波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡     「新聞週間」

2016-12-12 09:58:04 | Weblog
旧聞になってしまうが、毎年10月の半ばごろ新聞週間が受けられており様々な行事が行われている。今年は新聞協会が主催した新聞記事を読んでその感想についての原稿募集があった。早速応募したのだが、どんな記事が取り上げられるのか、来年が楽しみである。そんな訳で新聞について一考してみたい。前にも書いたが私の生活は起きてすぐ読む新聞からその日の一日が始まる。そして朝食をはさんで必ず読む箇所の一読が終わるのだが、その日によって興味の強弱もあり、楽しみである。しかし最近はデジタル派が増えて新聞の読者が減りつつある事は事実であり、残念だと思う。これには時代的な背景が大きく影響しているのだが、ある意味止むを得ない事かもしれない。しかし我々高齢者には習慣的なことも会って止められないものだが、その文字から来る文字の含蓄差に影響されて学ぶところが大きい。
しかし一言希望を述べるとするとその文字表現がいかにも高尚で難解であることである。たしかに各紙共に競ってそのレベルを保つ事を考えれば、自然とその表現もレベルアップしていく事は止むを得ない事かもしれないが、読者としてはいささか難解であり、消化不要になる事もある。
特に今の読者は高齢者に依存しているのだから、そろそろその辺も考慮して少し容易な平意語で表現してもらいたいと思っている。
最近TVでわざわざ世界のニュースを解説しなおかつその質問を受けてその意味と意義を理解させている番組が人気を呼んでいるが、これなどもその影響ではないかと思うのだが、どうだろう。
小池さんが質問の回答でカタカナ語を使って、その意味を付け加えているのを見るが、書くほうは習慣となって読者は皆理解するものと思っているのだろうけれどそろそろ少し気を使って分かりやすい表現も採用してもらいたいものと思っている。
それはレベルを下げる事にはならず、むしろ多くの読者に説得力を増すものと新いているからである。