菅和泉は先祖代々播州の地士にして、志津ヶ嶽、岸和田、日向耳川、城井攻め等に手柄多く、諸人にすぐれ忠節あればあるとき褒美として長政より手ずから脇差貞宗をあたえられた。朝鮮出兵のとき軍功多く長政より再拝(采配)を賜る。文禄3年長政虎狩をした時、菅和泉刀を以って虎を切り伏せた。関が原の合戦にも豊臣方の武将島左近の強兵を追散し其の功甚大なりし。筑前入国後長政は今までの功に報いるため家老にと求めたが朝鮮の役中敵の毒矢に当り顔面に疵を受け人前に出がたく思えばそれを辞退した。家禄を嫡子に譲り隠居せしかども、長政その才力をおしみ退居を免し給わず。福岡城南丸に置いて城番たらしむ。寛永6年没。行年59歳であった。
黒田家臣傅中巻の筆頭は野村太郎兵衛である。豪傑母里太兵衛の弟で勇猛果敢さは兄譲りであった。幼時より黒田家に仕え播州所々の小攻合に度々手柄を立てる。天正14年豊前国築城郡宇留津城攻めに功名す。日向耳川の島津軍との戦にて其の働き群に超たり。また中津城にて城井中務少輔(宇都宮鎮房)が推参せし時、長政太郎兵衛に命じてこれを切り伏せさせた。文禄元年朝鮮征伐にても高名をあげる。豊前国中津では三千石を賜る。慶長2年中津城下にて病没。行年38歳という無念の若さであった。しかし其の嫡男市右衛門は朝鮮征伐、九州石垣原の合戦等に父にも劣らぬ高名をあげ剛者として名を残した。
本日、新春初舞台です。地元選出の大友県会議員後援会新春互例会に是非ご祝儀舞を黒田武士でとの要請があり小野会長以下5名で新春初舞台となりました。控え室で出番を待っている緊張した一瞬です。国会議員、市長の挨拶の次に我々の出番です。乾杯の前の素面の500名ものお客さんの視線を痛いほど感じながら、久しぶりに緊張しましたが舞の出来栄えは最高でした。「如水をNHK大河ドラマに」との熱いメッセージも司会の方にナレーションに読んで頂き多くの中津市民の方々に豊前中津の黒田武士のことを伝えられたのではないかと思います。今年も博多、姫路をはじめ彼方此方に出演すると思いますが暖かい眼差しでご声援の程よろしくお願いいたします。
年賀状といえばこの方を外す訳にはいきません。姫路の「黒田武士の館」館長の神沢さんからの年賀状です。なかなかのものでしょう。気合が入っています。黒田武士顕彰会の方々は何か黒田武士に関わるような年賀状にすると受け取った方も普通の年賀状と違って嬉しいものです。紋切り型の年賀状は捨てられやすいものですが受け取る方の喜ぶ様子を思い浮かべながら一生懸命心こめて作製したのがわかる年賀状は何年たっても棄て難く手元に残しておきたいと思うものですね。
我等豊前中津黒田武士の会の和才さんからの年賀状です。なかなかポーズも決まって頼もしいところは、姫路城お城まつり(H19年8月)特設会場にての勇姿です。こんな年賀状が届くと嬉しいものですし、昨年一年間黒田武士の顕彰に頑張ってきたからこそと思います。本年も一年間健康で元気に豊前中津の黒田武士をアピールしましょう。
博多どんたくでお世話になったNPO法人鴻ろ館・福岡城跡歴史・観光・市民の会理事長の石井幸孝さんからの年賀状は如水の博多人形でした。さすがです。本年もまた博多どんたくではお世話になります。よろしくお願いします。
福岡の母里忠一さんから昨年の10月20日光雲神社西公園鎮座百年記念大祭のビデオテープが送られてきた。早速見てみましたが見事な編集で我々豊前中津の黒田武士の舞も良く映っています。良き記念になります。会の皆さんにダビングして分けてあげましょう。母里さんありがとうございました。
新年明けましておめでとうございます。今年は黒田如水生誕462年、没後404年。黒田長政生誕440年、没後385年。母里太兵衛生誕452年、没後393年目にあたります。われわれ豊前中津黒田武士顕彰会は発足して3年目にあたります。今まで黒田如水生誕地播州姫路、太守となった筑前福岡の黒田武士顕彰会の皆さん、豊前の旧主城井宇都宮氏の研究の第一人者則松弘明先生にご指導、ご厚誼戴きながら今日まで楽しくどうにかやってきました。本年は黒田如水が豊前中津に入封して筑前福岡へ転封していくまでの間、日本の歴史に残る大きな戦に勝利し続けていった豊前中津の時代の濃密な時間を中心に、黒田武士が如水を主として戦国時代の荒波を如何に乗り越えていったかその生涯を学ばさせていただきたいと思います。本年もよろしく応援お願いいたします。