尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

水村美苗「続明暗」を読む

2017年12月03日 21時21分01秒 | 本 (日本文学)
 漱石の「明暗」に続いて、水村美苗が書いた「続明暗」を読んだ。けっこう夢中で読んでしまったので、早く書かないと忘れてしまう。書いても「明暗」を読んでない人にはあまり意味がない。1990年に出たこの本が文庫化された時に買ったまま、僕もずっと読んでなかった。はっきり書いてしまえば、これは「明暗」よりずっと面白い。漱石がもう少し元気で、「明暗」を完成させていたとしても、多分これほど面白くはないだろう。そのことには著者も自覚的で、筋の展開を劇的にして心理描写を少なくするなど現代の読者に受け入れられるように書いたと言っている。

 「続明暗」が出た時点で、水村美苗(1951~)という作家はまったく無名と言える存在だった。親の仕事の都合でアメリカで育ち、エール大学で学んでいる。その後もアメリカで日本文学を教えていて、日本の文壇とは無縁だった。夫は経済学者の岩井克人で、1885年に「ヴェニスの商人の資本論」で一般にも知られるようになった。僕も岩井の名は知っていたが、「続明暗」が出た時点まで水村の名は知らなかった。(二人が夫婦だということも今回調べて初めて知った。)
 (水村美苗)
 「続明暗」はまるで漱石が描いたような文体で書かれている。現在の日本語に接しない環境だからこそ、何十年前の文章の世界に入っていけたのかもしれない。漱石がよく使う当て字も、ところどころで使っているが、さすがに漱石ほど目立たないように書いている。今じゃ校正でチェックされるはずだから、あまり目立ってもおかしいということかもしれない。

 しかし、一番ビックリしたのは文体模写ではない。漱石が「明暗」の中に書き散らした伏線を限りなく回収する手際の良さである。ほとんど完璧に近いと思う。「明暗」の最後で、主人公の津田が病後の転地療養を理由に温泉に行く。そこには結婚前に親しかった清子も療養に来ていた。そのことを津田に知らせ、旅行のお金も出してくれたのは、会社の上司の夫人である「吉川夫人」である。湯河原と思われる温泉宿で、いよいよ津田は清子に再会した。

 という、オイオイ、一体どうなるんじゃというところで作者病没のため未完になったわけである。で、いろいろあるんだけど、温泉宿へ津田の妹秀子と津田の友人小林が連れ立って乗り込んでくる。もうこの二人に出番はないのかと思っていたら、水村美苗はこんなところで使っている。じゃあ、どうしてこの二人が来るのかと言えば、その論理構成には寸分の隙もない

 一応書いてみると、津田の妻、お延が吉川夫人から事の真相を告げられる。夫人の構想では、それをもって「良き妻の教育」につなげるつもりが、お延はショックを受けて放心してしまい、いろいろあるが結局自分で湯河原に乗り込むことにする。そうなると、翌々日にいとこの岡本嗣子の見合いに出かける用事が果たせないので、下女のお時に命じて翌日になったら電話で延子が風邪をひいてしまって行けないと連絡させる。延子を信頼している嗣子は、延子の見舞いに訪れ、お時から真相を聞き出す。岡本は驚き、津田が育った叔父の藤井家に行くと、そこに小林もいる。岡本が見合いのため湯河原に行けないので、津田の妹秀子と事情を知る小林が湯河原行きを引き受けざるを得なくなる。

 「明暗」を読んでない人には全然判らないと思うけど、これは実にすぐれた「明暗」理解だろう。それぞれの登場人物の立場と人柄を合わせ考えると、漱石がどう書いたかは判らないけど、おそらくこのような展開になるべき必然性がある。そういう凄みをこの展開に感じた。また、「明暗」の冒頭の方に出てきてそのまま忘れていた、病院で清子の夫関に偶然会う場面。それを清子との会話に生かす。実際にこのようなことを言えるかどうかは判らないし、当時の新聞小説では不可能ではないかとも思うが、実に慧眼だと思った。(書いてしまうことにするが、関は性病治療に行ったのではないか、その病気が清子の流産の原因ではないかと津田は想像するのだ。)

 まあ、そう言った筋書きの作りはともかくとして、この「続明暗」によってこそ、漱石晩年の試み、「エゴイズム」追及という小説が誕生した気がする。それも湯河原の自然描写を背景に、人間ドラマも絡んで実に読みごたえがある。そして最後に延子を通して「則天去私」を語らせる。これが漱石のねらいだったか。最後まで強い緊張を持って、作中の人々は物語世界を疾走し、ラストで一応の決着を見る。それが「続明暗」で、漱石ファンに限らず多くの人がセットで一度は読んでみる価値がある。

 あえて言えば、当時有夫の女性と親しくするのは刑法上の疑いを招くことをもっと強調するべきではないか。「姦通罪」があり、夫が訴えれば刑務所行きである。そこまでのシーンはないけれど、津田には揺れる心もある。だが津田を思いとどまらせるのは、社会的制裁への恐れだったかもしれない。周りの人々もそのことをもっと心配したのではないかと思う。なお、最後に津田がどうなるかは書かれていない。津田を死なせる決着もあったと思うけど、作者はあえて延子に試練をくぐらせる。男性作家の漱石は違ったラストを用意したかもしれない。

 水村美苗はその後、「私小説」「本格小説」「新聞小説」という題名の長編を書いて、押しも押されもせぬ大作家になっている。「日本語が亡びるとき」という評論も大きな評判を呼んだ。どれもこれも読んでないけど、今度ぜひ続けて読んでみたいと思った。非常に読みごたえがあったので、その後の本も読みたくなる。
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