ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

「見えざる手」に導かれて (後) 

2010年07月17日 | Weblog
☆ 意識と無意識との間に
 昨日自分が過去に勉強した心理学の昔のノートを繰っていたら、こんな言葉に
出会ってハッとした。これはスイスの高名な心理学者ユングの説だが
「意識と無意識のとの間に、潜在的な中心と言うべき「自己」がある。「自己」は
「自我」(宇宙に存在する他のすべてと対立する存在として認めた自分)の意志
より高いものであり、それに対し人は頭を下げなければならない。
つまり、我々は内的人格の欲することや、声の言うとおりに行動すれば苦痛はない」
わたしは心理学をいろいろ学んだが、ことに印象に残った言葉を抜粋し書き残して
いた。これを読んで、もしかしたらわたしは、ユングの説く「自己」の声のままに
生きているのかもしれないと思った。そのため長年対話してきた「もう一人の自分」
の存在が「自己」と、同一化したのだろうか?
そのため、迷いはほとんどないし、その行動は良い結果になることが多い。
心理学を学んだとき、その心の奥に内在する力に大変驚き、体に電気が走るほど
感動したことは、今でも決して忘れない。

頭脳明晰ではないし、学歴があるわけでもない、落ちこぼれでズッコケ、色いろ
恐怖症と言われたわたしが、「人生を楽しみその人生の主役」でいられたのは、そんな
大きな要因があったのかもしれないと、今までの過去を振りかえり改めて感じた。
高齢のわたしだが、「やり残したことは何もない」と、胸を張って言えるほど、満足
できる人生を、今まで歩めたのは何と幸せだろう。
それには、「ちょっと神様」と、友人達に言われる、包容力がある夫の存在が、大きな
ことは確かだけれど……
 それにしても我ながら呆れる最近のエネルギッシュな行動力は、やはり自分の
インナーヴォイスを超えた状態としか思えないし、「きっとどなたかが導いて下さるのだ」
としばしば感じることが多い。
こんな状態は死を迎えるまで(まさか!)続くのか、それとも「自分はもう完全に
老いた」と認めるまでのスパンなのか、まったく分からない。
 唯自然の流れにまかせることにするしかないが、 できたらこれからもずっと
「人様のお役に立てるようなことを続けたい」とわたしはいつも思っている。

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