ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

著書の中から「私は自分をこう変えたい」(前)

2010年07月18日 | 健康
 1993年3月同文館出版発行
☆ 不安感がなくなったデザイナー
S子さんがカウンセリングルームを訪れてきたのは、朝から冷たい木枯らしが
吹き荒れる冬の日のこと。そんな寒々とした天候にふさわしく、彼女の整った顔も
青ざめ、ひきつっていました。ハリのある生気とか脈打つ血の気、といった物が
まったく感じられませんでした。彼女の心に重くのしかかっていたのは,漠然とした
不安感。 いつも心の中で「失敗したらどうしよう」と考えてしまい,その不安から
抜け出せないと言う相談でした。そんな捉われから一日も早く解放されたい、自信を
持ってノビノビと生きたいとS子さんは言いました。
 デザイナーとしてやっていける能力もある、しかも女性としていちばん輝いている
年齢なのに……
 男性によっては「少し陰のある、憂いを含んだ女性が好み」とおっしゃる方もいますが、
やはり陰より、明るさの方が何倍も素敵とわたしは思うのです。
 S子さんは何故そんなに自信をなくしたのか。まずそれを明らかにしようと
生い立ちをお尋ねしました。問題のカギは、現在よりも過去にあると、直感した
のです。案の定、S子さんはやや複雑な家庭に育っていました。

 まだ生まれて間もない赤ちゃんのときにお母さんが亡くなり、二歳のときお父さんが
現在のお母さんと再婚。当時五歳だったお兄さんと二人は、以来その継母に育てられ
ました。二人の子持ちのやもめと結婚した、この義理のお母さんは初婚でした。
 性格は几帳面で潔癖で、神経質。世間体を気にして、「この二人の子供達を何とか
自分の手でシッカリ育てなければ」と、健気にがんばっていたそうですが、子供達に
とっては、こんなタイプの母親はちょっと息苦しいものなんですね。
 母親の肩に力が入れば入るだけ、子供達はそれをストレスとして受け取ってしまう
からです。学校や遊びから帰ってくると、お母さんが待っていて、顔と手足を洗わ
せますが、そうしないと家にいれてもらえないのです。
 かりに外で遊んでいて、ちょっとした怪我でもしてこようものなら大騒ぎ。
「大変!すぐに消毒しなくては」、まあ一事が万事この調子なのです。
当然服装はいつもこざっぱりしていて、ご近所では「本当によいお母さんがきて
よかった」と評判でしたが、幼い兄と妹はそんな潔癖な母を前にして、ついオドオドして
しまいます。このお母さんは、自分の義務と責任を心得た人でした。

 父母会への出席、毎日の宿題も良く見てくれたし、そういう意味では完璧だった
のですが、でもそれは自然の愛情から出たものと言うより、「母親の務めだから」
という義務感から出たもののように、S子さんには感じられました。
 「こんなことを言ってはいけないのでしょうが、本当に母親に可愛がられた
と言うあったかい思い出がないのです」S子さんは話すうちに感情が高ぶって
大粒の涙をこぼしていました。その子供時代から何年も経っているのに、彼女
の原点はどうしてもそこに戻ってしまうようでした。
 

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