波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   パンドラ事務所  第七話   その3

2014-04-04 09:36:31 | Weblog
人間は年齢を重ねるごとに円熟さを増し角が取れて円満になるという俗説があるが、現実は真逆なのかもしれない。人は年をとるごとに我儘になり、自分勝手になり、人の事は考えない動物なのかもしれない。良く考えてみるとそれも無理からぬ気もするのだ。身体が不自由になり自分の思うままにならなくなり、したいこともできなくなる。他人のことなど構うほどの余裕もなくなる。つまり自分の事だけで精いっぱいになる。するとそれは夫婦であろうと親子であろうと他人のような感覚になっても仕方がないことかもしれない。
若い時に「僕が君を一生守り愛し続ける」と誓い、「私はあなたにどんなことがあっても従っていくわ」と言った誓いの言葉も年をとる毎に薄れ今や「そんなこと言ったかしら」状態なのか。
(もちろんすべての人がそうだとは言わないが、)神はそんな人間を罪の存在であると断罪して
救いの手を差し伸べている。
「青山、お前うちのカミさんのこと知ってるよな。一度会ってどんな気持ちなのか話を聞いてみてくれないか。」正直言っていまさら何を聞いて何を話してみても翻意するとは思えないし、説得する自信もなかった。だが若い時の過去にこだわっているわけでもなかろうとも思えた。
「お互いにもう良い年になったのだから、助け合っていこう。言いたいことがあるならなんでもいえよと言ってみたらどうだ。」念のために言うと「それは何回も言ってみたんだ。今のままで田舎の母親の事も一緒に面倒見ることだってできるし、と言うときちんとけじめをつけたいのだと言い張るんでね。」「気持ちが変わるとは思えないが、お前がそういうなら一度俺が話を聞いてみるよ」と言って収めてみた。
しかし考えてみて世の中どうしてもう少しお互いに分かり合えないものかとつくづく思わされる。そして似たような話がほかにもたくさんあるのかと考えるとき、多くの人が不満と不安、
そしてストレスを抱えながら暮らしているのかと思わざるを得ない。
そして貧しくても苦しくても平安の内にあることが出来る幸せを改めて感謝する思いであった。
店を出て別れ際に見た彼の姿に何となくさびしそうな影を見る思いで見送ったのだ。