前回の続きです。
放浪の天才画家 山下 清ー2
上野の地下鉄 貼り絵 1937年 36×56cm
「ラ・ムスメ(娘)ーゴッホによる」 貼り絵 1940年 75×57cm
パリのエッフェル塔 水彩 1961年 73・5cm
ベニスのゴンドラ風景 水彩 1961年 54×36・5cm
群鶏 貼り絵 1940年 75×57cm
花とトンボ 貼り絵 1938年 24・9×38・4cm
日本平よりの富士 貼り絵 1965年 45・5×53cm
話しをするときは
点やまるなどいわないんだな
カッコともいわないんだな
みんなが爆弾なんかつくらないでいたら
きれいな花火ばかりつくっていたら
きっと戦争なんて起きなかったんだな
ゴッホなんて会ったことがないし知らない
どこに行っても
山下清とわかってしまうからな
だからもう放浪はしないんだな
八幡学園をとびだしてから
あっちこっちを歩きまわって二十なん年のあいだに
日本のくにの五分の一くらい見物してしまった
ほんとうのことをいうと
自分の行きたいところへぶらりと出かけるのは
そんなにわるいことではないようなきがするが
世の中には放浪はわるいという決まりがあるのでしかたがない
どれも心に残る言葉ですね。
子供の時の心を忘れないで持ち続けて居たからでしょう。
今回も画集の中から転載させて頂きました。
山下清は1922年(大正11年)東京都台東区に生れる。
大正11年、前年の関東大震災で焼け出され、新潟市白山浦に移転。
大正14年、重い消化不全にかかり、3ヶ月で完治するが軽い言語障害、知的障害となる。
↑文中に八幡学園とあるのは後年入所する事になった式場隆三郎神経病院の施設のようです。
山下清を語る時、式場隆三郎は欠かせませんね。ここで貼り絵の手ほどきも受けたようです。
昭和7年、父清治死去。 中略
昭和31年、週刊朝日の徳川夢声対談で清が盛んに発した「兵隊の位になおすと・・・」が流行語となる。
昭和33年、「裸の大将」小林桂樹主演の映画が封切られる。
昭和36年、ヨーロッパ他9カ国(ドイツ・スエーデン・デンマーク・オランダ・イギリス・
フランス・スイス・イタリア・エジプト)を旅行する。
昭和38年、京都南座で「裸の大将」主演芦屋雁之助が特別公園される。
昭和44年、高血圧による眼底出血を起こし倒れる。以後制作活動を制限し、
自宅で療養生活を続ける。
昭和46年、突然脳出血で倒れる。
「今年の花火はどこへ行こうかなぁ」が最後の言葉となる。
享年49歳。若くして亡くなられたようです。
今回も画集の中から転載させていただきました。
前回の時にどんこさんから著作権問題で・・・とのご指摘を頂きました。
大分省略の多い記事となりました。
気分が萎えてしまってこれ以上書けませんでした。
今回だけご勘弁を頂きたいと思います。
紅
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