黒田二十四騎・毛屋主水(武蔵守)武久

2008-01-13 10:36:50 | Weblog
毛屋武蔵は幼名虎千代、江州神崎郡生。江州六角氏、柴田勝家、能登前田利家、池田信輝、越中佐々成政に仕えた。成政が秀吉より肥後50万石を賜ったとき毛屋武蔵も肥後に下ったが秀吉より佐々成政が切腹させられたので中津に来て黒田長政に300石を賜り仕えた。秀吉より会津42万石を賜った蒲生氏郷より昔ある戦で毛屋武蔵が氏郷の窮地を救った恩により密かにその武名高きに1万石にて誘われたが、朝鮮陣まえにて他家へ仕えること本意にあらずと断った。関が原の合戦に功名あり。家康に合戦の時期を上申し勝機を進言した。筑前に入国後以前豊前宇都宮氏を滅ぼしたときその家来に鬼木掃部も亡されたがそのむすめが弟妹をつれて落人となっていたのを長政の命で娶る。妻の弟は鬼木惣右衛門といい毛屋武蔵の所詫により黒田美作に仕え今にその子孫有り。寛永5年没。行年75歳。波乱の一生であった。

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