波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに    「ゴールデンウイーク」

2014-05-06 10:15:53 | Weblog
今年も好天に恵まれてGWを迎えている。小学生、中学生の子供たちを中心に家族そろっての
エンジョイを共有する時間を持つことはコミュニーケーションが普段とれてなくても、この時ばかりは全てを忘れて気持ちを合わせて喜びを分かち合うことが出来る、それだけでも意義があり、大切な時間ともなる。然し高齢者にはGWは違った意味を持つ。
身体を動かすことの不自由さとその後の疲労の影響を考えるとこの期間に行動することにメリットを感じるより、負担の方を考えてしまうからだ。
だから、この時に頭に浮かぶことは過去の若かりしときに家族と共に過ごした思い出であり、その時の家族の一人一人の姿である。
然し同時にこの期間に過ごしたことが何の意味があったろうかと言う疑問もある。それは単に時間と金の浪費だけに終わっていないか。という事である。
遊ぶこと、楽しむことだけに心が一杯になっていて、何も考えず何も思っていないと何も残らないことになる。何らかの「目的意識」があっても良いのかなともおもえる。そうでないと親は子供に約束を果たしたという事だけで、時間と経費を無駄に浪費しただけになっていないだろうか。そうでなくても人間は知らず知らずのうちに年齢を重ねて老いていくものである。
そして過去を振り返り、その場面を振り返りそこに思いをはせるものである。
考えようによって日々がGWとも考えられる。「今日」をどのように楽しみ、喜びと感謝の日にするかと考えるとき、その一日は新しい一日として考えられる。
私の周りにもこの時間を本当に大切に過ごしている人が何人いるだろうかと考える。むしろ
自分自身の肉体的精神的な欠けや病のためにその日を十分エンジョイできないで、もんもんと
悩みつつ終わる一日を過ごしている人のどれだけ多いことか。
そんな事を考えると、人が生きている時間、生かされている時間をどれだけエンジョイできるか、しているか、それがGWの本来の目的につながるのではないかなと思う。
決められた特定の期間、特定の時間だけでなく、日々のどんな時間であってもその時をGWとして生かすこともできるんだ、何処にいても、何時でも、何をしていてもという事ではないだろうか、何も特別な期間、特別な時間だけがGWとすることではないのではと思う。
もしそうであれば、「その場限り」「その時だけ」の人生であり、楽をしたときだけの自分であったりしてしまいそうである。
毎日が「GW」とすることが出来るようにしたいものだ。