尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

清水潔『「南京事件」を調査せよ』を読む

2017年12月08日 23時18分01秒 |  〃 (歴史・地理)
 清水潔氏の『「南京事件」を調査せよ』(2016、文藝春秋)を読んだ。ホントはもう単行本はあまり買いたくないけれど、テレビで南京事件のドキュメントが評判になったし、清水潔氏の本だから買ったのである。清水さんは「殺人犯はそこにいる」という本を書いた。その本は去年になって「文庫X」として突然大評判になった。僕は本が出た少し後で読んで、『「殺人犯はそこにいる」という本』をブログに書いた。

 いま読んだのは、南京攻略戦と大虐殺事件から80年だからである。だからだろう、今月の文春文庫新刊を見ると、早くもこの本が文庫化されている。池上彰氏の解説も付いてるし、一年ちょっとで文庫になるんなら待ってれば良かった。まあ、多くの人が手に取りやすくなったわけだから、僕が読んで紹介しようかと思った。

 目次をパラパラと読んでみたところ、おおよそ知っていることばかりなんじゃないかと思った。読んでみて(後述するように)、実際知っていることが多かった。だけど、僕はちょっと間違っていた。清水氏は1958年生まれで、桶川ストーカー事件や足利事件などで活躍したジャーナリストである。現代史に関しておおよそのことは知ってるだろうと思ったけど、案外知らなったことが多いらしい。それなら世の中で知らない人がいるのも当然だ。

 清水氏が南京事件を調査していたのは、2015年の頃だった。戦後70年のその年、朝日新聞に対するバッシングが起こっていた。清水氏も「右派」からの論難に足をすくわれないよう、細心の注意を払って調査を続ける。読んでいて、そこまでするのかとちょっと驚いた。世の中には、日本政府が一度も否定できない南京事件を全否定してしまう人もいる。しかし、清水氏も書く通り、否定論には一次史料に基づく根拠がない。清水氏が求め続けるのは、一次史料による証明力と言っていいだろう。

 そうなると、兵士の残した日記などの一次史料が重要になる。もう当時従軍していた兵のほとんどは世を去っている。そこで1996年に出された「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち―第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」に注目する。この本をまとめた小野賢二氏は、福島県に住む「化学労働者」で勤務の合間を縫って郷土の兵士を訪ね歩き多くの史料を発掘した。現代史に関心がある人には知られているけど、まだ知らない人も多いんだろう。小野氏はもう退職していたとこの本で知った。

 小野氏が発掘した多くの日記は、大体は元の持ち主に返されているが、いくつかは小野氏に寄託された。そこで清水氏も現物を見ることになるが、いかにホンモノらしく見えても、さらなる証明力を求める。例えば、紙やインクは当時のものなのか。確かに僕もそう言われてみると、筆記具やインクの歴史に詳しいわけじゃない。でも、墨と筆があれば書けるわけだし、日露戦争の兵士の手紙もずいぶん見つかっている。部隊は詳細な記録を残さないといけなんだから、筆記具は行き渡っていたに違いない。万年筆は第一次大戦後に盛んになり、日中戦争ころに一番作られていたようだ。

 そのような手順を踏んでいき、日記に出てくる地名や船の名前などを確認していく。確かに朝日が「吉田証言」であれだけたたかれたから、細かな確認をクリアーしていかないと、日本テレビでドキュメント番組を作ることはできない。そうやって、日記に記されていた出来事、「揚子江の惨劇」を立証していく。これは南京占領後、入城式(12月17日)を前にぼう大な捕虜を大量に虐殺した出来事である。日本の上海派遣軍の司令官は皇族の朝香宮だったから、入城式当日に不祥事が起こらないように徹底した掃討を行ったのである。

 なお、それらの事件には「自衛発砲説」や「暴動鎮圧説」を主張する人もいることはいる。それらには著者が反論しているのでここでは触れない。その後、著者は現地を訪れたり、さらにさかのぼって日清戦争時の旅順虐殺を調査したりする。その結果、自分の祖父も日清、日露戦争に従軍していた歴史を知る。そういう自分につながる近代史を調査する時間の旅になっていく。

 そこも面白いんだけど、ここでは触れられていないことを書いておきたい。兵士の記録を中心に調査しているが、ことは上司の命令によるものだから、上官の記録にも触れて欲しいところ。また当時の各国外交官、あるいは国際難民区の状況なども重要だろう。この本では「捕虜」の虐殺が中心になってるが、略奪、強姦、放火も非常に多かった。「船で逃げる捕虜」を攻撃するとして、アメリカのパネー号を海軍機が爆撃した事件なども起きていた。

 南京戦に関しては、犠牲者数がどのくらいだったかは、今では二義的な問題だ。国際法上明らかに不法な南京攻略戦がどのように起こされたかが本質的な問題である。準備もなく、軍中央の命令もないまま突撃していった「作戦」とも言えない「作戦」。当然食料の補給などはなく、現地での略奪に頼ることを前提にしていた。そんな作戦が多くの軍紀違反を生むのは当然だった。(なお、「揚子江」は「長江」で統一すべきだ。何十年も前から、教科書は長江である。)
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