チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

沖縄を思い出す

2012年04月04日 06時37分55秒 | 日記
ニュースで戦争体制のような沖縄が映っていた
あの海にイージス艦が浮かんでいる
朝鮮戦争の時のような緊迫感が漂っているのだろうか

始めて沖縄の地を訪れたのは
まだ沖縄が本土復帰をしていなかった時
一ヶ月間沖縄の本島や石垣島、竹富島、宮古島を取材して歩いた

島全体がアメリカのにおいに満ちていた
美しい海岸は日本人の立ち入りが禁止されていた
しゃれたレストランも入れなかった
何処に行ってもアメリカ軍の若い男が我が物顔に歩いていた

1ドル365円パスポートを持って
まさしく外国への旅だった

宮古島に渡りたったひとつのホテルで荷をほどく
窓にヤモリの訪問を受け
「ぎゃー」と大声を上げたが
「なにもわるさはしません」と放って置かれた

宮古上布を生産している下地さんが島を案内してくれた
当時は薩摩上布とまだ呼んでいた
江戸時代薩摩藩を通して上布が内地に出ていたので
「薩摩上布」となっていたのだ
当時きものの本にも「薩摩上布」と解説されていた

「宮古で作っているのですから宮古上布と呼んだらいい」
「そうですよねそう努力しましょう」
「私も本での解説には宮古上布と必ず書きます」
と海を観ながら話し合っていた
海はまさしく地球が丸いと思わせるように曲線を描いていた

とそのとき下地さんは
「あの夏の日いきなりあの海の上に真っ黒の岩がだんだん近づいてくる
とおもったら全部軍艦であの海が真っ黒に埋め尽くされたんです」
と静かに話を始めた

そこから先は聞いている私の涙が止まらなかった
さらに
「人頭税」という石も案内された
その石は大人の肩くらいの高さで薩摩藩が男の背丈がその石をこすと
税金を調達したという
税金を払えない人は足を切ったのだそうだ
確かにチャコちゃん先生が島に居たとき足の無い老人が多いと思った

薩摩にアメリカにそして今また日本政府に沖縄は翻弄され続けている
テレヴィのニュースを見ながら悲しみがわき出でる
せめて薩摩上布が宮古上布になったことに気持ちを落ち着かせるが

それにしても
同じ名字の亀井さんちの下地クン
あなたは沖縄を命をかけて守らにゃならんのに何やってる
宮古上布の下地さんは沖縄の産業をこつこつ守って
沖縄の名を高めているよ

宮古上布は「苧麻」が原料だが
私たちの国の夏は麻は手放せない

沖縄は染織の宝庫だ
戦争の場にしては絶対にいけない

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする