ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

「死」に対するわたしの概念

2010年05月13日 | Weblog

  ☆長生きが必ずしも幸せではない
 年々高齢者が増えているが、わたしの年齢では、もうすでに介護を受けなけ
れば、生きていけない高齢者も随分多いようだ。
でも介護さながら入院できる病院が少ないという、なかなか厳しい現実に考え
させられてしまった。現在も寝たきりで生きている老人も大変多いらしい。
いくら気分は青春しても、わたしがもしもまったくの自然体でいたら、きっと背中
が曲がった「白髪の老婆」かも知れないと感じる。
パーツは傷んでいるが、わたしは内臓的にまったく健康なので、もしもこのままで
いたら、一体何歳まで生きているのだろう。嫌だなあと、ホンネで思う。
 
 でも、そのわりには、まだ仕事もしたいし、やりたいこともあるし……
毎日の食事に注意し、サプリメントも摂って、運動も欠かさないのは決して長生き
したいためではなく、生きている間は元気でいたいからだ。
 もう随分以前、夫とともに尊厳死協会に入っている。先日機会があり、息子の妻に
その趣旨を読んで聞いてもらったし、その証明書の保存場所も知ってもらった。
 いずれ誰でも100%は死を迎えるが、今まで自由に、やりたいことはほとんど
実現できたし、あまり苦労もしなかったし、いろいろな意味で、割合恵まれてきた。
 だから今スグに死んでも平気だ。
 人一倍臆病なわたしなのに、死ぬのはゼーンゼン恐ろしくないし、どんな世界なのかしら、
面白そう、なんてホンキで感じている。それは、「死」がまったく「無」になる
とは、どうしても思えないからだ。

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