波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

    思い付くままに  「昼下がり」

2014-05-27 09:18:54 | Weblog
思いがけなく日曜日の午後、あまり行ったことがない大井町まで出かけることになった。
昔は重要な要件でもないことで出掛けることに抵抗があったが、この年齢になってあまり出掛けることがない日々になると何処でも出かけることに関心が起こる。それは普段受けることのない生活の変化と刺激のような好奇心が呼びさまされるからかもしれない。
人形町の甘酒横丁は毎日のように人通りも多く、昔からの老舗が人を集めて楽しい。
新橋の地下街が昔の面影が全くなくなり、すっかり近代的な雰囲気の店が並んでまばゆい限りだ。浜松町で乗り換えて目的地の大井町に着く。地図を頼りにあちこちきょろきょろしながらぶらり歩きになる。目的地の場所に着く少し手前に小さな公園を見つける。少し時間もあったので
涼しげな木陰のベンチに飲み物を持って休憩することにした。
すると隣のベンチに母子連れがお昼をしている。3歳になったばかりの女の子と生まれたばかりの赤坊である。パンくずを投げて鳩を追いかけている女の子の母親に話しかけると知己を得たように話してくれる。「三歳になる娘が赤坊に話しかけると、何時でもにこにこと笑って楽しそうなのに私があやしてもにこりともしないの。憎らしいくらいですのよ」と真面目に言っている。公園には同じように諸学校に上がったばかりの子供たちが親と一緒に思い思いに遊んでいる。「平安」人間はこの世の生活を続けていく上で様々な苦悩が付きまとうことになる。そしてそれは生きている限り続くのだが、その中でも「死」につながる病は一番大きい存在かもしれない。その他にも家族内の人間関係であったり、経済的な問題、そして男女関係の争いなどもあることだろう。いずれにしても考えたくはないが心にかかり気になることが無くなることはないはずだ。それは終わることなく付きまとうのである。
そんな毎日の中にあって何もかも忘れてこんな平和で安らぎを覚えることのできる時間があることを知らされたのだ。その恵みを私も思いがけなくあずかることが出来た。そしてしばらくの間すべてを忘れて憩い、まどろむことが出来たのである。
厳しい現実が続くこの世であるからこそ尚更に価値がある。そこには人間の「優しさ」があふれ
この世の平安に満ちているからである。