黒田二十四騎・菅六之助(和泉守)正利

2008-01-08 11:06:05 | Weblog
菅和泉は先祖代々播州の地士にして、志津ヶ嶽、岸和田、日向耳川、城井攻め等に手柄多く、諸人にすぐれ忠節あればあるとき褒美として長政より手ずから脇差貞宗をあたえられた。朝鮮出兵のとき軍功多く長政より再拝(采配)を賜る。文禄3年長政虎狩をした時、菅和泉刀を以って虎を切り伏せた。関が原の合戦にも豊臣方の武将島左近の強兵を追散し其の功甚大なりし。筑前入国後長政は今までの功に報いるため家老にと求めたが朝鮮の役中敵の毒矢に当り顔面に疵を受け人前に出がたく思えばそれを辞退した。家禄を嫡子に譲り隠居せしかども、長政その才力をおしみ退居を免し給わず。福岡城南丸に置いて城番たらしむ。寛永6年没。行年59歳であった。
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