最初に書いておかないといけないのは、教員の中でも特に中学教員の超過労働が激しすぎて、「過労死ライン」を大きく上回っていることである。そのデータは異常としかいいようがない。

 「過労死ライン」とは月の時間外労働が80時間を超える場合を指す。週当たり60時間を超えると、このラインに達する。2016年度の文科省調査によると、この時間を超えているのは小学校で33.5%、中学校で57.7%にまで達している。東京都の場合、この全国ラインを超えている。11月に発表された「東京都公立学校教員勤務実態調査の集計について」を見るとよく判る。

 その調査によると、週60時間以上の勤務をしているのは、小学校教員が37.7%、中学校教員が68.2%、高校教員が31.9%、特別支援学校教員が43.5%となっている。また副校長は特別支援で86.7%、小学校84.6%、中学校78.6%、高校58.3%になっている。これは実感として、30年前に僕が中学校に勤務していた時からほとんど同じだったように思う。地域密着で部活動を行わなくてはいけない中学は、とにかく多忙を極めるのである。

 最近は教育改革、授業改善の動きが激しすぎて、今までの授業ではやっていけなくなったり、校内研修や校外研修が多すぎるのも大問題。だが、それ以上に少子化の影響が特に大きいのではないかと思う。若くて元気な独身男性が新採で何人も来れば、何となく部活顧問も決まってしまうだろう。でも少子化で学級数が減ると教員も減る。部活顧問が異動しても、後任が補充されないことも多い。

 それなら学校の部活も減らせばいいわけだが、そういう風にすぐは減らせない。サッカーは11人、野球は9人必要だから、それ以下になると試合に出られないはず。ある時期までは一学年で15人ぐらい入部して、レギュラーになるのも大変だった部活も、生徒が減ると難しくなる。でも、1年から3年まで合わせて9人いれば、なんとか試合に出られるじゃないかとなる。あるいは試合の時だけ他の部活から借りて来るとか。そして来年たくさん入部するかもしれないと言われてしまうと、急に廃部にはしにくい。そうやって、教員は減っても部活は減らない。

 そうなると今までは「副顧問」だった教師が「正顧問」にならざるを得ないことも起きる。全員が部活顧問になるというタテマエの下、顧問は引き受けられないけど「副顧問」ならという教員もいる。正顧問が出張や休暇のとき、あるいは試合引率の時などは副顧問の出番だが、土日の活動などでは基本的には行かないでよかった。家庭の事情でそれ以上はできないという教員でも、今度は時には家族を犠牲にして部活顧問をせざるを得ない。そんな教員の「悲鳴」が聞こえてくるわけである。

 それなら「顧問」を断ればいいじゃないかとも言える。だけど、それはなかなか現実には難しいだろう。教員の評価にも関わるが、そういうことではなく「生徒に頼まれれば断れない」ということだ。そして「好きで部活をやってる教員」も一定数いる以上、校内で問題提起するのも勇気がいる。生活指導部で顧問案を作るのも苦労だろうが、前例踏襲に走りやすい。運動部ならまだしも誰か引き受けようがあるが、吹奏楽や合唱など音楽系で実績がある学校で、音楽教員がいなくなると非常に大変だ。音楽教員は女性が多く、産育休を取った代替教員では対応できない。

 それでも何とか誰かが犠牲になって、部活が続いていることが多い。それをどうすればいいか。そもそも問題をどう捉えればいいのか。そう思い続けてきたけど、なかなか表現にしようもなかったんだけど、今年の初めにいい言葉を聞いた。「好きの搾取」である。人気ドラマのセリフで使われた「好きの搾取」っていう言葉、部活動にこそ一番当てはまるんじゃないだろうか。誰が誰を搾取しているのかは、なかなか見極めが難しい。でも、総額いくらぐらいの「搾取額」になるかは大体判る。

 それは前回書いた中澤篤史著「そろそろ、部活のこれからを話しませんか」の本に出ている。部活指導を全部地域の外部指導に切り替えるとどうなるか。そうすることの是非はともかく、「数十億円」がかかると書かれている(137頁)。数十億で済むかどうか知らないけど、少なくともそのぐらいにはなるらしい。教育予算が減らされ続けたので、もうそういう数字を聞くだけで、絶対ムリだと教員は考えがちだ。でも本来はその分が教員の「ほぼ無償労働」(一応多少の手当は出る)で手当てされているわけだ。これが「好きの搾取」の代償ということになる。本来は大きな社会問題になるはずではないのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする