原始仏典より・・・
尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、
その心に次のような考えが起こった。
「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。
すなわち ---
世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、
世界は有限であるとか、世界は無限であるか、
魂と身体は同一なものであるとか、魂と身体は別個なものであるとか、
人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか・・・、
これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。
世尊がわたしに説かれなかったということは、
わたしにとって嬉しいことではないし、
わたしにとって容認できることでもない。
だからわたしは世尊のところへ参って、この意味を尋ねてみよう・・・。
もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、
わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」
「マールンキャプッタよ、
わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、
わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことがあるか。」
「師よ、そのようなことはありません。」
「マールンキャプッタよ、
わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、
愚かにも、おまえはわたしがそのように説くことを要求し、
そのようの説くことをしないわたしを拒もうとしている。
マールンキャプッタよ、
人間は死後も存在するという考え方があってはじめて
人は修行生活が可能である、ということはない。
また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて
人は修行生活が可能である、ということもない。
マールンキャプッタよ、
人間は死後も存在するという考え方があろうと、
人間は死後存在しないという考え方があろうと、
まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。
現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである」
(マッジマ・ニカーヤ 63)
↑
マールンキャ・プッタは、「人は死んだらどうなるの?」に始まる、いろんな疑問にとりつかれてしまった。
しまいには、いつも、このことが頭から離れなくなってしまった。
そこで、一切を知る者(一切智者)として名高い、ブッダのところに悩み相談に行きました。
「ボクは、人が死んだら、その後どうなるのか、気になって夜も眠れません。
一切を知るお方よ。 教えてもらえないでしょうか。
教えてくれないのなら、修行をやめて実家に帰らせていただきます」
これを聞いたブッダは、一喝した。
「誰が、そんなことを教えてやるから、修行しに来いと言ったか」。
「あの世があるから、修行が進むというわけでもない。
あの世がないから、修行が進まないというわけでもない。
余計なことは気にせず、修行に励め」。
かくして、マールンキャ・プッタの迷いは、すっかり晴れた。
ありがたや。
合掌・・・・・
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