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オシラサマ (遠野物語より) オシラサマの謂れを簡単に説明いたします。
昔々、遠野の村にめんこいむすめが父親と二人、愉しく暮らしておりました。
雪のように光る若駒がいて、いつも一緒に高原を走り回っておりました。夜は何時までも仲良く語り合っていました。
むすめと若駒はいつのまにか離れられない仲になりました。
父親は次第に若駒を憎み、ある日娘のいない間に若駒を裏山の桑の木に吊るしました。
若駒は、苦しんで死んでしまいました。雪の様に白い若駒の毛皮は、桑の枝で銀色に光っていました。
飛んできた娘は、泣いて泣いて死んだように泣き崩れました。
突然、銀色の毛皮に包まれた娘は、空高く舞い上がっていきました。
父親は「俺のめんこいボッコ、これから俺はどうして暮らせばいい」と嘆き悲しみました。ある夜、父親は夢を見ました。「私を可愛がってくれたお父さん、ご恩返しに三月十六日に土間の臼に、頭が馬に似ためんこい虫をさしあげます。それは雪の様な繭を作る私の化身です」
三月十六日夜明けを待って、土間の臼の上を見たら「めんこいボッコの化身」が!手に乗せて大声で泣きました。裏山の桑の葉を食べた蚕は、雪のような繭を作り、若駒の毛皮そっくりのやわらかい銀色の布になりました。
父親は裏山の桑の木を切って、一組の神様を作りました。一つは娘、一つは若駒です。
その名前はオシラサマ。
遠野は蚕が大切に飼われて、銀色の繭を作る村、蚕の神様は、オシラサマだとさ。
以来、蚕の神様のみならず、願いを叶えてくれる内様として大切に祀られています。
(写真は絵本「おしらさま」より丸木俊画伯の絵をお借りして、合成したものです) 紅
昔々、遠野の村にめんこいむすめが父親と二人、愉しく暮らしておりました。
雪のように光る若駒がいて、いつも一緒に高原を走り回っておりました。夜は何時までも仲良く語り合っていました。
むすめと若駒はいつのまにか離れられない仲になりました。
父親は次第に若駒を憎み、ある日娘のいない間に若駒を裏山の桑の木に吊るしました。
若駒は、苦しんで死んでしまいました。雪の様に白い若駒の毛皮は、桑の枝で銀色に光っていました。
飛んできた娘は、泣いて泣いて死んだように泣き崩れました。
突然、銀色の毛皮に包まれた娘は、空高く舞い上がっていきました。
父親は「俺のめんこいボッコ、これから俺はどうして暮らせばいい」と嘆き悲しみました。ある夜、父親は夢を見ました。「私を可愛がってくれたお父さん、ご恩返しに三月十六日に土間の臼に、頭が馬に似ためんこい虫をさしあげます。それは雪の様な繭を作る私の化身です」
三月十六日夜明けを待って、土間の臼の上を見たら「めんこいボッコの化身」が!手に乗せて大声で泣きました。裏山の桑の葉を食べた蚕は、雪のような繭を作り、若駒の毛皮そっくりのやわらかい銀色の布になりました。
父親は裏山の桑の木を切って、一組の神様を作りました。一つは娘、一つは若駒です。
その名前はオシラサマ。
遠野は蚕が大切に飼われて、銀色の繭を作る村、蚕の神様は、オシラサマだとさ。
以来、蚕の神様のみならず、願いを叶えてくれる内様として大切に祀られています。
(写真は絵本「おしらさま」より丸木俊画伯の絵をお借りして、合成したものです) 紅
気張らず・・観たまま・・感じた儘・・見せてね。。余り考えすぎると大変になりますからね。。待ってま~~す。。
そうだったんだ~~~若駒との・ラブロマンス・・フ~~ンとため息が出ました。このような恋が・・もう一度・・な~~んて・・昔を思い出しているとん子で~~す。
繭に・・願いことの神様・・紅さん本等にお願いして来て頂きありがとう~~~キッと願いが叶いそう~~
いいお話でしょう!
由来が解かると、とっても親しみ持てますよね!
この丸木俊さんの絵が又、すごくいい
ちなみに、丸木俊はご主人の丸木位里と共に’50年以来「原爆の図」を発表、’67年に埼玉県東松山市に原爆の「丸木美術館」を開館させています。
平和主義者の画家です!
一度行って見たいと思いながら、あまりにも凄惨な絵なので、見る事が出来そうもないんです。広島の「原爆記念館」も前まで行って入れませんでしたから!
本当はきちんと直視しなければいけないんですよね
娘が美人だったのかどうか知りませんが、私は南部美人という酒を年に2~3回注文しています。
和三郎でも戦前は蚕を飼っていたそうです。
おしらさまの名だけは耳にしたことがありましたが、本日初めてお話を聞いて心揺らされました。
可愛らしいむすめと若駒が民話の世界へ案内してくれました。
紅さんブログから「おしらさま」の民話が語り継がれた本日にかんぱ~い!
遠野は駒の産地、曲がり家で家族同然に馬と一緒に暮らしていたようです。
その模様は、次回UPする予定です。
この民話に「めんこいボッコ」とありますから、可愛い娘だったのでしょうね。
南部美人というお酒があるんですか!
わざわざお取り寄せとは、さぞや美味しいお酒なんでしょうね。
飲みすぎに、ご注意くださいね。
飛び入り番外編が入ってしまい、旅行記の影が薄くなってきちゃいました。
この記事を何人かの方に見ていただき、その方が又他の方へと・・・、こうして語り継がれていって欲しいものです
少しでも興味を持っていただけたら、嬉しいです。最近は民話に触れる事、あまり無くなりましたよね。
紅は子供の頃、父親の膝の上で、日光の昔話を聞いた思い出があります。
次回は馬と一緒に暮らす曲がり家の生活、お伝えします。
ちょっと、ご無沙汰している間に、たくさん変わっていて、ジ~~ンとなりながら読ませていただきました。
昔、娘が幼い頃いっしょに絵本(だったと思います)を読んだ記憶があります。今度来たら「おぼえてる?」って聞いてみましょう。
もしかしたら、まだ天袋にあるかもしれない・・
やさしい語りに引き込まれ、私も懐かしい昔を思い出させていただきました、ありがとうございました。
貧乏暇無しの私、いつもHPの更新準備やネット講座などに追われています。
ほっと暖かい気持ちにさせていただけてうれしいんです。
でも、コメントいつも遅くなってごめんなさいね。
又々、お忙しい方をお呼びしちゃって、ごめんなさいね
一番ご覧いただきたい人だったから、お許しを!
「おしらさま」の絵本、お子さんが小さい頃読んで聞かせてあげたのですって!さすが、OTEMOさん!
天袋、お探しになってみて!(そんな暇無い!)そうでしたよね。
有難うございました。
ボッコとは、秋田でも子供をさす言葉です。私たちも使っていました。