惹かれるもの

こだわって、好きなもの、惹かれるもの探し

鎌倉花火大会   (番外編)

2006-08-11 | 日記・その他
8月10日  鎌倉花火大会

毎年鎌倉の花火は、江ノ島から船を出し、ヨットの上から見物と決め込んで居りましたが、折悪しく台風、
無事に通過しましたが数日はうねりが高くヨッヨを出す事が出来ませんでした。
潮風を受けながらビール片手にの見物は「気持ちイイ~!」としか言いようがありません。
まるで自分達だけのために上げてくれているような錯覚に陥ります。
「ズドーン!」の音は、お尻から響いてきます。鎌倉の花火は、水中花火が特に有名です。
水中ボートが全速力で火薬を海に投げて逃げ走ります。陸の混み合う見物を考えると、今年はやむなく見物中止!
憎っくき台風メ!そんな訳で、昨年の写真をUPしました。
     紅


民話の故郷 PART-Ⅳ  遠野のかっぱ

2006-08-11 | 旅行
遠野には、至る所に「かっぱ」が鎮座ましまする。

遠野には、カッパ伝説が沢山あるそうです。「遠野物語」にもカッパは沢山出てきます。
数ある伝説の中から、常堅寺にまつわるお話を一つ。
「昔々、常堅寺が火事にあったそうな。寺の裏を流れる川からカッパが出てきて、頭のお皿で水をかけ、
火事を消し止めたそうな!以来常堅寺にはカッパが祀られているそうな」


写真・右下 常堅寺と木彫りのカッパ
    左下 裏を流れる小川 カッパが出てきた「かっぱ淵」

水の綺麗なかっぱ淵に、しばし腰を下ろしてかっぱの出没を待ちましたが・・・。
みやげ物店にはカッパグッズが一杯、携帯ストラップの飾り、置物etc
どれも子供だましで興味なく、
写真撮ることすら忘れました。唯一つ面白いと思ったのは、伝承園の食堂のトイレの扉。左上の写真です。


今も生活を営んでいる曲がり家の「千葉家」、語り部の昔話が聞ける「とおの昔話村」、素朴な土と和紙で作られた伝統の附馬牛人形が見られる「遠野郷土人形民芸村」など、今回行けなかった所がいっぱいあります。
今度は曲がり家の民宿に泊まって、のんびり遠野に浸ってみようと思いました。
旅の続きは、花巻・宮沢賢治のふるさとです。お楽しみに。
       


民話の故郷 遠野 PART-Ⅲ  曲がり家の暮らし

2006-08-10 | 旅行
曲がり家の暮らし

曲がり家とは住居部分と厩が鈎の手になっている大きなかやぶき屋根の家です。どの家も正面に入り口、
広い土間です。左手に厩がありました。
右手が住居部分で、土間に隣接する所に囲炉裏の板の間、その裏が台所になっていました。
土間には大きな馬釜と呼ばれる釜があり、これは寒い冬に、馬の身体を拭くお湯を沸かしたり、
温かい餌を作ったりする釜だそうです。五右衛門風呂かと間違えて、笑われました。
馬は家族の一員として、大切に扱われていた様子が伺われます。
土間は作業場でもあったようです。壁には農作業の道具が沢山並べられていました。
曲がり家の多くは遠野ふるさと村に移築され、保存されておりましたが、「千葉家の曲がり家」は、
200年前からの様子そのままに、現在も生活が営まれているとのことでした。165坪もある大きな家だそうで、
見学出来るとのことでしたが、今回は残念ながら訪ねる事ができませんでした。  





民話の故郷PART-Ⅱ オシラサマ(遠野物語より)

2006-08-09 | 旅行
オシラサマ  (遠野物語より)       オシラサマの謂れを簡単に説明いたします。

昔々、遠野の村にめんこいむすめが父親と二人、愉しく暮らしておりました。
雪のように光る若駒がいて、いつも一緒に高原を走り回っておりました。夜は何時までも仲良く語り合っていました。
むすめと若駒はいつのまにか離れられない仲になりました。
父親は次第に若駒を憎み、ある日娘のいない間に若駒を裏山の桑の木に吊るしました。
若駒は、苦しんで死んでしまいました。雪の様に白い若駒の毛皮は、桑の枝で銀色に光っていました。
飛んできた娘は、泣いて泣いて死んだように泣き崩れました。
突然、銀色の毛皮に包まれた娘は、空高く舞い上がっていきました。
父親は「俺のめんこいボッコ、これから俺はどうして暮らせばいい」と嘆き悲しみました。ある夜、父親は夢を見ました。「私を可愛がってくれたお父さん、ご恩返しに三月十六日に土間の臼に、頭が馬に似ためんこい虫をさしあげます。それは雪の様な繭を作る私の化身です」
三月十六日夜明けを待って、土間の臼の上を見たら「めんこいボッコの化身」が!手に乗せて大声で泣きました。裏山の桑の葉を食べた蚕は、雪のような繭を作り、若駒の毛皮そっくりのやわらかい銀色の布になりました。
父親は裏山の桑の木を切って、一組の神様を作りました。一つは娘、一つは若駒です。
その名前は
オシラサマ。
遠野は蚕が大切に飼われて、銀色の繭を作る村、蚕の神様は、オシラサマだとさ。


以来、蚕の神様のみならず、願いを叶えてくれる内様として大切に祀られています。
         (写真は絵本「おしらさま」より丸木俊画伯の絵をお借りして、合成したものです)   
         




蓮の宴 PARTーⅡ 茶道具のしつらい  (番外編)

2006-08-08 | 日記・その他
懐石料理のあとはお茶席です。

食事のあと、お茶室へ案内されました。
ビルの中とは言え、路地の踏み石を歩いてお茶室へ。にじり口からの入席です。多少茶の湯の心得のある私ですが、初めての方にはにじり口からにじって入るのは厄介な事かもしれません。が、食事に見えたお客さんですから、どんな無調法も許されます。席に着くと、亭主がすかさず、「足を崩してお気楽に!」と気遣ってくれました。普通、懐石のあとのお茶席は、お濃茶が振舞われますが、この日は冷茶のお薄でした。どなたでも召し上がれるようにとの配慮でしょう。

この日の茶道具は、在り物です。在り物とは、正式な茶道具にこだわらず、亭主好みの在り合せの物を使うと言う事です。花器を利用した風炉、焼き物が釜代わり、水差しの蓋が蓮の葉でした。「蓮の葉の蓋」を主役に、カジュアルな亭主好みの取り合わせが見事でした。                                   

蓮の宴 PART-1     (番外編)

2006-08-07 | 日記・その他
華麗なる、美味なる蓮の宴!
白金の「箒庵」なる料亭で、今年4回目を迎えた「蓮の宴」なる催し、私の好奇心をくすぐります。
季節のおもてなしを学びたく、ちょと贅沢ながら、時々ランチには行くのですが夕食には敷居の高い所、
某日は奇しくも私の誕生日なので、主人におねだりしちゃいました。
路地に生けられた見事な蓮の花、ほの暗い明かりに導かれて敷石を踏んで路地を進み、玄関を開けるや、
そこは別世界でした。まるで蓮池にたたずんでいる様。
土間一面に蓮の花が生けられておりました。部屋に通され、いよいよお食事です。


① 蓮の葉型粉引き皿に盛られた前菜 
② ガラス大皿に飾られた蓮の花びら 何とこの花びらに食前酒が注がれました。極楽浄土の酒宴とはきっと この様なものなんでしょうか。気分は最高潮です。 
③ 大きな蓮の葉に盛られたお造り。葉の下には氷が敷き詰められ、上には細かい霧が吹いてあり、灯火でス ターダストの様に煌いておりました。心憎い演出です。


幻想的な雰囲気の中で、美味しいお料理に舌鼓、つくづく日本に生まれてよかったと思う○○歳の紅でした。
時には、こんな贅沢で心に栄養つけてあげなくちゃ!    

明日、もう一度続編です。お付き合い下さい。 番外編が飛び込み「遠野」から暫く遠ざかってますが、明後日から再開です。






 


王監督 ご退院おめでとう! (番外編)

2006-08-04 | 日記・その他
日本中の、いや世界中のファンが待ちわびてました!
王監督、ご退院おめでとうございます!
あれから数日が経ちました。ごゆっくり休養をとってらっしゃるでしょうか?
早稲田実業時代からのファンです!巨人時代には数々の記録を樹立、日本中を沸かせてくれました!中でも、ファンクアーロンのホームラン世界記録を破った時の感動は忘れられません!
今日は、その時のホームランボールを皆さんにご披露いたします。
正確には、その時の記念に読売がいくつかサインボールを作り、関係者に配ったものです。本物は、勿論野球博物館入りですね。渡辺恒雄氏から頂いたと言う方の所から、私の元へやってきた「私の宝物」です!
756号と書かれたボールを眺めるにつけ、一日も早くご快復なされ、再びユニフォームを着ていただきたいと願うばかりです!
王さんにはユニフォームが一番お似合い!

旅行記掲載中ですが、番外編が急遽飛び入りです。




民話の故郷 遠野 PART-1(伝承園)

2006-08-02 | 旅行
遠野は、山に囲まれた町です。そして、南北の山やまの水を集めた川は、みなこの町に落ち合ってくるのです。豊かな田園が広がっていました。

「遠野物語」は明治42年頃より、柳田国男が遠野の人佐々木鏡石より直接聞いた話を書き止めたものです。
「鏡石君は話し上手にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたままを書きたり」と、柳田国男は「遠野物語」の序文に記しています。
「伝承園」は、遠野地方のかっての暮らしぶりを再現。佐々木喜善(鏡石)記念館もありました。

2006.7.27 早朝5時に東京を発ち、一路東北道を北へ北へと車を走らせ、お昼ごろには遠野に到着、ん十年ぶりの思いが叶った旅の始まりです。PART-Ⅱでは、「遠野物語」の中より、「オシラサマ」のお話をしてみようと思います。