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千葉・佐倉の七福神めぐり  その4

2017-01-18 20:29:31 | 紀  葛探隊・郷土博物館

松林寺&妙隆寺

 


県道を歩いていくと大木の中に隠れる様な、松林寺とすぐ判明した。


大木が笹の上に殿と!


探検隊の人達は、どこにでも有る様な、田舎の佇まいの寺だと・・・・、
ちょっと歩くと田畑が見えた。

 


三々五々参拝、お賽銭を治めて寺を後にした。


県道を歩き、寺に入るときの大木を境内から見た。

 


 

妙隆寺・大黒天

大地を掌握する神様。小枠する神様。
五穀豊穣と、福徳円満を信仰とします。

 


慶田院への入り口が長く竹林があり、そこに咲く2月桜に目をとめた。



葛飾探検隊。
山門への通路が長く周囲を見ながら進む。


午後の陽射しが差し見事な竹林です。



2月桜?


椿の葉をバックに桜です。


本堂の佇まいです。



境内の大木銀杏です。


寺の事務所です。
これらの建物は、関東の北東部に行くと見かける、田舎風の建物に惚れこんで撮った。

 

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東京・多摩ニュータウン

2017-01-18 07:55:04 | 紀  現場にアタック、何でも

 あっちにも、こっちにも、そっちにも
建ち並ぶ集合住宅群が一杯
さすが日本一のニュータウン群

 

 散策・ウオーキングよりも集合住宅群の
多さにビックリ!!白い建物が、太陽の光で輝いていた。

DB
 『多摩ニュータウン』

 


多摩ニュータウン概略図


多摩センタ駅前の通路

 


豊ヶ丘北公園から眺めた、集合住宅群、た~くさん見られた。
これほど至る所に見られるのは初めて!!さすが日本一の多摩ニュータウン 

 

1、多摩ニュータウン
昔は「南多摩郡」と呼ばれていた東京都南部の多摩丘陵を中心に開発が進められ、現在の稲城市、多摩市、八王子市、町田市に跨って、東西
14km、南北24kmに亙り、標高150m前後の日本最大規模の住宅開発地域です。

【所在地】「南多摩郡」と呼ばれていた東京都南部の多摩丘陵地域。
【計画人口】30万人
【総開発面積】1980ha
【入居開始】昭和46年(1971年)
千里ニュータウンが約9 年、泉北ニュータウンが約18 年であるのに対し、多摩ニュー
タウンは約40 年間という期間を要している。
 
 
2、開発初期に建設された諏訪・永山地区
1971年(昭和46年)多摩最初の入居が諏訪・永山地区が行われた。
住宅不足解消を目的とした画一的な仕様の住宅で、その後の高齢化の温床になっている。
 

ここ諏訪・永山地区で休憩した。
広場でゲートボールに興じている高齢者に尋ねた。
「ここは最初に建設された団地で高齢化進んでいます。エレベーターもなく大変です。
空き家が沢山ありますが、このような集合住宅には若者は来ません。」

 

3、参考、葛飾区高砂団地の建て替え。 

 http://blog.goo.ne.jp/tsyouji5243_001/e/823e4eb72de87c83f8a5505dd549e656

 

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久しぶりに本を読む

2017-01-18 07:43:26 | 文学 川柳、短歌 俳句 詩

「杖のことば」 五木寛之著

 

家内が本を差し出した、格言集の解説書です。

誰もが一度は、耳にし、目を通した言葉です。

氾濫する情報、何を糧にし、どの方向に舵を取るか、難しい世の中です。

「杖の言葉」は、人生の苦難の旅路を一歩一歩、杖となって支えてくれる。

もう諦めてしまいそうな自分を、もう一歩進んでみようか!!

そんな気にさせてくれる「杖の言葉」です。

 

 

 

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デジブック 『縄文の村』

2017-01-15 19:46:12 | 紀 フジの会 ウオーキング(歩こう会)

縄文人(ブログ・ネーム)が、
昔の縄文住処東京都多摩市=縄文の村を訪れた。
驚嘆した。
竜宮城から帰った、浦島太郎の心境と全く同じでした。

 

 

昔あるところに、太郎という漁師が母親と二人で暮らしていました。

太郎は30歳もすぎていたのですが、まだ独り者でした。

ある日、浜辺で子供たちが小さな亀をいじめているところに遭遇しました。

太郎は子供たちに、15文のお小遣いをやって、海亀を海に帰してあげました。 

翌日、太郎が沖の船の上で漁をしていると、海から大きな海亀が顔を出しました。

海亀は「昨日は子供を助けれくれてありがとう、竜宮城へ連れて行ってあげます」といって、

太郎を背中に乗せて、海の中へ潜っていきました。

・・・・・・・・・・・あらすじ略・・・・・・・・・

帰ってきて駅頭に立つと、とてつもない信じられな、街が出現していました。

 


天空にそびえるビル群 


立体交差のコンクリート人工地盤、
京王線多摩センター中央駅南口の様子

 
山の中に生まれた大きな集合住宅の街

縄文人がただ一つ覚えていた野はかやぶき屋根だけ。

街並みも、黄色で模した横文字が並び、アルハベット化し、何も分からずに、
やっと我が家(茅葺屋根)にたどり着いた。

 
高層団地があっちにも、こっちにも林立していた。


驚 愕  

我が縄文の村・原点に帰り、
ヤット昔の生活を取り戻そうとした・・・・。

しかし、山や野原が切り拓かれて、高いビル群、立体のコンクリート人工地盤、華やかな照明、人の多さ等々、天と地ほど変貌にビックリした。

ただただ驚嘆した縄文人は、”縄文の村”を垣間見て第2の故郷、
柴又は、寅さんの近くに帰りました。

 


土間では、燃え上がる赤い火があった。

 縄文人は、わが故郷にいそいそと、帰りの茅葺屋根の中に入った。

しかし、じっと焚火を囲い込むようにして座して、

昔の思いを取り戻そうとしたが、あまりにも現実離れして、むかしの想いは

チョイと浮かんでこない。

現実と昔の狭間にさいなまれ、ボゥーとしていた。

フジノ会の会長から
「縄文さん、故郷へ帰った感想は・・・・!」と、尋ねられたがが、
言葉にならなかった。

 ≪現実と昔の狭間≫に、
ついては、縄文人が感じたものを随時UPします。

 

  デジブック 『縄文の村』

 

 

 

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千葉・佐倉七福神の内 倉(蔵)について  その3

2017-01-14 21:03:50 | 紀  葛探隊・郷土博物館

 『佐倉』ロマン漂う名前の由来

 

散策し、蔵の多いことに気ずく。
佐倉の倉(蔵)に係わりがあるだろうと推察、これが一致した。
 

昔、この地で生産された麻布を、朝廷に献上するための貯蔵庫があったことから、
アサクラが転じサクラになったという説。

清い倉(蔵)があったことから、すがすがしい語源をもつ「さ」という言葉をつけ、「さくら」と呼ぶようになった説などがあります。

どちらにせよ、古くからこの地に人が住み、倉を建て暮らしを営んでいたことが、
佐倉という地名から伺う事が出来ます。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 

佐倉市の市章はサクラの花を形取ったものです。
佐倉市の歌 佐倉市誕生 昭和29年

「佐倉市の歌」が誕生し、
~さくら、さくら(佐倉)、我らがさくら~~

今、この歌どう扱われているのかなぁ・・・・? 

 

    
佐倉市の木・桜                  佐倉市の花・菖蒲

市の木である桜は、その美しい姿に佐倉市の姿をイメージさせる木として、
昭和46年の一般公募の際、最も投票数の多い木でした。
(佐倉市のホームページより)

 

共同井戸

7福神巡り道すがら、あっちこっち拾い撮り。



上を振り向くと「蘭学通り」???名前に…見入った。

 


↑ この付近の地は、馬の背の様に高台にあり運搬するのに苦労した。
そのために共同で深井戸を掘りみんなで使用した。

 

 倉(蔵)の拾い撮り

 

 


↓ ↑

 

建物の形、構造、用途は、その地域や時代を表すもの
独特の倉(蔵)造りとして見入った。 

 登録有形文化財(家や倉 等)

 

 

 

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千葉・佐倉七福神の内 甚大寺  その2

2017-01-14 21:00:59 | 総 葛飾むかし話

 甚大寺・堀田家と三代のお墓

 

甚大寺は比叡山延暦寺の末寺として建立された。

堀田家の菩提樹として、本尊は十一観音菩薩。

毎月10日は承服祈願として縁日が開催されます。

 

 


 

堀田正俊公の菩提樹

 

 下総国・佐倉藩の大名家(堀田家)の三代のお

 
   金毘羅様で有名な甚大寺は、佐倉藩主だった堀田家(後期堀田氏)の
菩提寺
 であり、本堂裏手には、堀田家の墓所があります。
 
  堀田家の初代は、徳川幕府の大老にもなった「堀田正俊公」です。
同じ下総
 の古河藩の初代藩主です。

1684年、将軍綱吉の治世に入って4年が経過したこの年、
江戸城内で大老堀田正俊(当時50歳)が刺し殺されるという大事件が起きる。

・・・・・・・以下略・・・・・・・
 

 

 

 

 

 


栄枯盛衰
このお休みどころの一隅に、張り紙があった。
皆様方のご寄付を賜れば、菩提樹・坊守の一助になります。

 

 

大きなお墓、一体誰のものだろう!?

広い広いとてつもない広大な墓地

堀田家の三代の菩提樹!!

と言うことで納得し、次への「七福神巡りへ」急いだ。

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千葉・佐倉七福神の内 二寺、  その1

2017-01-12 20:41:25 | 紀  葛探隊・郷土博物館

 探検隊が往く(1/9)

 

江戸時代、城下町として活気あふれた

佐倉は、歴史とロマンの漂う史跡の多い街です。

かつしか・探検隊17名(♀4名)は、ゆっくりと散策を兼ねて、

七福神巡りを楽しんだ。

佐倉市内を歩いてみて,多くを学ぶ事が出来ました。詳細は逐次up致します。

≪葛飾七福神と佐倉七福神の違い≫
取り組み、佇まい、環境、街との調和等について見聞する。

 


京成佐倉駅前広場。


探検隊17名(♀4)は、駅前広場脇にて、
Tリーダーのコース説明、いよいよ出発(13,40分)です。

 


駅前を出て、50mほどの所に、そびえ立つような竹林。
見渡せばあちこちに竹林が・・・・。

後刻、やっぱり素晴らしい竹林を見る事が出来ました。
後日upします。


 

佐倉七福神の内

佐倉七福神めぐりは、
福徳の神として信仰される七神を巡り仏教の七難即滅七福即生の

思想を受け七福神をお参りする。
七つの災難が除かれ七つの幸福がさずかるといわれいます。

信仰は室町時代から一般化し江戸時代後半に盛んになったそうです。

 

①弁財天  嶺南寺 

                   

 

 

 

②寿老人  宗園寺 

① ②の寺は道路を隔て対面していた。 

 
領南寺の境内から宗園寺②を撮る

桜木と無縁仏集積場(右赤旗の隣)


六地蔵尊



 ◎◎大きな収穫◎◎


佐倉市内の国立歴史民族博物館には、2回足を運んだ。

この時に、何故、どうしてこの佐倉の地に国の立派な建物が建設されたのか?

大きく疑問を抱いた。東京・上野あたりが相応しい…!!

今回の街を歩いて,その謎が解けました。
  
         ①街に歴史的な建物をたくさん目にした、残っていた。
②武家屋敷の佇まいが素晴らしい。
      ③印旛沼を中心として、多くの古代遺跡がある。
            また市内の江原台には、日本考古学の創成期に注目を集めた史跡がある。


この地に国立歴史民族博物館が存在する意義を、私なりに納得理解しましました。

国立歴史民俗博物館・動画

 

 

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キャップテン翼in葛飾スポーツセンター その2

2017-01-11 07:22:59 | 総  イベント・催行

 少年サッカーチームと大会開会式(DB)

 

1月7日(土)、8日(日) 
葛飾総合スポーツセンターに於いて行われました。

 


他府県から多くのチームが参加


選手交代で出番を待つ

 

 

デジブック(キャプテン翼杯)

開会式&試合の模様
 

 

 

 

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キャップテン翼in葛飾スポーツセンター その1

2017-01-09 09:26:45 | 総  イベント・催行

高橋陽一(漫画家)先生トークショウー

 

 

大会2日目の1月8日(日曜日)には、全国各地の特産品を紹介する物産展や、
お子様も楽しめる縁日コーナー、元日本代表選手によるエキシビションマッチ。
さらに特設ステージでは高橋陽一先生と中田浩二さんや三浦淳寛さんによる
豪華トークショーが行われた。

 

 

    
トークショー会場近辺の様子です。

 

 バックは葛飾区総合スポーツセンターの建物


左から、司会者、高橋先生、中田選手、三浦選手、?選手


高橋先生の黒淵眼鏡の奥には、創造力豊かな漫画が
いっぱい詰まっています。

 


機知に富んだトークが花盛り!!


とても寒かったですが、およそ1時間楽しい時間でした。

 

高橋先生は、少年時代は、野球少年で、西武フアンで現在は日本ハムです。
漫画は小学校5年生頃から書き始めていた。

キャプテン翼を執筆中は、時によって36時間徹夜で書き続けた。

キャプテン翼のネタは、過去の旧友や、クラスメイトを題材にして構想を練った。
オーバヘットゲーム、ドライブシュート、カミソりシュートなどに話が及んだ。

中田選手、三浦選手の少年時代にも話に花が咲きました。 

 

↓ スポーツセンターの屋内に設けられたジオラマ
 

 

 


高橋陽一先生(漫画家)

 

小生は、キャプテン翼の漫画は、手にしたことも、読んだことも全くありません。
葛飾区で高橋陽一先生が四つ木出身と言うことで、

「かつしか広報」に掲載されるようになりました。
中学時代サッカーの選手をしていたことから結び付き、トークショウを訪れた。

サッカーのTV観戦はいつも見ています。

帰宅後「キャプテン翼=動画」を見て、
≪ボールは友達、タイガーショット≫を知った。

 

 

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故・田部井淳子氏を偲ぶ

2017-01-08 08:48:28 | 総  そ の 他

 NHK・≪田部井淳子
 生涯最後の登山ドキメントを見て≫(1・7)

 

昨日、みだしのタイトルで放映された。見た。
侵されているガンの病にめげず、日本一の富士山に登山した。

あのエベレストに登頂したときよりも苦しく、難儀と言っていた。

そして、その後間もなく世を去った。

生涯・山を愛し、山に恋して、山に登り、山で生涯を終えた人でした。

安らかにお眠りください。

お世話になりました。合掌。

登山家の田部井淳子さん 2014年09月29日


左  在りし日の田部井氏  右 縄文人

 

 

↑ 登山家・田部井淳子女史と
裏磐梯めぐり・奥国沼(福島)の時のブログです。  
 

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金網の中・黄色い果実

2017-01-07 19:49:54 | 紀  現場にアタック、何でも

JR新金貨物線(亀戸~金町)

 

大正15年開通の新金線は91年となった。
その間、鉄道貨物を取り巻く状況は大きく変わった。

軍需、戦後復興、高度成長、モーターリゼイションの発達によりその推移は激しい。
武蔵野線、京葉線と新たな輸送路が生まれ当然新金線を走る貨物量も変わりました。


新中川も戦前に着工したのが、昭和28年完成した。道路も整備された。

街並みも、農村風景から住宅地と大きく変革し、住宅が立ち並び

旧街道を偲ばせる踏切の名称が多くが残っています。

 


目覚ましい発展を遂げた新金線周辺はは単線で、
亀戸~金町間の両側を金網で安全策が設けられている。


毎日通勤する線路内に沢山の果物が黄色く、一際目立っていた。


枝を垂れさがれ黄色柑橘が眩しい。


道を隔てた変電所脇に水仙が一株咲いていた。


ヤマガラ?であろうか、線路内で餌をあさっていた。


カラスが巣作り撤去し、その後防止金網を取り付けた。

 


旅客列車も時たま走り、一時旅客線路の格上げの話もありましたが、
立ち消えになりました。

 

 

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チャッチイ・・・・・花

2017-01-07 14:40:53 | 自然  植物・動物

 水仙&サクラソウ

 

  
家内が買って来ました。
間もなく地面に下ろさなければと思っています。


名前?

 
地面に這う様に…。

庭が狭くなり、ほんの少しの草花です。

 

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冬の街路樹

2017-01-06 06:12:13 | 総 日々是好日&出来事

木枯らし

 

窓の外、吹き抜ける木枯らし、

ヒュウヒュウする音を聞きながら、夕方に外へ出た。

道行く人達は、厚手のコートに襟を立て風に立ち向かって、歩んでいた。

街路樹が、木枯らしなど何のそのという格好で、

仁王立ちして立ち自然に立ち向かっていた。

 

 


ケヤキの街路樹


クヌギの街路樹


ふじ棚

 


??街路樹

 

      ・ 晴れ渡りスカイツリーが白く見え

               ヒュウヒュウと吹く木枯らし寒く

 

 

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国際盆栽展開催

2017-01-05 09:55:29 | 紀  一寸気になる行きたい場所

NHKラジオ深夜便からの、情報源いい話

 

 

2017年1月4日水曜日

ラジオ深夜便「明日への言葉」に聞き入った。

竹山さんは、さいたま市大宮盆栽村で半世紀にわたり盆栽作りを続けています。

盆栽作りを手掛けた動機、修業時代、作業の苦労など淡々と話された。

種をまきよう苗の仕立て、剪定、病虫害など盆栽を仕立てることの難しさ苦労話など。

最後の方で、

「第8回世界盆栽大会inさいたま」4月27日~30日

との事です。

対談の中で、盆栽が海外でも人気となり様々な情報を日本から発信している、

これが益々盛んとなり”盆栽なら日本”と言うこととなり、第8回国際盆栽展が

成功されることを祈るのみだと言っていた。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

          盆栽は大きく分けると、
       ①針葉樹松柏盆栽 (五葉松、黒松、蝦夷松とかの常緑樹の針葉樹)
       ②それ以外が雑木盆栽、(四季の変化が有るもの)
         a、葉、枝を楽しむもの(楓、欅、紅葉など)
         b、花を楽しむもの
         c、実を楽しむもの

皐は、雑木盆栽で葉、枝ぶり、そして花を楽しむことに分けられる。

 

↓ の皐は、夏場の2年前のものですが、かなりの鉢が有りました。
家の建て替えやら、環境の変化、手入れの疎かから鉢数を減らした。
わずかになってしまった。

盆栽は『水掛3年』と言われますが、常に気を配っていなかったら、
たちまち枯れてしまいました。

 

 
         多くが枯れ、残った夏の皐

 

葛飾皐展から

 

 

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山の歌(あの日あの時)

2017-01-05 06:35:45 | 紀  葛ハイ山行,, 私旅行

さわやかな登頂感・達成感

これは2015,9,夏  の茶臼岳の事でした。
葛ハイ、山行の思い出です。
詩を作り、振り返って、達者であった時のことを思いつつ・・・・。

振り返ることが多くなりました。

 


あの頂を目指す【葛飾の山男・山女・後期高齢者】がいた。


茶臼岳にて

 

クリック拡大

 

 

 

 

 

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